久しぶりに買い物でもしようかとデパートへ行ったら、
「金子みすゞ展」をやっていた。
私は金子みすゞ初心者(はじめて知るひと)ではないけれど、みなれた写真に釣られて、金子みすゞモードの時間もいいか、と、買い物をさておいて入場券を求めて会場へ。
早くに命を絶ったひとだから、詩作の期間は知れている。
よく知られている詩も、記憶に残っていない詩にしても、無条件のやさしさにくるんでくれる心地がする。
「ああ、金子みすゞ」と反芻しながら会場をめぐる。
作品の少なさを埋め合わせるかのように、多くの著名人らの金子みすゞの詩への賛辞と一緒に展示されている。
感受性と日常との狭間の葛藤だったのだろうか。26歳で3歳の子供を残して命を絶った。
確かに、やさしくて、そうよ、とうなずきたくなる詩をイッパイ残してくださったけれど、その感受性は生きつづけることをやめてしまわなくてはならなかったほど傷つきやすいものだったから、あなたは詩心の犠牲者かもしれない。
土と草
母さん知らぬ
草の子を、
なん千万の
草の子を、
土はひとりで
育てます。
草があおあお
茂ったら、
土はかくれて
しまうのに。
(金子みすゞ)
「金子みすゞ展」をやっていた。
私は金子みすゞ初心者(はじめて知るひと)ではないけれど、みなれた写真に釣られて、金子みすゞモードの時間もいいか、と、買い物をさておいて入場券を求めて会場へ。
早くに命を絶ったひとだから、詩作の期間は知れている。
よく知られている詩も、記憶に残っていない詩にしても、無条件のやさしさにくるんでくれる心地がする。
「ああ、金子みすゞ」と反芻しながら会場をめぐる。
作品の少なさを埋め合わせるかのように、多くの著名人らの金子みすゞの詩への賛辞と一緒に展示されている。
感受性と日常との狭間の葛藤だったのだろうか。26歳で3歳の子供を残して命を絶った。
確かに、やさしくて、そうよ、とうなずきたくなる詩をイッパイ残してくださったけれど、その感受性は生きつづけることをやめてしまわなくてはならなかったほど傷つきやすいものだったから、あなたは詩心の犠牲者かもしれない。
土と草
母さん知らぬ
草の子を、
なん千万の
草の子を、
土はひとりで
育てます。
草があおあお
茂ったら、
土はかくれて
しまうのに。
(金子みすゞ)
でも、病気になった母親は死んだ方がましというのは私には解せません。病に対する偏見のように思うのです。
子どもの幸せも、想像で話すべきではないでしょう!
夫は小学生の時母が病気になり、筋力を失い最後は言葉も話せなり租借もできなくなり他界したそうです。寝ているだけで良い生きていて欲しかったと言っていました。
可愛がって育ててくれる人が居て母親の美しい思い出話を聞かされて育つ方が・・と思います。
みすゞの遺言通りに祖母にゆだねられたかどうか知りませんが、母の詩を読める年齢になった時もっと良く母を知り得たでしょう。
私が彼女の詩を知ったのも、随分あとです。彼女のことを書いた本を読んで、彼女が死を選ぶのもむべなるかな、という印象をもったように思えています。でも、残された子供が…、と、つい先日は思いました。
私たちは、素敵な詩に出会えたわけですけれど。
できれば前向きに倒れたい、という思いと、いつまでもしがみついていたくない、そんな気持ちが右往左往します。
長生きの母親を悲しませたくないから、私はまだ生きていなくてはならないのですよ。
生きていくことが大事って結論、健全ですね。
金子みすゞは初めて知る名前です。私の両親の時代の人。
http://ja.wikipedia.org/wiki/金子みすゞ
で知ったのですが。
淋病を移され、子供を奪われ、では生きて行く気力も無くなりましょうよ。淋病の最後がどのような症状なのか知りませんが、惨めで辛いと想像します。死を選んだ気持ちは納得出来ました。
若いころは、そんなことさらさら思わなかったですが、この年齢になってひとつずつ与えられた課題をクリアしていくたびに、引き際はいつか?などと考えたりもして(笑)。
自分がいないと生きていけない人がいたり、やり遂げなくてはいけないと思えることがあったり、どうしてもやってみたいと思うことがあったり・・・それが「生きる」エネルギーなんでしょうね。
年をとると、なかなかそう思えるエネルギーがなくなってしまって・・・
高校生の頃どうしたら苦しまず美しく死ねるかなどと友人数人で議論しました。結論は美しい死などこの世にあるだろうかということ、他人から見て穢く見えても生きる方が素晴らしいのではないかということでした。
私は死に急ぐ人の心が分からない無骨な人間です!せめて自分の人生を後悔しないように生きたいですね!