ラ・トゥールの絵画に啓発された芸術作品は、おそらくかなりの数に上るだろう。日本では知名度がいまひとつであるが、世界的にはさまざまな意味で注目を集めてきた。そのうち、絵画の世界への影響については、先日東京で開催された特別展のカタログに収録されているディミトリ・サルモンの論文「ラ・トゥールに基づいて」*において、考察されている。しかし、その他の分野でもラ・トゥールは、多くの人の想像を超える広い範囲に影響を及ぼしている。ラ・トゥールの名前や作品が使われている文献はとてもかぞえきれない(あの『ダヴィンチ・コード』にも出てきましたね)。
小説になったラ・トゥール
ところで、ここで取り上げるのは、日本ではほとんど知られていないと思われるラ・トゥールをテーマとした小説である。残念ながら、邦訳はない。原著のタイトルは次の通りである。 David Huddle, La Tour Dreams of Wolf Girl, New York: Houghton Mifflin, 2002. (仮題『おおかみ娘を夢見るラ・トゥール』) 作者のデイヴィッド・ハドルDabid Huddleは、アメリカ、ヴァージニア州生まれで、長年にわたり短篇や詩、エッセイ作家として名声を得てきた。そして、1996年の『ベスト・アメリカン・ショート・ストーリーズ』に収録された短篇をもとにした、処女長編The Story of a Million Years(岡田葉子訳『百万年のすれ違い』早川書房、2002年)は、1999年に出版され、その年の最高傑作と各紙誌で絶賛された。この著作は邦訳もある。ハドルは現在、執筆のかたわら、ヴァーモント大学で創作を教えている。
同時に展開する二つの世界
ここで紹介する「おおかみ娘を夢見るラ・トゥール」は、ハドルの長編小説としては第二作に当たる。「百万年のすれ違い」が主題としていた学生時代から仲のよい二組の夫婦が、いつしか広がっていた溝に愕然とするという心理のすれ違い、そして中年期のかすかな不協和音を巧みに描く、大人の味わいの恋愛小説という流れを受け継ぎながらも、思いもかけないような世界を描き出している。
ニューイングランドのヴァーモント大学で美術史を教える38歳の女性助教授スザンネ・ネルソンは、結婚につまづき、大学で主として想像と研究の世界に引きこもりがちな生活を送っている。彼女が出版を予定する作品のタイトルは、まったくの小説の中での話だが、なんとEuropean Background: Peripheral Symbolism in Caravaggio, Terbrugghen, and La Tour (Cornell University Press)である。
ヴァーモントとロレーヌが舞台
小説のストーリーは、スザンヌのこれまでの生活にかかわる知人・友人、パートナーたちとの微妙な心理的な葛藤の世界と、それに同時並行して、(まったくの想像の産物ではあるが)17世紀、ラ・トゥールの晩年におけるリュネヴィルの町の靴屋の娘で、愛すべき若い女性ヴィヴィエンヌとの不思議な関わりの世界という、時空を超えた二つの世界の話が巧みに交錯して現れる。実に読者の意表をついた構成であるが、違和感はない。現代のアメリカ、ニューイングランドのヴァーモント州と17世紀のロレーヌという、普通では結びつきがたい次元で物語は並行しつつ進行して行く。
発想の根源はラ・トゥール展
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品世界については、かなりのことが分かってきたが、謎に包まれた部分も多い。とりわけ、富と名声とを手中にした晩年における利己的そして粗暴な行動についての断片的記録と、農民や旅の音楽師、使徒たちなどを描いた精神性の高い非凡な作品との間に存在する大きなギャップについて、さまざまな推測や解釈を生んできた。
ハドルの小説でのラ・トゥールに関わるプロットの展開は、ひとつの歴史的な文書記録からスタートする。ハドルは、アイディアを1996年にワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アート(NGA)で開催されたラ・トゥールの特別展とその後、手にしたスミソニアン博物館が発行した画家の生涯に関する論文**からヒントを得て、作品化したと語っている。
ハドル自身は美術史に特に関心を持っているわけではないが、着想を得たのはラ・トゥールの作品に接したことと謎の多い断片的な経歴からであり、美術は彼にとっては新たな発想を生む「力」であると述べている。(私自身もこのNGAでの展示を見る機会があり、カタログなども保有しているが、新たな作品を見て認識を改めたり、啓発された点も多かった。)さて、本題の小説の話に移ろう。
ラ・トゥールは強欲、粗暴な人間だったのだろうか
ハドルは、スミソニアンの論文に記載されているラ・トゥールの人生における歴史的記録に興味を惹かれる。それは次のような背景と内容である。 1946年7月18日、 画家が47歳の時に、そのころ、一時的にルクセンブルグに身を落ち着けていたが、未だ権勢を保っていたロレーヌ公に宛てて、リュネヴィルの住人から嘆願書が出されている。これは、ほこりに埋もれていたリュネヴィルの市庁舎の記録から発見された。
その内容は特権を享受するラ・トゥールを含めた何人かの富裕なリュネヴィル市民を非難するもので、そのうちの何人かが戦争や軍隊の宿営に関わる負担への協力を拒否したと告発している。問題の嘆願書は、こうした公共の費用を負担しようとしない人への抗議である。記録は次のような情景を伝えている。
「これらの修道僧、修道女たちは辺り一帯の耕地を所有しており、フールとシャルジェーの貴婦人たち、画家のラ・トゥール殿は、彼らだけで合わせて当該のリュネヴィルで見られる3分の1の家畜を所有しております。その人たちの所有する土地は、残りのリュネヴィルのすべての人たちより多く、そこで耕し、種を蒔いております………前述のシャルジェーの貴婦人とラ・トゥール(彼は、スパニエル犬とグレーハウンド犬を同じくらい多く飼い、まるでこの土地の領主であるかのように、種蒔きした畑の中で野兎を狩らせ、踏み荒らし駄目にしてしまうので、人々にとって憎むべき人物です)は、ナンシーの総督殿下により、兵隊の宿舎の提供義務から免除されており、同様にすべての負担金の免除を得ています」(Tuillier 1992、212)
これを読む限り、画家ラ・トゥールにきわめて厳しい内容だが、そのまま鵜呑みにすることも必ずしも客観的理解でないかもしれない。すでに、この時期にはパン屋の息子として生まれたラ・トゥールは、画家としての名声をほしいままにし、宮廷画家という富裕な階層に到達していた。それは彼の際だった天賦の才能に加えて、さまざまな世俗の世界における世渡りのうまさのもたらしたものであったろう。それらが、貧窮に苦しむリュネヴィルの住民の反感につながっていたことも、想像に難くない。(ラ・トゥールの農民などに対する尊大あるいは粗暴な人格を思わせる他の記録もある。)
他方、1618年に始まった30年戦争後、フランス国王とロレーヌ公の間で決裂した政治的情勢を背景に、リュネヴィルの住民たちは板挟みとなり、極端に悲惨な状況に陥っていた。他方、上層階級にとっては、一時パリその他安全な場所へ避難するなど、さまざまに危険を回避する術もあった。嘆願書の背景となっている情景もそのひとつの断面と思われる***。この時期の背景については、別に記すこともあろう。
小説の面白さは、ラ・トゥールが明らかにプロット展開の軸となっていることである。年老いた画家が関心を寄せ、モデルになってほしいと靴屋の両親に依頼した少女ヴィヴィエンヌとラ・トゥールの心理的やりとりは、大変興味深い。「ウルフ・ガール」(おおかみ娘)とはいったい何を意味するのか。これは小説家ハドルの創造の産物である。私も読んでいて、あっと思わされた。小説を読む人の楽しみを損なわないよう、ここではこれ以上触れないでおこう。ちなみに、この空想の世界でラ・トゥールが飼っていた犬の一匹の名前は、「カラヴァッジョ」であった。
現代の世界は?
他方、現代の世界で展開するスザンヌやパートナー、ジャックの生活も興味深い。なぜ、一時はうまく進んでいたかに思えた夫や友人との関係に、すれ違いが生まれて行くのか。この心理描写は大変絶妙である。小説自体には、重厚さや深みといったものは感じられないが、日常の生活における心理描写の巧みさには感心する。実は、およそ良い役柄とはとてもいえないが、この小説には日本人までも登場する。人間の心理や感情の微妙な陰影を描き出すという点では、前作の方が構想も巧みであり、書き込まれていると思われる。しかしながら、この作品も、主たる登場人物の子供の頃の経験が成人した大人の心理をいかに規定しているかという問題などを含めて読むと、大変興味深い。さらに、主として舞台となるヴァーモントの小さな町には、私も多くの思い出があるが、これもここでは書き尽くせない。日を改めて記すことがあるかもしれない。
こうしてみると、ラ・トゥールという画家は、小説家にとっても豊かな発想の材料を提供してくれる実に不思議な存在となっている(2005年7月4日記)。
参考文献
*ディミトリ・サルモン「ラ・トゥールに基づいて」『国立西洋美術館ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展カタログ』、2005年
**Helen Dudar, "From Darkness into Light: Rediscovering Georges de La Tour," Smithonian, December 1996. ***ディミトリ・サルモン「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール:その生涯の略伝」『国立西洋美術館ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展カタログ』、2005年、146頁。原典は、Jacques Tuillier, Georges de La Tour, Paris: Flammarion, 1992, 1997.