標語&運動靴の思い出
知らない土地
初めて出会う人
臆せず向かい合えるのは
自由な子供時代があったからだ。
私の巣立った小学校です。
現在は取り払われ木造→コンクリート2階建てに改装された。
標語の思い出
朝のホームルーム(HR)が、先生の挨拶で始まった。
「皆さんは、”子供銀行”があることは知っていますね。お小遣いの中から少しでも貯金しましょう。
一人ひとりは少なくても、学校全体では、大きな預金額になります。
学校では、たくさん貯金してもらうため、また銀行に関心を持ってもらうために
標語を作ってもらうことになりました。 一人一点です。
あすの朝までに先生のところに出して下さい」
という言葉から、朝のHRは、標語作りに充てられた。
それから1日が過ぎて、翌朝のHRの時間に提出した。
・ 貯金日は 笑顔で通帳 差し出そう
これが、私の標語でした。
それから1週間ほどが過ぎて、担任の先生から、君のが入選した。
月曜日、校長先生から表彰されるから・・・・・・・と、良かったねぇ~と褒められた。
純真無垢、ほめられた時、とても嬉しかった。
校長先生から、副賞として運動靴を頂いた。
当時運動靴は配給制で、貴重なものでした。
昭和24~25年?の頃の若き思い出である。
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何故このような記事を書いたか
≪あすへの話題・朗読の醍醐味≫の日経新聞(10月1日)に誘発された。