キルヒナーという画家は見る側からすると、大変好き嫌いの振幅が大きいようだ。嫌いな人にとっては、陰鬱、不気味、退廃的な画家に映るらしい。しかし、この画家をポジティブに評価する人からすると、キルヒナーほど時代の持つ意味を深く体得し、鋭く表現した画家はいないということになる。生涯を通して、画風や対象には大きな振幅があった画家だが、特にベルリン時代の作品に優れたものが多い。戦車や軍靴の響きが聞こえてくる暗い時代を予告するような不気味さ、都市の深層に流れる底知れぬ暗い潮流を鋭利にえぐり出している。
「ポツダム広場」を東京で
さて、今ならばキルヒナーの作品のいくつかを東京で見ることができる*。以前にこのブログでもとりあげた、あの「ポツダム広場」や「日本の芝居小屋」が含まれている。キルヒナーだけではない。日独の多くの芸術家の作品が展示されており、東京とベルリンという東西の2都物語を楽しむことができる。この二つの都市は、予想外に複雑に交錯する時代的空間を共有していることが分かる。もっとも、展示作品にはどうしてこのテーマに関連するのかと思うものもあり、企画・選定にかなり無理が感じられた。「日本におけるドイツ年」の最後の催しである。
ベルリンという都市は、東京とは違った意味で変化の激しい都市であると思う。訪れるたびにその変貌ぶりに驚かされる。最初に訪れたのは、まだ「壁のあった」時代、テンペルホフ空港で目にした空港守備隊の戦車と兵士には、心臓が止まりそうな思いをしたことを今でも鮮烈に思い出す。駐機場に置かれた戦車の砲身はしっかりと到着したばかりの航空機に向けられていた。「百聞は一見にしかず」と立ち寄ったカフェ・クランツラーで単なる旅行者にすぎない私に、こちらがひるむくらいの熱心さで、東ベルリンの惨状と分かれて暮らす叔母のことを語った隣席の若者も忘れられない。同世代と思ったからだろうか。
爽やかな緑
そして、今は緑の美しい都市である。キルヒナーの緑とは異なる爽やかな色である。東京と比較すると、中心部でも人が少ない。大都市ではあるが、繁華街であるクーダム近辺を歩いても東京のような喧噪は、まったく感じられない。東京のような雑踏、ざわめきがない落ち着いた都市である。そして、なによりも、あの充実した美術館の集積には圧倒される。美術が好きな人にとって、ベルリンはパリやロンドンと並んでもはや絶対に欠かせない場所である。そして、現在さらに充実の過程にある。
Berlin-was nun?
*「東京ーベルリン/ベルリンー東京展」(森美術館、東京・六本木ヒルズ森タワー、5月7日まで)。
http://www.mori.art.museum/html/jp/index.html
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