視点を変えると、ターナーという巨匠のイメージはかなり変わってくる。この画家については、生前からかなり積極的にそのイメージをある鋳型に入れ、定型化することがなされてきた。ターナーのイメージづくりに大変貢献した人物として、ジョン・ラスキンがいたことはよく知られている。ラスキンは自らターナーの助言者(メンター)、父親代わり、そして批評家役をもって任じていた。ラスキンはターナーを生前から一貫して賞賛し続けた。ラスキンは、ターナーが国民的大画家として名を上げ、浪漫な作風で目を楽しませ、作品が国家的財産となることを望んでいた。
しかし、イメージづくりの過程でラスキンはターナーの別の側面をあえて無視していた。ラスキン はターナーの天才性を見抜いていたが、それがどこからくるものかは分かっていなかったと評論家のA.A.ジルは言う。
ラスキンの功罪
前回記したように、ターナーには暗い印象を与える絵や官能的な作品が存在することは知っていたが、ラスキンはこれらをあえて無視して評価しなかった。そして、これまで浸透してきたターナーのイメージは、おおかたこのラスキンの鋳型に鋳込まれたものだった。とはいっても、ターナーという巨匠を記憶に残すために、ラスキンが果たした大きな役割も十分認めなければならない。
しかし、ラスキンがターナーを評価したあまりにその実力がなかなか認められなかった同時代の画家もいた。ターナーはわずか27歳の時、王立美術院の正会員に推挙されたが、一歳年下のカンスタブルが正会員に選ばれたのは、26年後、画家が53歳の時であった。(ちなみに今年6月1日から8月28日までテート・ブリテンで、著名な6フィート・カンバス six-foot canvasを集めたカンスタブル特別展が開催されていた。これについても、いつか記してみたい。)
時は移ろう
しかし、ジルが指摘するように、ターナーについてはこうして創られ世に広まったイメージとは別の側面があったようだ。ジルによると、ターナーの画風にはイギリスのもうひとつの伝統でもある、ラディカリズム、非国教主義、不調和、神秘主義的側面などが深く関わっていた。それは前回に記したターナーの労働者階級という出自にもよるのだろう。
ターナーの作品はあまりに多く、油彩画約300点の内、半分くらいしか展示されたことがない。水彩画、スケッチなどは70点くらいしか展示されていないという。この画家は国民のために、すべての作品を残していったのだ。ターナーの死後これまでに実物を見た人が100人に充たないような作品も多いといわれる。
ターナーを国民的芸術家に仕立て上げるため、ラスキンはかなり取捨選択をしたようだ。ターナーが常に身辺に携えていたスケッチブックも、ラスキンの好みで優れた作品を抽出するためにばらばらにされたという。元来、旅好きの画家が特定のテーマで描いたスケッチブックの体裁が壊れてしまった。幸い、作成年月日などが付されているので、復元され新たなターナーの発見が始まっているようだ。
この画家は生涯を通して絶えず描き続けていたらしい。宴席でも退屈すると、すぐにスケッチをしていた。そのため、スケッチブックには、ワインの飛び散った跡、いたずら書き、ベルタワーや牛だけを描いた手帖もあるという。旅路の途上などでも、ある瞬間の情景をさっと描き、移ろう自然の有様を記録している。以前にもこのブログで記事にしたこともあるが、移ろい行く瞬間に画家の目と手が直ちに反応したのだろう。ターナーはその後のことなど眼中になく、まさにその一瞬を描きたかったのだ。
水彩を見る目
ターナーは油彩よりも水彩画家として著名で尊敬されていた。英国の水彩画は19世紀を通して栄えたが、その後アマチュアの引退後の楽しみになってしまった。しかし、ターナーの水彩は素晴らしいものであった。 水彩は油彩と比較して、退色が早く進む。今ではかなり色あせてしまった作品もあるらしい。とりわけ、この画家は赤色が好きであったらしい(この点もかつてブログで書いたことがある。)しかし、いずれにせよ、ターナーの水彩技法は空前絶後のものであった。
水彩画を鑑賞するには、油彩画とは違った見方が必要であるとジルはいう。「水彩画を見る最も良い方法は、ガラスを通さず、近づいて見ることだ。絵の力、輝きと親密さがあなたの頭脳を燃え上がらせ、目をきらきらさせるだろう。」
References
ターナー References オリヴィエ・メスレー(藤田治彦監修、遠藤ゆかり訳)『ターナー 色と光の錬金術』創元社、2006年 (Olivier Meslay. Turner: L’incendie de la peinture. Paris: Gallimard)
"Turner The Making of a master "by A.A.Gill. The Sunday Times Magazine, June 4, 2006.