時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

医療不安はなぜ拡大しているのか

2006年10月17日 | グローバル化の断面

  日本では今は医師も看護師も人手不足だが、10数年すれば、需給が一致したり、余ってくるという厚生労働省関係の予測は、どの程度信頼しうるものだろうか*医師についての予測では供給側で、1)医師数を増加させるとともに、2)医師および医療システムの生産性を向上させるとしている。他方、需要側で1)予防の強化、2)外来需要の適正化、3)入院需要の削減を上げている。

  これらは、基本設定としては誤りではないが、具体的な次元に立ち入ると、数多くの問題がある。そのひとつの例は、このブログでも指摘したように、國際的視野がほとんど欠如している。

  医師や看護師の需給を規定している条件は、供給側が非弾力的で、簡単に増減は期待できない。なかでも医師については、不足地域の国公立大学医学部の定員を多少増やすことを認めたところで、その効果が見えてくるのは早くても10年くらい先のことになる。これが緊急の問題に対する実効ある政策とは、多くの医療関係者は考えていない。何もしないよりはまし程度の受け取り方が多い。医学部定員については最大限規制を緩める努力をすべきではないかと思う。もちろん、医師国家試験は厳正に維持、実行されるべきことはいうまでもない。

  他方、医療や看護への需要はきわめて強く、結果として下方硬直的である。短い期間に横ばいあるいは純減へと向かう可能性は少ない。かなり良く考えられた施策を強力に導入したとしても、やや伸びを抑えることができる程度だろう。高齢化の一層の進行などを前提とすれば、医療・看護・介護への需要はきわめて強いとみるべきだろう。

  今後の医療・看護の労働市場を判断するひとつの重要な材料として、近年のアメリカ経済における病院などのヘルスケア分野の雇用機会拡大がきわめて顕著なことに着目したい。2001年以降、170万人の新たな仕事がヘルスケア分野で創出されてきた。この中には製薬や医療保険の分野も含まれている。

  特に注目すべきは、5年前と比較してヘルスケア以外の民間部門の仕事の数は、ほとんど増えていないことである。例外は住宅関連(94万人)と(病院を除く)公務分野(90万人)だけである。しかし、住宅産業の雇用増加も民間分野の雇用減で相殺されてしまった。結果として、雇用の純増部分はヘルスケア分野が生み出していることになる。高齢化の進む日本では、アメリカ以上に、この分野の需要が拡大することはほぼ間違いない。アメリカの医療・看護分野の方向が良いとは思わないが、変化の基調として留意すべき点である。

  医療・看護サービスは、人間の健康、生命にかかわるだけに市場メカニズムに委ねて、報酬水準などの労働条件などに誘引されて、病院からクリニック開業などへ一方的に流出してしまうのも問題である。地域によっては、病院の医療水準の高さや地域貢献などを基準にして、拠点病院へ助成をすることなども考える必要があろう。病院と診療所の関係にみられるように、どちらかが減れば、他方が増えるという代替関係も発生する。中期的には診療所間での淘汰も進むだろう。
 
  医療・看護・介護の分野は、基本的に人間のサービス供与が欠かせない点で、製造現場のようにロボットで代替するというわけには行かない。人材養成には多くの時間と投資が必要である。起こるべき連鎖反応を十分考え、かなり弾力度を持った政策を準備していないと、変化に対応できない。医師ばかりでなく看護・介護分野などでの劣悪な労働条件改善のための措置も必要である。地域の拠点病院の労働条件の改善は、かなり切迫した課題である。

  現在の日本をみるかぎり、これから国民のヘルス・ニーズにいかなる体制をもって応えようとするのか、ヴィジョンが見えてこない。むしろ、ヴィジョン自体がほとんど描けていないというべきだろう。最近の医師不足をめぐる議論*をみても、しっかりとした構想が提示されていないことが、多くの不安を生んでいることが分かる。

  高齢化の一層の進展、より質の高い医療・看護・介護を求める日本の実態を見る限り、医療費負担の増加などが、早期に顕著な需要抑止効果をもたらすとは思えない。もちろん、医療費の無駄を抑止する政策は必要だが、質の高い医療需要への欲求というポジティブな面にも適切な配慮をすべきだろう。国民が求める医療・看護の質的改善への欲求はきわめて強い。この段階にいたって国民皆保険のPRを聞かされても、空虚な思いがするばかりである。

  市場機構に委ねるばかりでなく、十分検討されたルールに基づく誘導システムの導入が欠かせない分野である。政策間の整合性を高め、実効性ある政策を導入し、単なる需給の数合わせの次元を越えることが求められている。



Reference
"What's Really Propping Up the Economy." Business Week, September 25,2006.

* 10月13-14日にはNHKで「医師不足の実態」について特別番組が放映されたが、構想なき日本の縮図を見る思いがした。

コメント (2)
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