時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

グローバル化と労働時間

2005年07月07日 | グローバル化の断面
ご注意:長いので、時間とご関心のお有りの方だけお読みください。

  土日も仕事を家に持ち帰って働くという、仕事自体が楽しみであり、生活の中心的存在となっている「ワーカホリック」(働き中毒?)の人々を別にすれば、ほとんどの人は週末が来るのを楽しみにしているではないだろうか。週末の土日は働くことをやめて休息にあてるという慣行は、世界、といってもほとんどが先進国だが、かなり広く浸透しているといえる。

  ところが経済学者の中には、週末休日のあり方について疑問を持つ人がいることも分かった*。どうして、人は毎週同じ曜日に休む必要があるのか。経済の観点からすると、休日を分散して交替制度を導入するなど工夫すれば、今の時代に高額な機械設備を2日も休ませる必要はないのではという考えである。

失敗に終わったスターリン時代の実験
  かつてソ連の独裁者であったスターリンは、こうした考えの持ち主だった。ソヴィエットのカレンダーは、1929年に書き換えられた。労働者は5日ごとに休日を与えられた。しかし、シフト(交替制)は固定できないため、休日は、土日とは限らなくなった。一寸考えると、工場は中断することなく操業でき、効率的であるように思えた。しかし、休日の曜日が定まらないことについて、労働者は歓迎しなかった。

  1991年、 経済学者の リプチンスキー Witold Rybcynski は、余暇についての著作「週末を待ちかねて」で、スターリンが導入した4日働き1日休むこの方式は、それ以前に試みられた週6日働き1日休む方式よりも人気がなかったと記している。新しい労働・休日制では、家族も友人も同じ休日をとれなかった。行政スタッフは同じ時に働くことが少なくなった。結果として、不人気がつのり、3年経過することなく、この方式は放棄されてしまった。

文化や制度の力
  多くの人々は自分が週あるいは月にどれだけの時間働くかについて、自己中心的な行動をしていない。他の人々の行動に相互依存して働いたり、休んだりしている。他の人が同じことをすれば、傷跡は小さい。失業している青年は、友人も同様に失業していれば、耐え難いとは必ずしも思わない。
広い意味では、労働時間の長さは、文化が生み出した産物と見られる面がある。アメリカとヨーロッパでは、労働時間はかなり異なっている。

  ある調査では、1980年頃でも製造業・生産労働者の年間総実労働時間は、日本は約2162時間、アメリカは1893時間、ドイツ1719時間、フランス1759時間という統計がある。アメリカはその後、労働時間が伸び始め1997年には2000時間を上回り、統計上は日本よりも長時間労働の国となった。そして、2002年時点で両国はおよそ1950時間でほとんど肩を並べる長時間労働の国である。他方、ドイツは1525時間、フランスは1,539時間である。このように、フランス、ドイツとアメリカ、日本の差異は驚くほど大きい(厚生労働省『労働統計要覧』平成16年度版)。
  こうした違いが発生するのは、ある経済学者は、税金の違いという。また、MITの経済学部ブランシャール教授のように、アメリカとヨーロッパに住む人の生活に関わる好みの違いだという人もいる。彼はヨーロッパでは余暇の時間が高いという。

労働組合の力?
  他方、時間短縮は、労働組合の功績とする見方もある。ヨーロッパでは労働組合の力は1970年代に最も強く発揮された。労働時間はその頃から短縮され始めた。1973年の石油危機以降、ドイツの労働組合は「働く時間は短く、十分に働く」work less, work allのスローガンをかかげていた。フランスでは、組合は1981年に労働時間を39時間に下げることに成功している。さらに政府と抗争を続け、2000年には35時間にまで短縮した。EUの労働時間指令は、1993年に採択され48時間が上限とされてきた。2004年12月には欧州委員会が改正案を発表しているが、競争力についての政府の認識や労使の立場に、大きな差異がありまとまらない。

労働時間の収斂は可能か
  ヨーロッパの状況が十分理解されれば、経営者やワーカホリックスを別にすれば、多分アメリカ人も家族や友人たちの間では余暇を増やす時間短縮に賛成するのではないか。第一次石油危機の前であったが、ニュージャージーの友人の家にホームステイしていた頃、ニューヨーク市内の大銀行の支店長(クライスラー社担当)であった父親が毎日、6時30分には帰宅し、家族と食事を共にするのを知って、大変驚いたことがあった。当時の日本人は6時頃からまた仕事が始まるのではないかと思われる長時間労働の国であったからだ。日本の総実労働時間は年間2000時間をはるかに上回っていた。

ワーク・ライフ・バランスの考えは根付くか
  日本でも少しずつ知られるようになった「ワーク・ライフ・バランス」の運動は、実はこのアメリカから出発している。

  近年のヨーロッパの組合は、収入は減少させることなく、時短を要求してきた。しかし、結果として、労働コストを引き上げ、他国との競争で雇用機会を失った。

  昨年、フランス政府は35時間労働を後退させることにした。国民の間でも、「就労」より「余暇」に大きな価値が置かれてきた国だが、雇用不安や競争力維持にも配慮しなければならなくなっている。グローバルな競争は、時間短縮を労働運動の大きな目標とし、短く働き、沢山稼ぐというフランスやドイツの考えを改めさせようとしている。

注目されるジーメンス労使の今後
  イツの雇用不安は年を追って高まってきた。最近のドイツの組合は、ジーメンスやダイムラー・クライスラーの場合のように、賃上げなしで長時間働くことに同意している。たとえば、ジーメンスの労使が締結し、本年4月1日に発効した新労働協約では、2009年9月まではすべての事業所の閉鎖は回避され、解雇も実施されないが、年間所定労働時間を1575時間にまで延長することになっている。週35.8時間に相当し、金属産業における協約上の週35時間を少し上回る。旧東ドイツの東部の事業所では、年間1672時間で、同地域金属産業協定上の週38時間に同調している。

  ジーメンスの新労働協約で注目される点は他にもある。そのひとつは、ドイツ西部の事業所が対象だが、年間の所定労働時間とは別に、年50時間の労働時間を導入し、個々の従業員が自分の職業能力を向上することを目指す技能訓練に当てる仕組みである。

  そして、もうひとつの注目点は、賃金スケールの最下部に新たなグループを設定したことである。これはアウトソーシング(外注)されてしまった作業を再び事業所に取り戻そうとする条件作りとも考えられ、深刻化した雇用状況に対応しようとするものである。

  グローバル化は雇用の危機を介在して、労働時間短縮の歯車の進行を押しとどめ、逆転させそうな力を持っている。長すぎる労働時間を漸く改めようとするアメリカ、そしてグローバル競争に押されて時間短縮の歩みを止めねばならないフランスやドイツ。日本はいったいどこを目指しているのだろうか。日本は相変わらず先の見えない国である。(2005年7月7日記)


主な参考資料:
Relax! It’s the law, The Economist May 21st 2005/06/10

*Alberto Alesina and Edward Glaeser and Bruce Sacerdote, “Work and leisure in the US and Europe”: papers, nber.org/papers/w1278.pdf. Prepared for the NBER Macroeconomic Annual 2005.

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