時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(25)

2005年06月05日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋
聖ヨセフの夢(聖ヨセフの前に現れる天使)
The Dream of Saint Joseph
Musée des Beaux-Arts, Nantes

  なんとも形容しがたい、不思議な光景である。椅子に坐り、半ば夢の世界にいるかと思われる老人の前に、一人の子供が蝋燭の光をさえぎるかのように、手をかざしている。しかし、じっと眺めても少年なのか、少女なのかも分からない、不思議な存在である。どこか人間を超えたような雰囲気が漂っている。もしかすると、天使なのかもしれない。それにしては、背中に翼を背負い、空に浮かぶ、見慣れた天使のイメージとはあまりに違いすぎる。

「大工聖ヨセフとイエス」への連想
  ラ・トゥールの作品を知る者にとっては、この絵を見るとただちに「大工聖ヨセフとイエス」が思い浮かぶ。この絵と大変雰囲気が似ているところがある。「大工聖ヨセフ」も、老人(聖ヨセフ)と子供(イエス)という対比で創られている。そして、老人はリアリズムに徹して描かれているが、子供はどこか「人間離れ」がしていて、聖性ともいえる不思議な印象を与える存在である。この絵も子供の方は、「大工聖ヨセフ」のイエス以上に、不思議なイメージを漂わせて描かれている。全体として「大工聖ヨセフ」よりも詩的であり、「均整のとれた」「彫刻的」plastic (Thuillier, 190)ともいえる雰囲気である。どちらにも高い精神性が込められている。

  この絵は、美術史上は20世紀におけるラ・トゥール再発見の過程で見出され、再確認された。最初につけられた題名は、「若い娘に起こされる老人」という情景をそのまま記述しただけのものであった。そして、多くの議論の末に今日専門家の多くが合意する「聖ヨセフの前に現われた天使」という主題に落ち着いた。ラ・トゥールのサインはあるが、例のごとく他の画家の名が多数挙げられてきた。

リアリズムは翼をあたえない
  現存する作品から推定するかぎり、ラ・トゥールは宗教画のジャンルの作品であっても天使に翼をつけたり、使徒でも光輪をつけたりすることはなかったと思われる。世俗の世界に住む普通の人を描きながらも、使徒や聖性を持った存在としての人を描くことができた希有な画家であった。

  「大工聖ヨセフ」と対比してみると、大変興味深い点がいくつかある。「聖ヨセフの夢」では、老人として描かれた聖ヨセフは、天使が現われる前までは、蝋燭の光の下で書物を読んでいた。考えつかれて、まどろんだところに天使が現われたという想定であろう。老人が聖ヨセフであるということについても、研究史上は多くの異論(Elijah, St. Matthew, St.Peterなど)もあったが、ようやく聖ヨセフに回帰してきたといえる。

  聖ヨセフの胸高にしめられた帯の色や陰影の微妙さは、ラ・トゥールの作品を見慣れた人には、どこかなじみのあるものである。聖ヨセフはリアリズムに徹して描かれている。顔の髭の柔らかさまで伝わってくるようだ。蝋燭の光の描き方、燭台につけられた蝋燭の芯を切るはさみであろうか。棚上に映る丸い二つの影まで描かれている。

  他方、天使は真珠と貴石で飾られた衣装をまとい、飾り帯には美しい刺繍が施されている。しかし、その容貌は「大工聖ヨセフ」のイエスに似た、不思議なほどの透明さをもって描かれている。

  そして、「大工聖ヨセフ」のイエスの視線と同様に、この「聖ヨセフの夢」の場合も、天使の視線の行方は不思議である。聖ヨセフを見ているというわけではない。どこを見つめているのか、きわめて微妙なまなざしといえる。「聖」「俗」の世界を隔てるためであろうか。

天使が告げるものは
  そして、天使はなにを語りつつあるのだろうか。夢からさめようとする聖ヨセフの見ていた夢とはいかなるものであったのだろう。想像はとめどなく続くことになる。

  17世紀当時、キリスト教精神世界に流布していた伝承からすれば、大工であった聖ヨセフをとらえてやまなかった思いは、マリアとその子イエスとの関係であった。その謎は悩みとなり、聖ヨセフにつきまとった。彼はその答えを書物の中に見出そうとしたのだろうか。答えが見出せないままに疲れて、まどろみ、夢か現実か分からない時に天使が現れたのであろう。さらに、続いての想像としては、天使はマリアと幼いイエスを連れてエジプトへ逃げるように勧めている。聖ヨセフはここに「救世者の救世者」としての役割を担うことになる。

「想像の世界」のクリエーター
  これは、パリゼ以来のラ・トゥールの研究者たちが思いめぐらした想像の所産にすぎない。ラ・トゥールは、そうした物語性(ストーリー)の設定に役立つようなものを意識的に消している。これは、彼の多くの作品に見られる特徴でもある。見る者に多くのことを考えさせる謎の部分を組み入れている。思うに、作品の主題を最も正確に知り得たのは注文主や寄贈をうけた貴族であり、彼らは画家が描き出してくれた秘密の世界を専有して楽しみ、作品を見る人々の反応を試していたのではないか。ラ・トゥールの天才性は、ひとえにこの「想像の世界」の傑出したクリエーターであったという点にあるのではないか。(2005年6月5日記)

Image: Courtesy of Web Gallery of Art

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