オフショアリングへの不安
2004年2月、アメリカ議会下院で世界的に著名な経済学者の発言が、議員から相手にされないという、ほとんど例がない光景が展開した。前大統領経済諮問委員会委員長、グレゴリー・マンキュー氏が「人件費が安く優秀なインドの放射線技師にX線写真をインターネットで送り、翌日に検査結果をアメリカの病院に送り戻してもらえば、大変経済的だ。海外で物やサービスをアメリカより安く提供できるなら、国内で生産することをやめて輸入した方が、アメリカはより豊かになれる」と発言し、海外調達(オフショアリング)を弁護したとたん、騒然たる非難の的となった。
同氏は、かつてハーヴァード大学の最年少教授で、世界的なベストセラーの経済学テキストの著者でもある。国際貿易理論上、十分に確立された比較生産費の法則が教える通りを述べたにすぎなかったのだが、政治の世界は大学の教室のようにはいかなかった。「仕事の機会の輸出」を擁護するのかなど、議員ばかりか労働組合その他から、轟々たる非難が寄せられた。
「24時間企業」の誕生?
インターネットの発達は、「仕事の世界」を劇的に変化させつつある。アメリカの消費者が購入した製品の使い方について知りたいと思い、サービスセンターへ電話したところ、うまく話が通じないのでセンターの所在を尋ねたところ、なんとフィリピンのマニラ郊外だったというような話もある。シリコンヴァレーの企業で、社員が帰り際にインドのバンガローの企業へ仕事を委託し、翌朝出社して、その結果をインターネット上で確認するというような「24時間企業」の話も、大分誇張されて広がっている。
重要な個人や企業のデータが流出し、不正に使用されるという問題は、日本でも最近の事件もあって、よく知られるようになった。6月23日、イギリスのタブロイド紙Sunが、1000人分のイギリス人の銀行預金データが、銀行が外注しているインドの企業を通して流出するというニュースを報じた後、2日後にはワシントンポスト紙が「インドへのアウトソーシングの危機」という大見出しを掲げた記事を掲載した。
企業が自社の仕事を外部へ委託するアウトソーシング、とりわけ海外企業へ移転するオフショアリングについては、アメリカやイギリスではメディアの関心はきわめて高い。しかし、いったいどのくらいの量の仕事が海外へ移転しているのか、信頼できる統計数値はない。大きな問題だが、正確なところは分からないというのが、最近のOECDレポートの内容でもある。なにしろ、インターネット上で一瞬にして仕事が他国へ移転してしまい、その実態は第三者にはまったく分からない。
それでも、多くの企業がアウトソーシング、オフショアリングをしていることは周知のことであり、その範囲も広がっている。消費者サービスを受け持つコールセンター、給与計算、ソフトウエア開発、R&Dなど、事務サービス労働者、ホワイトカラーの仕事で、かなりの部分を占めつつある。世界的に著名なマッキンゼー・グローバル・インスティテュートのReport:The Emerging Global Labour Marketも、「これまでのところ、オフショアリングについての議論は事実より逸話で過熱している」と述べている。
確かな証拠を求めて
それでも、マッキンゼー社は、8産業部門の調査から2003年には、150万人相当の仕事が先進国から海外へ委託されたと推定し、2008年までには410万人分になろうと推測している。他方、OECDはオフショアリングで失われた仕事量は最大に見積もっても一般的な労働移動より小さいと見ている。
インドがオフショアリング先としては大変著名だが、OECDの調査ではオフショアリングの相手先には、先進国も入っている。OECDは1995-2000年のビジネス・サービスの輸出をオフショアリングの代理変数とすると、インドの成長規模が最大であったとする。しかし、伸び率の高かったのはエストニア、アイルランド、スエーデン、中国、モロッコなどの諸国である。ヨーロッパ企業はイギリスを除くと、今のところヨーロッパ内部にオフショアリングの相手先を求めているようである。
他方、海外へ流出した仕事を取り戻す試みも進んでいる。銀行は自動化コールセンターを設置しようとしている。たとえば、イギリスの銀行ロイズ/TSB, ハリファックスなどはアデプトラ社によって開発されたシステム使用している。これは消費者に連絡し、クレディットカードの不正使用がないかをチェックするシステムだが、人間の音声は使わない。
激変する「仕事の世界」
先のマッキンゼー社は、オフショアリングへの現在の需要が継続するならば、イギリスとアメリカだけでも中国、インド、フィリピンにおける英語力があり、顧客に対応できる労働力は使い切ってしまうと警告している。 インドがアメリカ、イギリス企業にとって、人気があるのはいうまでもなく英語を話す人口が多いためである。中国は人口は多いが、英語を話す人材という点に制約がある。言語がオフショアリングの範囲を定めていることは注目すべき点である。いずれにせよ、アウトソーシングは、大きなコスト節約と価値創出の効果があり、世界の労働コストの驚くべき格差を考えると、さらに拡大するだろう。このインターネット上でのヴァーチュアルな労働移動は、移民労働というフィジカルな移動にも影響を与えつつある。
英語圏でない日本では、あまり話題となっていないが、こうしたグローバル・ソフトウエア・ワークという動きは、伝統的な仕事の世界を大きく変えることは間違いなく、その動向は今後も引き続き注視したい(2005年7月2日記)。 Source: "Getting the measure of it," The Economist, July 2nd-8th, 2005その他。
2004年2月、アメリカ議会下院で世界的に著名な経済学者の発言が、議員から相手にされないという、ほとんど例がない光景が展開した。前大統領経済諮問委員会委員長、グレゴリー・マンキュー氏が「人件費が安く優秀なインドの放射線技師にX線写真をインターネットで送り、翌日に検査結果をアメリカの病院に送り戻してもらえば、大変経済的だ。海外で物やサービスをアメリカより安く提供できるなら、国内で生産することをやめて輸入した方が、アメリカはより豊かになれる」と発言し、海外調達(オフショアリング)を弁護したとたん、騒然たる非難の的となった。
同氏は、かつてハーヴァード大学の最年少教授で、世界的なベストセラーの経済学テキストの著者でもある。国際貿易理論上、十分に確立された比較生産費の法則が教える通りを述べたにすぎなかったのだが、政治の世界は大学の教室のようにはいかなかった。「仕事の機会の輸出」を擁護するのかなど、議員ばかりか労働組合その他から、轟々たる非難が寄せられた。
「24時間企業」の誕生?
インターネットの発達は、「仕事の世界」を劇的に変化させつつある。アメリカの消費者が購入した製品の使い方について知りたいと思い、サービスセンターへ電話したところ、うまく話が通じないのでセンターの所在を尋ねたところ、なんとフィリピンのマニラ郊外だったというような話もある。シリコンヴァレーの企業で、社員が帰り際にインドのバンガローの企業へ仕事を委託し、翌朝出社して、その結果をインターネット上で確認するというような「24時間企業」の話も、大分誇張されて広がっている。
重要な個人や企業のデータが流出し、不正に使用されるという問題は、日本でも最近の事件もあって、よく知られるようになった。6月23日、イギリスのタブロイド紙Sunが、1000人分のイギリス人の銀行預金データが、銀行が外注しているインドの企業を通して流出するというニュースを報じた後、2日後にはワシントンポスト紙が「インドへのアウトソーシングの危機」という大見出しを掲げた記事を掲載した。
企業が自社の仕事を外部へ委託するアウトソーシング、とりわけ海外企業へ移転するオフショアリングについては、アメリカやイギリスではメディアの関心はきわめて高い。しかし、いったいどのくらいの量の仕事が海外へ移転しているのか、信頼できる統計数値はない。大きな問題だが、正確なところは分からないというのが、最近のOECDレポートの内容でもある。なにしろ、インターネット上で一瞬にして仕事が他国へ移転してしまい、その実態は第三者にはまったく分からない。
それでも、多くの企業がアウトソーシング、オフショアリングをしていることは周知のことであり、その範囲も広がっている。消費者サービスを受け持つコールセンター、給与計算、ソフトウエア開発、R&Dなど、事務サービス労働者、ホワイトカラーの仕事で、かなりの部分を占めつつある。世界的に著名なマッキンゼー・グローバル・インスティテュートのReport:The Emerging Global Labour Marketも、「これまでのところ、オフショアリングについての議論は事実より逸話で過熱している」と述べている。
確かな証拠を求めて
それでも、マッキンゼー社は、8産業部門の調査から2003年には、150万人相当の仕事が先進国から海外へ委託されたと推定し、2008年までには410万人分になろうと推測している。他方、OECDはオフショアリングで失われた仕事量は最大に見積もっても一般的な労働移動より小さいと見ている。
インドがオフショアリング先としては大変著名だが、OECDの調査ではオフショアリングの相手先には、先進国も入っている。OECDは1995-2000年のビジネス・サービスの輸出をオフショアリングの代理変数とすると、インドの成長規模が最大であったとする。しかし、伸び率の高かったのはエストニア、アイルランド、スエーデン、中国、モロッコなどの諸国である。ヨーロッパ企業はイギリスを除くと、今のところヨーロッパ内部にオフショアリングの相手先を求めているようである。
他方、海外へ流出した仕事を取り戻す試みも進んでいる。銀行は自動化コールセンターを設置しようとしている。たとえば、イギリスの銀行ロイズ/TSB, ハリファックスなどはアデプトラ社によって開発されたシステム使用している。これは消費者に連絡し、クレディットカードの不正使用がないかをチェックするシステムだが、人間の音声は使わない。
激変する「仕事の世界」
先のマッキンゼー社は、オフショアリングへの現在の需要が継続するならば、イギリスとアメリカだけでも中国、インド、フィリピンにおける英語力があり、顧客に対応できる労働力は使い切ってしまうと警告している。 インドがアメリカ、イギリス企業にとって、人気があるのはいうまでもなく英語を話す人口が多いためである。中国は人口は多いが、英語を話す人材という点に制約がある。言語がオフショアリングの範囲を定めていることは注目すべき点である。いずれにせよ、アウトソーシングは、大きなコスト節約と価値創出の効果があり、世界の労働コストの驚くべき格差を考えると、さらに拡大するだろう。このインターネット上でのヴァーチュアルな労働移動は、移民労働というフィジカルな移動にも影響を与えつつある。
英語圏でない日本では、あまり話題となっていないが、こうしたグローバル・ソフトウエア・ワークという動きは、伝統的な仕事の世界を大きく変えることは間違いなく、その動向は今後も引き続き注視したい(2005年7月2日記)。 Source: "Getting the measure of it," The Economist, July 2nd-8th, 2005その他。