時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

仲間がいれば怖くない! アメリカ社会に定着した不法滞在者

2005年07月18日 | 移民の情景

力強いヒスパニック系移民:アメリカの未来を決める  

  アメリカの移民政策は、これまで数多くの転機を経験してきた。現在、新たな移民法案The McCain-Kennedy immigration billが議会で検討の過程にあることは、2005年6月8日「政治的存在としての国境」に紹介した通りである。

  その後、7月7日ロンドンで同時多発テロが発生した。犯人像が次第に浮かび上がり、一般市民としてイギリス国内に定着していた移民の可能性が高いとして、イギリスのみならず先進国の出入国管理・移民受け入れ政策は、大きな衝撃を受けて揺れ動き、方向性の立て直しにとまどっている。移民・外国人労働者についての論評も急激に増加している。今回のロンドン・同時多発テロで移民大国アメリカでもあの9.11の衝撃は、再び人々の心に迫真力をもってよみがえっている。

膨大な数に達した不法滞在者
  しかし、同時にアメリカでは事実としての不法移民の大きさが無視できない規模に達し、新たな対応の必要が急務となってきた。アメリカ国内には正規の入国許可に必要な書類を保持していない「書類不保持者」undocumentedとよばれる不法滞在者が、その家族をあわせると推定で1100万人を超えて居住している。
  その源をたどると、ほとんどがアメリカ・メキシコ国境を合法的な入国に必要な書類を持たずに越えた人々である。そのために、アメリカ市民、合法的な入国をした者ならば必ず持っている社会保障番号Social Security numberなどを持っていない。そのため、これまではアメリカ経済の表面に出ることはできず、いわば隠れた存在であった。

Matrículaは地上の世界に出るための切符となるか 
  しかし、しかし、最近ではこれらの主としてヒスパニック系の越境者の間に、「半合法化」のような世界で生きるためような手段を求めることが行われている。それは、不法入国後、近くのメキシコ領事館へ出向き、領事館登録matrícula consular といわれる証明書にサインする。この証明書の申請をする者の半数以上が不法入国者であるといわれている。そして8百万以上(多くは不法)の労働者が個人の納税確認番号を内国歳入庁から発行されている。彼らは社会保障カードは受給されていないが、なにかの仕事についていたり、資産を所有しており、アメリカの税金を支払うことが可能である。ある程度の経済力を蓄えた不法滞在者が生まれてきたといえる。
   エスニック・ビジネスといわれる主として同じ移民たちを対象とするさまざまなビジネス・チャンスが生まれてきた。たとえば、モバイルトレイラーを使ったメキシコ系のタコスの販売店などである。 こうした状況が展開するにつれて、アメリカ南部や西部の金融機関などで、この証明書matrículaを銀行口座、クレディット・カード、車のローンなどの開設にあたって、正式証明書と認めるようになった。ここまで到達した不法滞在者は、その次のステップとして、内国歳入庁に個人税確認番号(ITINs)を請求する。運良くこれが認められると、一般のアメリカ市民並みに税金を支払うことになる。

不法移民を対象とするビジネスの発展
  そうなると、住宅の抵当権設定などもできるようになる。従来からヒスパニック系に好意的なウエルズ・ファーゴ銀行のロスアンジェルス支店などでは銀行口座が開けるようになった。小切手を使ったり、貯蓄もできるようになる。企業はこれまで隠れていた不法滞在者の潜在的経済力に目を付けたのである。そして、これらの隠れた消費者をビジネスの対象にし始めた。 ウエルズ・ファーゴ銀行には50万人近いヒスパニック系の口座があるが、その半分以上は不法滞在者の名義であると推定されている。他の銀行・企業もこの隠れた市場に目をつけ始めた。ある調査では、不法移民の84%は18-44歳層の働き盛りである。合法的な市民の場合は60%である。これまで、地下に隠れていた労働力が活力をもって地表に出てきたといえる。ビジネス側からみると、相手が不法滞在者であっても、かれらがいまや所有するにいたった膨大な貯蓄や消費力の魅力には抗しがたくなっている。

市民の反発も
  こうした不法移民を消費者とみるビジネス主導の展開については、一般市民の根強い反発もある。過去20年以上、ヒスパニック系はアメリカ市民の賃金水準を引き下げ、学校、病院その他の公共サービスを使って、その質を劣化させていると批判され、マイナスのイメージがつくられてきた。 しかし、3200キロにもなるアメリカ・メキシコ国境は、メキシコ側からみると進入しようとすれば危険も多いが、抜け穴も多い。越境者を助け、それを商売とする悪辣なコヨーテも活躍している。国境警備をいかに強化しようとも、越境者が波のように押し寄せてくる。はてしないせめぎ合いが繰り返されてきた。そして、年月の経過とともに、アメリカ国内に次第にヒスパニック系の大きなコミュニティが形成されてきた。

アメリカ人がやらない仕事の構造化
  そして、アメリカ人労働者がほとんど就労しなくなってしまった職業が多数生まれている。たとえば、農業労働、レストランの皿洗い、芝生の刈り取りなど枚挙にいとまがない。ヒスパニック系労働者なしには、機能しない産業分野も多くなった。 しかし、アメリカ・メキシコ間には、大きな所得・賃金格差が存在している。
  現在の段階では、移民で国家を形成してきたアメリカといえども、国境を全開してヒスパニック系労働者を大量に受け入れることは、諸般の情勢からも不可能である。現在議会に上程されている法案に含まれる短期環流型の「ゲストワーカー」プログラムを導入しても、年間40万人くらいの受け入れが限度とみられている。 さらに、ゲストワーカー・プログラムを導入したとしても、アメリカで稼ぎ得た貯金などが、母国へ環流する仕組みが確立されねばならない。とりわけ、貧困に悩むメキシコ南部へ資金が流れ、活性化が図られるためには、想像を絶する努力と年月を要するといわれている。 
  現在進行しているアメリカの移民法改正は、多くのアメリカ人にとっては、にわかに受け入れがたい内容も含んでいる。しかし、NAFTA成立後の世界にとって、国境の不分明化は当然予想された変容ともいえる。 根付いた不法移民ヒスパニック系の住民の32%は、銀行口座を持っていないと推定されており、不法移民となるとその比率はもっと低くなる。
  企業は不法滞在者を商売の対象とすることに不安も抱いている。それは、公共財を浪費しているとの従来から続く批判を再燃させることにつながりかねないからだ。 他方、現在は不法に滞在しているヒスパニック系移民や家族にも一種の開き直りのような状況が定着しつつある。ヒスパニック系を中心とする外国人労働者やその家族が社会に広く定着し、彼らなしには地域の産業・企業が成立しないという状況の形成である。移民研究者たちは時に「構造的定着」structural embedednessと称している。

   これだけ増えてしまったヒスパニック系不法滞在者をアメリカ政府が、強制的に大量送還するということは、現実的にはほとんどありえなくなった。不法移民にとってみると、「仲間がいれば怖くない」という状況が形成されている。アメリカの移民政策がいかなる方向に転換するか、大変注目される決断の時が迫っている(2005年7月18日記)。

References:
Brian Crow.“Embracing Illegals” Business Week, July 18, 2005

Wayne A. Cornelius & Kuwahara Yasuo, Changing Ways of Utilizing Foreign Labor in the U.S. and Japanese Economies, Final Report Submitted to the Japan Foundation/Center for Global Partnership, 1998.

桑原靖夫編著『グローバル化時代の外国人労働者:どこからきてどこへ』東洋経済新報社、2001年

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