いつもの3人で。残念なことに日程調整の結果、12月になってしまったので、名所寒霞渓の紅葉は見ごろを過ぎて冬模様でした。瀬戸内なのに何故「寒霞渓」のネーミングと「?」でしたが、絶壁の岩山に鈎をかけながら登った山だったことから、「カギカケ」・・・⇒「カンカケイ」⇒「寒霞渓」となった、らしい、とのこと。
紅葉のシーズンだと観光バスでイッパイになるそうで、それがなかったので、ゆったりとした「寒霞渓」でした。
この名所の前に訪れたのは、「二十四の瞳」の映画村。
20代の終わり、若い夫婦だった私たちは、この小説の舞台の小学校の教室で、2歳の息子を教室の椅子に座らせて撮った写真が残っています(笑)。その写真では、「ハイ、と手を挙げて」という母親の指示で、教壇に向かって手を挙げているのですよ。(笑)
ちなみに、4歳の長女は車の中でお昼ねでした。
昭和60年に再度の映画製作があって、新しく舞台セットが作られ「映画村」という観光スポットになっていました。
行きも帰りもフェリー利用。私にとっては、ホント久しぶりのフェリーでした。
行きはジャンボフェリーで、トレーラーが船倉にぎっしり列を成している間を通って、客室に行きました。トレーラーは何も語らないけれど、産業の一役を担って、こうして本州から島へ行くのかいな、なんて、こんな地味目ところで、グッと来るタイプなのです。
船の出帆も、そんな、こころが揺れるものをもっていますね(コレもワタシ的には)。実際は、毎日のことで、見慣れた人には、なんの不思議もないことなのだけれど、ね。
今日は仕事。師走は早い。12月の予定もサクサクと終わっていきます。
紅葉のシーズンだと観光バスでイッパイになるそうで、それがなかったので、ゆったりとした「寒霞渓」でした。
この名所の前に訪れたのは、「二十四の瞳」の映画村。
20代の終わり、若い夫婦だった私たちは、この小説の舞台の小学校の教室で、2歳の息子を教室の椅子に座らせて撮った写真が残っています(笑)。その写真では、「ハイ、と手を挙げて」という母親の指示で、教壇に向かって手を挙げているのですよ。(笑)
ちなみに、4歳の長女は車の中でお昼ねでした。
昭和60年に再度の映画製作があって、新しく舞台セットが作られ「映画村」という観光スポットになっていました。
行きも帰りもフェリー利用。私にとっては、ホント久しぶりのフェリーでした。
行きはジャンボフェリーで、トレーラーが船倉にぎっしり列を成している間を通って、客室に行きました。トレーラーは何も語らないけれど、産業の一役を担って、こうして本州から島へ行くのかいな、なんて、こんな地味目ところで、グッと来るタイプなのです。
船の出帆も、そんな、こころが揺れるものをもっていますね(コレもワタシ的には)。実際は、毎日のことで、見慣れた人には、なんの不思議もないことなのだけれど、ね。
今日は仕事。師走は早い。12月の予定もサクサクと終わっていきます。
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