左目の歴史を振り返って。(なんと、こんなことも書くか、のレベルです。苦笑)
高校時代に左目が仮性近視になり眼科に通院し始めるも、改善せず。
そういえば、受験勉強中はアリナミンが眼精疲労に良いということで常備薬でした。
メガネが不似合いの顔ということもあり、左目だけコンタクトレンズを装着。
当時(昭和42年頃)のレンズはガラス(!)だったように記憶しています。
大學時代は、高校時代のように黒板の文字と毎時間にらめっこ、という生活ではなくなり、右目の視力で足りることもあり、付け心地の悪いコンタクトレンズも使わなくなりました。
そして就職。
就職に際しての健康診断の視力検査がありました。
左目、当然よく見えません。
なんとか、と、細目をしたり、の苦心顔になります。
検査のおじさんに、なんでそんな(みっともない)顔をするのか。と軽口を言われたものです。
26歳で運転免許取得。
左目0.3でした。
右目が0.7以上あるので、メガメ不要ではあるのですが、私だけ別に、右目で見える視野の角度の検査を受けました。
50代半ば。
視力がよかった右目が老眼になり、老眼鏡を作りました。
左目は近視です。
そのため、右目だけが老眼レンズ、左目は度なしレンズに。
仕事はデスクワークで、パソコンの前に座っていますので、仕事場=老眼鏡姿、になりました。
いざとなれば、近いところは近眼右目で見ることができるので、買い物時の商品の説明書きや値段表示はメガネ不要、という生活です。
60歳。
老眼鏡を2度作り直していたけれど、なんだか左目の見え具合が衰えているように感じて、再度メガネ屋さんに。
左目の見え具合は、近視が進行したのではなく、別の原因だと思うので、眼科に行ってください、と言われる。
63歳~
ガーデニングをしていても、凸凹の前方へ足を一歩出す時が、用心深くなる。想定と狂った高低差だと、弱い膝にも痛みが走る。
段差を下る時も、つい一旦立ち止まっている自分に気づく。
64歳。
鍼灸院で体調のチェックを受けた際に、左目の視力が尋常でないことが判明。
帰りに、眼科のある総合病院を受診。
相当進んだ白内障と診断され、手術を決める。
手術日が12月になるということで、別の病院に紹介状を書いてもらう。
64歳の7月。
F大學病院を受診。
白内障の手術日が9月10日に決まる。
遠近両用の多焦点レンズを挿入することを選択。
長らく近視だった左目の視力が正常化し(右目視力1.2相当になる)、近くも見える(かつ左目は老眼鏡不要)との説明に期待。
64歳9月10日。
手術。
目の手術準備をしている時に、「名前を表示しませんので、写真を撮らせてください」という申し出がありました。
「目のモデル」です。
イエ、正しくは
「目玉のモデル」でしょう。苦笑
学会資料用に使うのか、眼科手術の広告用ホームページに使うのか、そんなことを思いながら、目玉のモデルになりました。
手術も心して成し遂げてくれるだろうという期待もも一層高まりつつ、です。
9月11日。
眼帯を外すと、前記事に書いた通り、3Dの世界!
長らく右目で見てきた(左目は働いていなかった?)のだけれど、私の左目も見てくれ始めたのです。
9月13日。
まだ、3Dの世界!的な感動余韻のなかにいます。
鏡の中の自分の顔も、手術前と違うのです。入院で自分の顔が変わったのではなく、前から私ってこうだったのだ、と自分に言い聞かせる、の図です。アッハハ
景色が違って見えます。
景色が違ったのではなく、これが見えている人の「普通」だったのですね。
まだ、「左目で手元も自在に見える」までは行っていません。
徐々に、でしょうか。
期待大、です。
以上。
高校時代に左目が仮性近視になり眼科に通院し始めるも、改善せず。
そういえば、受験勉強中はアリナミンが眼精疲労に良いということで常備薬でした。
メガネが不似合いの顔ということもあり、左目だけコンタクトレンズを装着。
当時(昭和42年頃)のレンズはガラス(!)だったように記憶しています。
大學時代は、高校時代のように黒板の文字と毎時間にらめっこ、という生活ではなくなり、右目の視力で足りることもあり、付け心地の悪いコンタクトレンズも使わなくなりました。
そして就職。
就職に際しての健康診断の視力検査がありました。
左目、当然よく見えません。
なんとか、と、細目をしたり、の苦心顔になります。
検査のおじさんに、なんでそんな(みっともない)顔をするのか。と軽口を言われたものです。
26歳で運転免許取得。
左目0.3でした。
右目が0.7以上あるので、メガメ不要ではあるのですが、私だけ別に、右目で見える視野の角度の検査を受けました。
50代半ば。
視力がよかった右目が老眼になり、老眼鏡を作りました。
左目は近視です。
そのため、右目だけが老眼レンズ、左目は度なしレンズに。
仕事はデスクワークで、パソコンの前に座っていますので、仕事場=老眼鏡姿、になりました。
いざとなれば、近いところは近眼右目で見ることができるので、買い物時の商品の説明書きや値段表示はメガネ不要、という生活です。
60歳。
老眼鏡を2度作り直していたけれど、なんだか左目の見え具合が衰えているように感じて、再度メガネ屋さんに。
左目の見え具合は、近視が進行したのではなく、別の原因だと思うので、眼科に行ってください、と言われる。
63歳~
ガーデニングをしていても、凸凹の前方へ足を一歩出す時が、用心深くなる。想定と狂った高低差だと、弱い膝にも痛みが走る。
段差を下る時も、つい一旦立ち止まっている自分に気づく。
64歳。
鍼灸院で体調のチェックを受けた際に、左目の視力が尋常でないことが判明。
帰りに、眼科のある総合病院を受診。
相当進んだ白内障と診断され、手術を決める。
手術日が12月になるということで、別の病院に紹介状を書いてもらう。
64歳の7月。
F大學病院を受診。
白内障の手術日が9月10日に決まる。
遠近両用の多焦点レンズを挿入することを選択。
長らく近視だった左目の視力が正常化し(右目視力1.2相当になる)、近くも見える(かつ左目は老眼鏡不要)との説明に期待。
64歳9月10日。
手術。
目の手術準備をしている時に、「名前を表示しませんので、写真を撮らせてください」という申し出がありました。
「目のモデル」です。
イエ、正しくは
「目玉のモデル」でしょう。苦笑
学会資料用に使うのか、眼科手術の広告用ホームページに使うのか、そんなことを思いながら、目玉のモデルになりました。
手術も心して成し遂げてくれるだろうという期待もも一層高まりつつ、です。
9月11日。
眼帯を外すと、前記事に書いた通り、3Dの世界!
長らく右目で見てきた(左目は働いていなかった?)のだけれど、私の左目も見てくれ始めたのです。
9月13日。
まだ、3Dの世界!的な感動余韻のなかにいます。
鏡の中の自分の顔も、手術前と違うのです。入院で自分の顔が変わったのではなく、前から私ってこうだったのだ、と自分に言い聞かせる、の図です。アッハハ
景色が違って見えます。
景色が違ったのではなく、これが見えている人の「普通」だったのですね。
まだ、「左目で手元も自在に見える」までは行っていません。
徐々に、でしょうか。
期待大、です。
以上。