時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

医師が余る日が来る?

2006年09月08日 | グローバル化の断面

  このブログでも時々取り上げてきた日本の医療問題だが、「医師の需給に関する検討委員会報告書*が公表された。たまたま医療・看護スタッフに関する小さな調査に関係したこともあって、昨年末に公表された「看護職員需給見通しに関する検討会報告書」**と併せて読んでみた。後者はすでに読んでいたが、改めて読みなおした。どちらについても、空虚な読後感が残るばかりである。地方の医師不足の危機ばかりでなく、日本の医療・看護は問題山積である。しかし、これらの報告書はあまりに楽観的で、すでに露呈している問題を指摘するばかりで、踏み込んだ実効性のある対応策をほとんど示していない。

需給を超える問題
  医療・看護の実態に多少なりとも立ち入ってみれば明らかな通り、問題は単なる需給の数合わせが作業の内容ではないはずだ。これらの報告書を読んで、誰も今は医師が足りなくても、2020-2025年には医師は過剰になるといわれて、納得するだろうか。あるいは看護師も今は不足しているが、次第に需給が収斂して行くと思うだろうか。日本の将来について国民の多くが感じている漠然たる不安の背景には、将来の健康、医療支援の仕組みへの信頼度が揺らいでいることも大きい。

  医師についての報告書は現在は医師も不足しているが、いずれ供給も増え、生産性も向上し、疾病予防など需要の適正化がはかられ、15-20年すれば需給は一致するとしている。しかし、医学部の定員を少し増やし、地域間の流動性を多少増やしたところで、日本の医療の危機が解消するとはとても思えない。日本人の病院志向が短い期間に顕著に変わるとも思われない。現在の危機は、過去の誤った判断(医学部定員削減など)の上に成立しているともいえる。このままでは人口推計の誤りをまた繰り返すようなことになりかねない。

  医師を含めて、医療・看護スタッフの増加をはかるには教育・養成制度から始まって、長い時間が必要である。実効が感じられるまでには長い年月を要する。医師や看護師の増員をはかり、流動性を増進するについても、かなり多数の施策を強力に導入しなければ効果が見えてこないだろう。ばらばらな施策の体系化も必要である。

必要なグローバルな視点
    報告書にはさまざまな疑問がある。ひとつの例を挙げてみよう。この予測では医師の数を増やすのは「新しく養成するか」、「外国から招聘する」のいずれしかないが、外国人医師の受け入れは国際的に医師の頭脳流出が問題視され、批判を浴びているので有効ではないと初めから検討自体を斥けている。

  それでは、どうして政府は看護師については受け入れることにしたのか。医師は受け入れないが、看護師は受け入れるという決定自体理解しがたい矛盾である。

  それ以上に、グローバル化が進む時代で、医療、看護スタッフ、そして患者がすべて日本人のみというイメージ自体が時代錯誤である。こうした純血主義はきわめて恐ろしい。

  いくら形の上では専門的職業の開放をうたい、在留資格に「医療」を掲げても、運用で入れなくするという日本のお得意の対応が続いている。

  グローバル化の怒濤は容赦なく押し寄せてくる。むしろ、医療・看護の国際化が不可避であることを前提にして、いかに日本の医療・看護体制を再構築するかという視点に立てないのだろうか。外国人とさまざまな場での相互経験を積むことなしには、医療・看護も進歩はないし、国際化を語っても空論にすぎない。


References
*厚生労働省『医師の需給に関する検討会報告書』、平成18年7月
**厚生労働省『第六次看護職員需給見通しに関する検討会』報告書、平成17年12月26日

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