時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

完璧な赤:コチニールの秘密

2006年10月24日 | 書棚の片隅から
  日本は翻訳文化が栄えていて、文学などもかなりの数の作品を外国で原著が出版されてから比較的早く、日本語版で読むことができる。これは、読者にとってはきわめて有難い。もちろん、翻訳される作品には偏りもあるし、翻訳書に頼る功罪があることはいうまでもないが、自分の知らない外国語の場合は大歓迎である。

  ふと立ち寄った書店で『完璧な赤』*というタイトルの書籍が棚にあるのに気づいた。半年ほど前に同じようなタイトルの赤色染料の歴史についての英語版を読み終えたばかりだったので、一瞬目を疑った。手にとってみると、やはりその本の翻訳であった。いわゆるきわものの書籍ではなくどちらかというと読者は限られている分野なのだが、どうしてこんなに早く翻訳が出てきたのだろうと思った。

  著者のエイミー・バトラー・グリーンフィールドは、オックスフォードでスペイン帝国史を講じたこともある。家業は代々、繊維の染料を作っており、現在もニューイングランドの紡糸・染物ギルドのメンバーでもある家系に生まれた。この書籍は2000年にPen/Albrand prize for First Non-Fiction を受賞している。

  
このブログでラ・トゥールの赤色の画材に関連して、コチニールの発見、探索のことを記したことがあるが、グリーンフィールドの本書は、まさにこのコチニールの発見とその貿易をめぐる当時のヨーロッパ諸国での争いにスポットライトに当てた著作である。ヘルナン・コルテスによるアズテック市場での発見以来、この完璧な赤を発色するコチニール染料は、スペイン王室、商人、繊維業者、薬種商、海賊などの争奪の対象となった。

  赤色は中世以来高貴な色としてヨーロッパなど各国の王室、繊維業者などの間で争って求められたが、とりわけコチニールは16世紀以来長い間、その原料や原産地が交易上の最大機密として秘匿されたこともあって、謎は謎を生んできた。実際、この美しい赤色顔料・染料の原料は思いもかけないものであり、当時の分析技術をもってしては分からなかったのも当然と思われる。ラピスラズリのように、古い歴史を持ち、顔料の組成が容易に分かるものではない。

  こうしたこともあって、コチニールについてはかなりの研究が生まれたが、グリーンフィールドはこの稀有な染料の発見、交易、争奪の過程に焦点をしぼって興味深いストーリーに仕立て上げている。ラ・トゥールが「赤の画家」であることも、すでにブログで記した。17世紀前半のラ・トゥールやフェルメールの時代には、コチニール赤は、ヨーロッパではかなり広範に浸透していたはずである。今後、作品に使われた画材の研究などが進むと、コチニールと画家の世界をめぐるさらに新たな発見も期待される。「青の世界」ばかりでなく、「赤の世界」もかなり面白くなってきた。



References
Amy Butler Greenfield. A Perfect Red: Empire Espionage and the Quest for the Colour of Desire. Black Swan ed. London:
Transworld, 2005
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エイミー・B・グリーンフィールド(佐藤桂訳)『完璧な赤』早川書房、2006年
コメント
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