時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(27)

2005年06月17日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールと工房作?

《聖ペテロの否認》

Geoerges de La Tour et atelier?
Le Reniement de saint Pierre
Musée des Baux-Arts, Nantes

  

二本の蝋燭の光で、画面は二分されている。といっても、右側のテーブル上に置かれていると思われる蝋燭自体は人物の陰に隠れて見えていない。左側には聖ペテロと推定される髭をたくわえた男と蝋燭を手にする召使いと思われる女性が立ち、真剣な面持ちでなにやら話し合っている。右側には5人の兵士たちが、もう一本の蝋燭を光源に、ダイス遊びに興じている。机の上の蝋燭は、兵士の腕に隠されてまったくみえない。光だけがゲームの情景を照らし出している。だが、蝋燭の光を隠す腕の曲げ方なども、どことなくぎこちない。これがラ・トゥールの作品といわれても、これまで見てきた真作と判定されている作品と比較して、直感的にどこか迫力に欠けるところがある。

迫力不足の原因?
なぜ、そうした印象が生まれるのか。まず、画面が左側の人物二人と、右側の5人のグループとの間で二分され、焦点が分散していることが、最大の原因と思われる。ラ・トゥールの他の作品「女占い師」や「ダイヤ(クラブ)のエースを持ついかさま師」のように、人物群像が描かれた例を見ると、周到な配慮の上に見る人の視線をひとつの焦点にしっかりと引きつける工夫がなされてきた。画家はこの点にきわめて大きなエネルギーを注入してきた。光源が二本の蝋燭と兵士の足下に置かれた赤い火種が燃えるストーブと分散しているのも、散漫さを加えているのかもしれない。

新たな試みか
それとともに、ラ・トゥールはしばしば執拗なまでにリアリズムを追求していた。他方では、極限にまで単純化し、「荒野の洗礼者聖ヨハネ」のように最小限の描写によって心象世界を描き出したような作品もある。しかし、この作品にはそのいずれもが感じられない。画風が移行する時期の作品なのだろうか。あるいはそのための試作なのかもしれない。

ラ・トゥールはこうしたストーリーのある作品については、しばしば主役を思いがけない人物に割り当てることで、斬新さを生み出してきた。この作品においても、画家が主役の役割を負わせたのは左側の聖ペテロではないだろう。主役であれば、画家の技量をもってすれば、もっと克明に描きこんだのではないか。おそらく、右側の疑わしそうな顔つきで聖ペテロと女性の方を見ている兵士に、主役の役割を負わせたのだろう。「疑惑の念」は、聖ペテロの否認についての伝承を思わせるところもある。また、蝋燭を覆い隠すように前方に立っている兵士の表情は、ほとんど読み取れないが、良く見てみると視線は自分の掌上のダイスからは離れ、なにか別のことを考えているようにもみえる。

ラ・トゥールの作品が、しばしば真贋論争に翻弄されてきたことについては、このシリーズでも何度か触れたことがある。これについては、さまざまな理由が考えられる。

ひとつは、現存するラ・トゥールの作品自体が少ないということもあるが、次第に明らかになってきた画家の生涯を考えると、ラ・トゥールはロレーヌ地方ばかりでなく、パリの宮廷世界まで含めて、かなりの人気作家であったということによる。

位置づけの難しさ
作品自体の図抜けた素晴らしさに起因するが、(画家の指導下に作成された工房の作品でもよいから)ラ・トゥールの作品を所有したいという人々が多かったことが考えられる。そのため、多数の作品が工房から生み出されたと思われる。結果として、ラ・トゥールがテーマから最後の一筆にいたるまで自ら手がけた真作から、工房において画家がさまざまな関わり方をした作品、徒弟や息子のエティエンヌの作品、同時代あるいは後世の模作など、かなり濃淡がある作品群が、今日まで継承されていると考えるべきだろう。

細部の描写を見ると、美術史家が指摘した点のひとつは、主役が聖ペテロであるとするならば、ラ・トゥールの他の作品と比較して、迫力に欠けるということにある。確かに、他の作品のリアリズムに満ちた描写と比較すると、力が感じられない。しかし、女性の表情や手指、兵士の表情などについては、ラ・トゥールらしい非凡さが感じられる部分も多い。

この作品は、画家の署名と1650年の年記を持つだけに、研究史の過程でもさまざまな議論を生んできた。年記との関係もあって、1651年に年始の贈り物として、リュネヴィル市がロレーヌ総監督ラ・フェルテに献上した「聖ペテロの否認」に一致するのではないかと考えられてきた。1992年ジャック・テュイリエはこの見解に疑問を呈し、「パリ向けに制作された、総督の絵の原作あるいは再制作品」とする見解を提示した(Thuillier, 1992)

署名も決め手とならず
署名や年記の存在にもかかわらず、こうした議論が生まれるのは、この作品にこれまでラ・トゥールの真作と評価されてきた諸作品と比較して、ある迫力に欠けるところがあるからである。パリゼは、すでに1949年に真作とは質の差があると指摘している。美術史家や鑑定家を悩ましたのは、署名と年記の存在であったと思われる。ラ・トゥールの作品にしては、なにかが欠けている。1650年という年記は、記録に残る制作年としては最後のものである。画家は推定57歳、死去する2年前であった。

ラ・トゥールといえども、作品のすべてが傑作ばかりというわけではない。しかし、素晴らしい作品が多いだけに、この画家としては凡庸な作品が目立ってしまうのかもしれない*。この作品が駄作というわけではなく、他の作品が図抜けているのである。人生ばかりでなく、作品についても実に謎が多く、それだけに惹きつけられる画家である(2005年6月17日記)。



*今回の国立西洋美術館「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」展では、「ラ・トゥールとその工房?」という位置づけがなされている。ラ・トゥールの同様な評価の作品に、ダイス遊びに興じる兵士だけを描いた次の絵がある。構図としては、主題が限定されているこちらの作品の方がはるかにまとまっている。
The Dice Player, c.1650, Preston-Hall Museum,Stockton-on-Tees.

コメント
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