自治会の敬老会があった。
民生委員として初めて出席。
老人会の参加資格は60歳以上なのだけれど、敬老会の出席対象は72歳以上だとか!
高齢者の人数が多くて、予算やコミニティーセンターのスペースの関係らしいです。
お茶菓子と飲み物が出て、その後昼食とアルコールも。
2時には散会になった。
帰りの道すがら、腰を曲げがちに歩を進めていたご近所の80代の方の荷物を代わって持つことが出来た!
ほっ。
実は、先日金沢の武家屋敷界隈を散策した時に、2泊3日の着替えの入った荷物を男性の友人に持ってもらったのです。お互い60代。悪いなー、という思いはつのるものの、結構暑い日で、ワタシが持ちながらだとグロッキーになりそうなのも事実でした。
その体験から1週間あまり。なので、今日、ワタシが「荷物を持ちましょをう」と言え、一緒にゆっくり歩いて帰路につけたことがよかった、と思えました。
もう一つ、よい出会いがありました。
ふと立ち話が耳に入って、話題に混ざったのが切っ掛け。
敗戦で朝鮮から引き揚げてきた経験を持つ方、でした。
20代後半に、友人らとしていた読書会でであった「棄民」という本が、外地での苦難の知り始めでしょうか。父がシベリア抑留者だから、そのあたりの話は子供時代から聞いてはいましたけれど。
それ以来、本を読んだり、映像を見たり、で関心を寄せていたものです。藤原ていさんの本「流れる星は生きている」の、子連れでの引揚げの様子、いくつかのシーンは今でも思い起こせます。
で、その彼女の話。
今の北朝鮮で一緒に引揚げようとしていた母親を亡くしたそうです。
小6の姉、小4の兄、小1のご自分、そして弟の4兄弟は孤児になったというのです。
で、その後どうして?と尋ねると、孤児院に入ったと。その孤児院は、引揚げる日本人が作ったということです。立ち話ですから、詳細は後日。その経緯を本にも書いているそうで、本を送ります、ということで、その場での話は終わりました。
戦争で兵として満州に渡っている父のこともあり、自分になにかできないかと、残留孤児に日本語を教えるボランティアに加わったこともあります。
ほんの通りすがりのような時間でしたが、次にまたお話ができる人に会えた気がしました。
帰り際に、その方が「今日の敬老会に出てよかった」と私に挨拶しに来てくださいました。
彼女の本と今春に北朝鮮に墓参した時の新聞記事を送ってもらうことになりました。
(金正雲の政策でか、赤十字を介しての交渉がまとまり、70年近く経って、ようやく実現した墓参なのです。)
また、バラの季節にでも、お立ち寄りください、と言える知り合いになれるようで嬉しいです。
民生委員として初めて出席。
老人会の参加資格は60歳以上なのだけれど、敬老会の出席対象は72歳以上だとか!
高齢者の人数が多くて、予算やコミニティーセンターのスペースの関係らしいです。
お茶菓子と飲み物が出て、その後昼食とアルコールも。
2時には散会になった。
帰りの道すがら、腰を曲げがちに歩を進めていたご近所の80代の方の荷物を代わって持つことが出来た!
ほっ。
実は、先日金沢の武家屋敷界隈を散策した時に、2泊3日の着替えの入った荷物を男性の友人に持ってもらったのです。お互い60代。悪いなー、という思いはつのるものの、結構暑い日で、ワタシが持ちながらだとグロッキーになりそうなのも事実でした。
その体験から1週間あまり。なので、今日、ワタシが「荷物を持ちましょをう」と言え、一緒にゆっくり歩いて帰路につけたことがよかった、と思えました。
もう一つ、よい出会いがありました。
ふと立ち話が耳に入って、話題に混ざったのが切っ掛け。
敗戦で朝鮮から引き揚げてきた経験を持つ方、でした。
20代後半に、友人らとしていた読書会でであった「棄民」という本が、外地での苦難の知り始めでしょうか。父がシベリア抑留者だから、そのあたりの話は子供時代から聞いてはいましたけれど。
それ以来、本を読んだり、映像を見たり、で関心を寄せていたものです。藤原ていさんの本「流れる星は生きている」の、子連れでの引揚げの様子、いくつかのシーンは今でも思い起こせます。
で、その彼女の話。
今の北朝鮮で一緒に引揚げようとしていた母親を亡くしたそうです。
小6の姉、小4の兄、小1のご自分、そして弟の4兄弟は孤児になったというのです。
で、その後どうして?と尋ねると、孤児院に入ったと。その孤児院は、引揚げる日本人が作ったということです。立ち話ですから、詳細は後日。その経緯を本にも書いているそうで、本を送ります、ということで、その場での話は終わりました。
戦争で兵として満州に渡っている父のこともあり、自分になにかできないかと、残留孤児に日本語を教えるボランティアに加わったこともあります。
ほんの通りすがりのような時間でしたが、次にまたお話ができる人に会えた気がしました。
帰り際に、その方が「今日の敬老会に出てよかった」と私に挨拶しに来てくださいました。
彼女の本と今春に北朝鮮に墓参した時の新聞記事を送ってもらうことになりました。
(金正雲の政策でか、赤十字を介しての交渉がまとまり、70年近く経って、ようやく実現した墓参なのです。)
また、バラの季節にでも、お立ち寄りください、と言える知り合いになれるようで嬉しいです。