時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ベルリンに光は戻るか

2006年10月10日 | グローバル化の断面

  東京のような人口が多く、活気のある都市からベルリンへ行くと、フリードリッヒ・パッサーゲンのようなショッピング地域でも混雑しているという感じは受けない。未来の都市を思わせるようなポツダム広場のあたりも静かに落ち着いた感じである。博物館島も次第に新たな姿を見せており、完成が楽しみな段階に入っている。統合ドイツの首都としての新たな姿を整えつつある。少なくも行きずりの旅行者にはそう見える。

  しかし、この都市の実態はかなり憂慮すべきものであるらしい。最近のThe Economist *が伝えているところでは、失業率は17%以上、市の抱える負債は630億ユーロ(800億ドル)に達している。少し、立ち入ってみよう。クラウス・ヴォーヴェライト 市長は社会民主党だが、就任以来、公務員の報酬カットなどを実施し、財政建て直しに懸命である。他方、市民の政治への関心はあまり高くない。投票率も58%と低迷し、13.7%は少数党への投票者だった。 政治的にも難しい状況である。

  1990年の東西ベルリン統合後、ベルリンは各種産業のハブとなり、中欧への幹線路の中心となるはずだった。ところが実際にはベルリンは製造業の3分の2近くを失った。競争力がなく他の地域へ移転してしまった工業も多い。製造業に雇用されているのは、人口340万人のうち10万人以下にすぎない。

  統一後、市の資金は枯渇し、官庁街のブランデンブルグ門近辺やフリドッリヒ・シュトラッセなど一部を除くと、貧困の色が濃い。目抜き通りには世界のブランド・有名店が並び、一見繁栄しているかに見えるのだが、実態は裏付ける産業のないショッピングモールのような状態だといわれる。確かに冷戦時代はベルリンは、西側陣営の最先端ファッションを誇示するショッピング・ウインドウであった。

  しかし、統一後も実態はあまり変わりないらしい。競争力のない企業が多く、巨大な官僚機構、福祉依存風土などが支配的といわれる。早急に産業基盤の充実が必要とされており、実際にある程度進行はしている。ソフトウエア、メディア、広告分野などでは雇用は拡大している。しかし、雇用創出が追いつかず貧困は徐々に拡大・浸透している。夜は表通り以外は歩くなと友人から言われたが、危険な所も増えているらしい。

  戦前はベルリンは世界をリードした都市だった。なぜ首都の繁栄が取り戻せないのだろうか。これについては、活性化の源となる企業家精神が不足していて、ベルリン市民の半分近くに、福祉依存で生活するメンタリティが広がっているのが原因といわれる。

  新市長は政治的なプレゼンスの意味もあるが、こうした都市体質の改善にこれからの5年をかけると、意気軒昂らしい。今でも「貧しくとも魅力あるセクシーな」都市だという。

  ベルリンは高いスキルのある人材を引き寄せるのにうまくいっていない。熟練・専門スタッフについても、ドイツ人ど同等条件ではなかなか受け入れられない。語学学校でも2ヶ国語ができるスタッフを維持するのが難しい状況らしい。イギリス人だったイシャウッドが英語教師に出向いたあの1930年代を思い出してしまう。創造的な産業は生まれてはいるが、失業者を吸収するには程遠い。

  しかし、夜の繁華街は歓楽・飲食を中心にかなり賑わっているらしい。1930年代にイシャウッドが描いたように、これはどうもベルリンの特殊性のようだ。ベルリンの闇は今も深い。

References
* 'Berlin: Poor but sexy’ The Economist September 23rd 2006.

熊谷徹『ドイツ病に学べ』新潮社、2006年
本書は、短い旅路の途中で読んだドイツ在住のジャーナリストによるドイツ経済・社会の現状に関するかなり厳しい分析・論評である。

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