雑誌を拾い読みしていて見つけた面白い?記事*をひとつ。
「煙突掃除人」 chimney sweeps という職業については、イギリスの労働史、そしてなによりもディケンズの小説『オリヴァー・ツイスト』で知って以来、かなり関心を持ってきた。『オリヴァー・ツイスト』には、19世紀ロンドンでの悪党の煙突掃除人ガムフィールドによって酷使されていた子供たちの状況が克明に描写されている。
暖炉のある古い家で煙突があると、煤がたまるので時々掃除をしなければならない。そこで煙突掃除人という仕事が生まれたのだが、煤が詰まり、狭く危険な煙突内の仕事には、身体の小さな子供たちが使われた。最も過酷な仕事をさせられる児童労働者の象徴であった。当然、死亡率も高かった。
ところが、ドイツでは黒い帽子をかぶり、ぐるぐると巻いたワイヤーブラッシを肩にかけた煙突掃除人 Schornsteinfeger は幸運を持ってくる人として美化されている。これに対して、域内市場に関するヨーロッパ委員会の指令が、競争から煙突掃除人を保護する古めかしいドイツの法律を問題にしている。
ドイツのおよそ8000近い地域では、二人以上の掃除人を抱える親方掃除人たちが、ほとんど完全な地域独占をしているとの指摘である。煙突掃除は民間の仕事ではあるが、メンテナンスと検査は強制的であり、価格は地域自治体が定めている。
そして、掃除人は該当地域外では仕事はできず、家庭側も掃除人が嫌いでも変えることができない仕組みである。仕事をしたくない顧客もいると掃除人の側にも不満がある。
こういう関係が生まれたのは、ドイツでは煙突掃除および関連するガス・暖房メンテナンスは公共安全の問題とされてきたからである。1年あるいは半年に1回の巡回が義務付けられていて、掃除人は一年中忙しい。
ヨーロッパでは煙突掃除は遍歴職人の仕事とされてきたが、ドイツでは1937年に当時の内務大臣ハインリッヒ・ヒムラーによって煙突掃除法が改正され、当時は掃除人を地域に束縛し、地域のスパイとして利用するために彼らはドイツ人であることが布告された。
法律は1969年に改正され、地域的独占はそのままに、職業機会は開放され、理屈の上ではドイツ人でなくとも就業できることになった。しかし、実際には外国人が就くことはほとんどない。4年前にカイザースラウテルンで1人の勇敢なポーランド人がマイスターとしての資格を取得し、今年はイタリア人がラインランドのパラティネートで掃除人となった。しかし、他のドイツ人のマイスターと同様に、自分の地域を割り当てられて仕事をするまでには、空き待ちリスト上で何年か待たねばならないという。
ヨーロッパ委員会は、工務店や鉛管工のように、ユーザーが自由に掃除人を選べるような競争的市場を要請している。委員会は2003年に従来の仕組みを改めるよう求め、ドイツ政府も法律改正を約したがうまく行かなかった。
その後も、ブラッセルとの間でやり取りがあったが、ドイツ政府は安全上の理由でこの時代がかったシステムを廃止することを渋っている。フランクフルトの掃除人は炭素化合物による中毒死もフランスやベルギーの十分の一くらいだと主張している。結果はどういうことに落ち着くのだろうか。グローバル化に抗するローカリズムのひとつの表れとしても興味深く、行方を見守りたい。
Reference
‘Chimney sweeps under fire.’ The Economist October 21st 2006.