今日の朝日新聞のオピニオンという1面を使った特集コーナーで、「女たちの25年」という見出しが目に飛び込んできた。
ちょうど、私の仕事してきた期間と重なる。
末娘が入学するその4月だった。
明日から仕事、思っていた矢先の、中耳炎。
近くに頼るところもなしで、誰にも頼めず、アイスノンで冷やして、なだめなだめての出勤だった。(勿論お医者さんには前日通院して)
母親としては、気もそぞろ。仕事は、誰かに変わってもらえるものでもなし。
ああ今、30代半ばの自分を眺めている。
自分から電話を架けたこともなかった娘との約束。
電話がリーン、リーン、リーンと3回で止まって、またリーンと鳴ったらお母さんからの電話だからね、と合図を決めた。
玄関に、メモ帳を置いて、娘が遊びに行く行き先を書くことにした。
そっか、入学当初は、幼稚園仲間のお母さんに一緒にお迎えを頼んだのだった。
すぐ近所の方に、1年生の下校後を頼んでいたのだけれど、間際に転勤で引越しとなって、学童保育を見学に行ったら、本人に拒否する態度をするので、いろいろめまぐるしく、ハラハラ綱渡りだった。
お迎えを頼んだ、そのお宅の中学生の長男の週1回の家庭教師も、夜には自宅に来てもらって、していた、のです。
若かった!
ヘタクソだけど、休日にはテニスもしていたし、ね。
そうなると、中国残留孤児の帰国者への日本語のボランティアをしていたのは、仕事を始めて2年目ぐらいだろうか。
30代は元気だったんだね、と自分へ。
39歳の不動産バブル絶頂期に、土地を購入、自宅を建てて現住所へ。
土地はどこまでも値上がりするから、という風潮を肌で記憶しているけれど、その後急降下。アッハハです。経済的にはこんな洗礼も受けてきました。
それでも、健康に恵まれて、今があります。
30代の元気ではありませんが、60代の元気を長持ちさせなくてはなりません。
25年働いてきて、良かっただろ、と連れ合い。
「うん」と、私。
ここに、25年を経てきた、自分がいます。
未だに試行錯誤する部分も多々あり、ではありますが、既に始まっている60代を、自分なりのセーリングで行きますね、と自分へ。
ちょうど、私の仕事してきた期間と重なる。
末娘が入学するその4月だった。
明日から仕事、思っていた矢先の、中耳炎。
近くに頼るところもなしで、誰にも頼めず、アイスノンで冷やして、なだめなだめての出勤だった。(勿論お医者さんには前日通院して)
母親としては、気もそぞろ。仕事は、誰かに変わってもらえるものでもなし。
ああ今、30代半ばの自分を眺めている。
自分から電話を架けたこともなかった娘との約束。
電話がリーン、リーン、リーンと3回で止まって、またリーンと鳴ったらお母さんからの電話だからね、と合図を決めた。
玄関に、メモ帳を置いて、娘が遊びに行く行き先を書くことにした。
そっか、入学当初は、幼稚園仲間のお母さんに一緒にお迎えを頼んだのだった。
すぐ近所の方に、1年生の下校後を頼んでいたのだけれど、間際に転勤で引越しとなって、学童保育を見学に行ったら、本人に拒否する態度をするので、いろいろめまぐるしく、ハラハラ綱渡りだった。
お迎えを頼んだ、そのお宅の中学生の長男の週1回の家庭教師も、夜には自宅に来てもらって、していた、のです。
若かった!
ヘタクソだけど、休日にはテニスもしていたし、ね。
そうなると、中国残留孤児の帰国者への日本語のボランティアをしていたのは、仕事を始めて2年目ぐらいだろうか。
30代は元気だったんだね、と自分へ。
39歳の不動産バブル絶頂期に、土地を購入、自宅を建てて現住所へ。
土地はどこまでも値上がりするから、という風潮を肌で記憶しているけれど、その後急降下。アッハハです。経済的にはこんな洗礼も受けてきました。
それでも、健康に恵まれて、今があります。
30代の元気ではありませんが、60代の元気を長持ちさせなくてはなりません。
25年働いてきて、良かっただろ、と連れ合い。
「うん」と、私。
ここに、25年を経てきた、自分がいます。
未だに試行錯誤する部分も多々あり、ではありますが、既に始まっている60代を、自分なりのセーリングで行きますね、と自分へ。