日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

今年の夏の甲子園の高校野球は第100回大会だという。

2018-08-06 08:05:08 | 私の雑感あれこれ
思えば遠くへ来たものだ。

私は、50回大会だという時期を覚えている。
その夏は、甲子園も近い、国道2号線沿いにある叔母の家を訪ねていた。
50回という節目の大会だから、皇太子夫妻が開会式に来られるということで、その車列を国道沿いで眺めた記憶がある。

勿論、高校野球を見たいと思うタイプでもないし、その家の屋上から、アレが甲子園球場、あっちが西宮球場、と照明灯が見えるあたりを教えられてうなずいていたものだ。ただそれだけの話。

それから半世紀が経過したのだ。凄い。
その半世紀という時の流れを、私自身が鳥瞰できるなんて、なんと年配者になったものだろう。

当然、もうこれから50年はなしい。10年は能動的に。その後の10年も何とか。
そこまでできたら、本望だと思う。

人生100年時代に、という表現も見られるようになったけれど、昨今は高齢者で存在し続けることにはコストがかかる。
先日の弟からのメールに、101歳で弟宅での暮らしを続けている母は、いろんな面で能力低下しているけれど、食欲はきちんとあって、目標は102歳です、と。

母の場合、あと数年分の本人資産の持ち出しで行けそうなので恵まれているけれど、これが毎月家族の持ち出しで賄っているのだとしたら、超高齢社会は大変でしょうね~。

話が横道にそれてしまいました。

50年前の記憶がはっきり残っていることからの雑談でした。

以上は、ブログ差し止め(苦笑)の間に、下書きとして書いていたもの。



以下は追加。

これからの10年
その期間の質をよくするためにも、今のダイエットは貴重なことなのだと、つくづく思う。
思えば、去年の10月中旬に脳貧血で倒れて、腰椎圧迫骨折になったときが、体重ピークだった。
「生活習慣を考えよ」というサインだったのだ。
ただ、痛い。痛い。もとに戻りたい、と願っていたけれど、生活習慣の意識するところから考えなくてはならなかったのだ。
私には、あと○キロは負担過ぎる。
あと1年余りでの大台を迎えるまでに、改善したいものです。



コメント (4)
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