我が家は幸いにして、賑やかな年末年始を送りました。
数千人規模の「派遣切り」とか「解雇」のニュースが飛び交う年末年始でした。
「未曾有」という言葉が、何度も使われ、100年に一度の経済危機とも表現されます。
今年60歳になろうとしてものとしては、「100年に一度」といわれると、未体験の歴史として教えられた情報などを繋ぎ合せて、想像するばかりです。
年末の段階で解雇され行き場のない人たちに対して、「年越し派遣村」ができたとか。また厚生労働省の講堂も解放したとか報道されていました。
9.11のニューヨークでのテロ事件のとき、日本領事館が不安でやってくる同胞を、強面の人を雇って追い返したとか見聞きしたのに比べて、随分前進です。
中には、今回解雇になった人を対象に、求人募集の話題も出始めています。
3Kの仕事だったり、低賃金だったり、期間制限があったり、で満足がいくものではないかも知れません。
でも、仕事と住むところが確保できれば、という言葉を聞くと、「生きていくところの基本」を手探りで求めようとしている姿に思えます。
「働く世代の「気概」が失せることのないように仕事を作る」
本来資本主義社会では、自然発生的に大なり小なり、企業が役割を果たしていたのでしょう。その企業が自分の存続で手一杯になっている今、自治体が何とか、手だてを考えられないものか・・・。
年末年始の最中、迎春時に不似合いなニュースが流れる度に、そんなことなどを考えたりしていました。
100年前といわないでも、60余年前に日本は敗戦を体験しています。
これさえ私は不知で、親から聞いた話になってしまいます。
当時、大陸から多くの人たちが着の身着のままで、引き揚げてきたそうです。
北陸の小さな田舎町にも当然そんな引揚者はいました。
その時、役場の前の一角は、引揚者が青空市場を開いてもいい、という区域になっていたということです。
中国の青島から引き揚げてきた叔母さん夫婦は、そこで信州リンゴを売ったりしたそうです。仕入れは信州まで買い出しに行ったそうです。勿論汽車は超満員のすし詰め。男女二人連れだと信用してもらえるということで、母親も仕入れに何度か行ったとか。「汽車の窓から無理やり乗ったりもしたんだよ」と(その頃の叔母さんや母らは30歳前後です)。
これは、戦後のニュース映画で見たシーンを思い浮かべます。
そして、昨今の派遣切りで困っている世代に重なります。
食べていかなくてはならないのです。
親世代は、あの戦後の窮場もなんとか凌いできているのです。
今の経済危機は国の制度が瓦解しているわけでもなく、60余年前ほどの困難ではないのかも知れません。
でも、みんながそう困難でないときに、自分が困難であることは、もっと辛いかも知れません。
国が定額給付金などと言っていますが、遠い向こう、です。
近い自治体が、現状把握と対策に乗り出したらいいのなー。
うーん、独り言になってしまいますね。
数千人規模の「派遣切り」とか「解雇」のニュースが飛び交う年末年始でした。
「未曾有」という言葉が、何度も使われ、100年に一度の経済危機とも表現されます。
今年60歳になろうとしてものとしては、「100年に一度」といわれると、未体験の歴史として教えられた情報などを繋ぎ合せて、想像するばかりです。
年末の段階で解雇され行き場のない人たちに対して、「年越し派遣村」ができたとか。また厚生労働省の講堂も解放したとか報道されていました。
9.11のニューヨークでのテロ事件のとき、日本領事館が不安でやってくる同胞を、強面の人を雇って追い返したとか見聞きしたのに比べて、随分前進です。
中には、今回解雇になった人を対象に、求人募集の話題も出始めています。
3Kの仕事だったり、低賃金だったり、期間制限があったり、で満足がいくものではないかも知れません。
でも、仕事と住むところが確保できれば、という言葉を聞くと、「生きていくところの基本」を手探りで求めようとしている姿に思えます。
「働く世代の「気概」が失せることのないように仕事を作る」
本来資本主義社会では、自然発生的に大なり小なり、企業が役割を果たしていたのでしょう。その企業が自分の存続で手一杯になっている今、自治体が何とか、手だてを考えられないものか・・・。
年末年始の最中、迎春時に不似合いなニュースが流れる度に、そんなことなどを考えたりしていました。
100年前といわないでも、60余年前に日本は敗戦を体験しています。
これさえ私は不知で、親から聞いた話になってしまいます。
当時、大陸から多くの人たちが着の身着のままで、引き揚げてきたそうです。
北陸の小さな田舎町にも当然そんな引揚者はいました。
その時、役場の前の一角は、引揚者が青空市場を開いてもいい、という区域になっていたということです。
中国の青島から引き揚げてきた叔母さん夫婦は、そこで信州リンゴを売ったりしたそうです。仕入れは信州まで買い出しに行ったそうです。勿論汽車は超満員のすし詰め。男女二人連れだと信用してもらえるということで、母親も仕入れに何度か行ったとか。「汽車の窓から無理やり乗ったりもしたんだよ」と(その頃の叔母さんや母らは30歳前後です)。
これは、戦後のニュース映画で見たシーンを思い浮かべます。
そして、昨今の派遣切りで困っている世代に重なります。
食べていかなくてはならないのです。
親世代は、あの戦後の窮場もなんとか凌いできているのです。
今の経済危機は国の制度が瓦解しているわけでもなく、60余年前ほどの困難ではないのかも知れません。
でも、みんながそう困難でないときに、自分が困難であることは、もっと辛いかも知れません。
国が定額給付金などと言っていますが、遠い向こう、です。
近い自治体が、現状把握と対策に乗り出したらいいのなー。
うーん、独り言になってしまいますね。