日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

デパートの催事場で

2010-12-03 22:00:02 | 私の雑感あれこれ
久しぶりに買い物でもしようかとデパートへ行ったら、
「金子みすゞ展」をやっていた。
私は金子みすゞ初心者(はじめて知るひと)ではないけれど、みなれた写真に釣られて、金子みすゞモードの時間もいいか、と、買い物をさておいて入場券を求めて会場へ。

早くに命を絶ったひとだから、詩作の期間は知れている。
よく知られている詩も、記憶に残っていない詩にしても、無条件のやさしさにくるんでくれる心地がする。
「ああ、金子みすゞ」と反芻しながら会場をめぐる。
作品の少なさを埋め合わせるかのように、多くの著名人らの金子みすゞの詩への賛辞と一緒に展示されている。

感受性と日常との狭間の葛藤だったのだろうか。26歳で3歳の子供を残して命を絶った。
確かに、やさしくて、そうよ、とうなずきたくなる詩をイッパイ残してくださったけれど、その感受性は生きつづけることをやめてしまわなくてはならなかったほど傷つきやすいものだったから、あなたは詩心の犠牲者かもしれない。

土と草

母さん知らぬ
草の子を、
なん千万の
草の子を、
土はひとりで
育てます。

草があおあお
茂ったら、
土はかくれて
しまうのに。

(金子みすゞ)






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9 コメント

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Unknown (glimi)
2010-12-04 21:12:41
この詩初めてです。
 高校生の頃どうしたら苦しまず美しく死ねるかなどと友人数人で議論しました。結論は美しい死などこの世にあるだろうかということ、他人から見て穢く見えても生きる方が素晴らしいのではないかということでした。
 私は死に急ぐ人の心が分からない無骨な人間です!せめて自分の人生を後悔しないように生きたいですね!
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Unknown (とと)
2010-12-04 23:12:54
死にたいと積極的に思うことはないけれど、死んでも構わないと思っているタイプです。

若いころは、そんなことさらさら思わなかったですが、この年齢になってひとつずつ与えられた課題をクリアしていくたびに、引き際はいつか?などと考えたりもして(笑)。

自分がいないと生きていけない人がいたり、やり遂げなくてはいけないと思えることがあったり、どうしてもやってみたいと思うことがあったり・・・それが「生きる」エネルギーなんでしょうね。
年をとると、なかなかそう思えるエネルギーがなくなってしまって・・・
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あらっ! (serena)
2010-12-04 23:48:44
ととさんのような若い人に先取りされてしまったような、、、私も同じように考えてます。死に際に苦しみたくない、を付け加えます。

金子みすゞは初めて知る名前です。私の両親の時代の人。
http://ja.wikipedia.org/wiki/金子みすゞ
で知ったのですが。
淋病を移され、子供を奪われ、では生きて行く気力も無くなりましょうよ。淋病の最後がどのような症状なのか知りませんが、惨めで辛いと想像します。死を選んだ気持ちは納得出来ました。
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glimiさんへ (街中の案山子)
2010-12-05 16:25:08
私の高校時代、そのときは、今、この青年時代が一番真剣にものごとを思考しているような、そんな生意気な時代でもありました。
生きていくことが大事って結論、健全ですね。
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ととさんへ (街中の案山子)
2010-12-05 16:32:13
ととさんは、まだまだでしょうけれど、「引き際はいつか」が視界に入ってきました。
できれば前向きに倒れたい、という思いと、いつまでもしがみついていたくない、そんな気持ちが右往左往します。
長生きの母親を悲しませたくないから、私はまだ生きていなくてはならないのですよ。
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serenaさんへ (街中の案山子)
2010-12-05 16:41:58
彼女の詩では、「大漁」が一番有名かな。
私が彼女の詩を知ったのも、随分あとです。彼女のことを書いた本を読んで、彼女が死を選ぶのもむべなるかな、という印象をもったように思えています。でも、残された子供が…、と、つい先日は思いました。
私たちは、素敵な詩に出会えたわけですけれど。
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淋病で苦しむ母を・・・ (serena)
2010-12-06 20:45:23
見なければならないとしたら、その幼い子供は果たして幸せでしょうか?
可愛がって育ててくれる人が居て母親の美しい思い出話を聞かされて育つ方が・・と思います。
みすゞの遺言通りに祖母にゆだねられたかどうか知りませんが、母の詩を読める年齢になった時もっと良く母を知り得たでしょう。
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Unknown (glimi)
2010-12-07 21:19:32
明治大正時代多くの性病は夫からの伝染だったと思います。そしてうつされた女性が辱めを受けたでしょう!
 でも、病気になった母親は死んだ方がましというのは私には解せません。病に対する偏見のように思うのです。
 子どもの幸せも、想像で話すべきではないでしょう!
 夫は小学生の時母が病気になり、筋力を失い最後は言葉も話せなり租借もできなくなり他界したそうです。寝ているだけで良い生きていて欲しかったと言っていました。
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人は時代の中に生きているもの (街中の案山子)
2010-12-07 22:25:41
だから、金子みすゞは、彼女の精一杯の選択だったのだから、後世の研究家が記した情報でとやかくいう思いもなし。気をつけなくっちゃね。ただデパートの上階で集客のためになされる展示会には不似合いなのに、私みたいなお客にはお手ごろで、そのアンバランスが皮肉だな、と思いながら会場を出ました。
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