日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

由緒ある多摩川の清流をめぐる その8

2016年03月31日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

 ”一基の” 案内石碑「銘文」から

万葉歌碑を見学して間もなく、多摩川土手通り114 号線に出ました。

水神前交差点の下に石碑を発見した。「六郷用水取り入れ口」。

用水については葛飾区も水の町、葛西用水、水元(東用水、小岩用水)とそれぞれの用水を要し

田畑をうるおしていた。


そんな関係から用水と聞くと、興味を抱きあたりを見回したが、見当たらなかった。


PCの最新利器を活用して調べました。 

 

 
水神前交差点で見た案内板
看板の中に玉翠園とあるが、これは多摩川の舟遊びなどを行った料亭である。

 


多摩川土手入口の水神前交差点

 



クリック拡大
goo航空写真によって六郷用水取水口が特定。
黄色の矢印は、歩いたコースで
以後、これより多摩川の清流を見ながら歩く。

   

 
江戸名所図会の『泉龍寺』,(その5)で掲載しました。
右上には六郷用水らしき水流が見られ、また左上には、前に取り上げた
兜塚(その6)も描かれている。


多摩川上流を見る

  

 六郷用水とは

六郷用水開削以前 (多摩川誌より)
千束の池水溜と池上西谷水溜池に頼るだけの,乏しい水利状況であったため、村々の耕地はほとんどが

屋敷畑で、1村7〜8軒から10軒程度という貧しい閑村であった。(「新用水掘定之事」)その間の事情を、「北川家文書」は、「多摩川の清流有りと雖も甚だ水利に乏しく、千束の池水を灌ぎ其他2、3の溜井を導く

のみにして、稲田甚だ僅々なり。故に村民常に稗、粟、蕎麦、野米を作るに止る。故に人家稀疎にして且貧なる。」と伝えている。生活用水は湧水に頼っていたようだ。

非常に興味深い用水です。
機会が有ったら、もっと詳細にあたってみたい。 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

由緒ある多摩川の清流をめぐる その7

2016年03月31日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

万葉歌碑

 

「多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだ愛しき」

(大意) 多摩川に晒す手織りの布のように、さらにさらにどうしてこの子がこんなにもひどく可愛いのか。

 


歌碑の解説


公園入り口に、コブシの花が満開でした。

 

『万葉集』巻14の東歌の一首が刻まれた歌碑で、

松平定信の揮毫になります。

文化2年(1805)に猪方村字半縄(現在の猪方四丁目辺り)に建てられましたが、

洪水によって流失しました。

大正時代に玉川史蹟猶予会が結成されると、

松平定信を敬慕する渋沢栄一らと狛江村の有志らが協力して、

大正13年(1924)、旧碑の拓本を模刻して新碑が建てられました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする