やっと“多摩川清流”に出会う事が出来ました。
最近多摩川が綺麗になりました!!と、
ある女性が呟いた.
確かに昭和40年代は、石鹸の泡がプカプカと流れるのが普通でした。
当時は、アユや清流を泳ぐ魚が激減しました。
今回の参加で、久方ぶりに多摩川の清流を見ることが出来ました。
下水道の発達やら、工場排水の処理、生活環境の変化が大きな要因でしょう。
アユの遡上時期には,魚道を跳ねて上がるのを見たいものです。
多摩川に掛る、多摩水道橋を見る
緑と多摩川の清流と元葛ハイ員
釣り人が多摩川に糸を垂らす!!
階段状になって水が流れる場所を魚道と言います。
おそらく春から夏にかけてアユが飛び跳ねながら、遡上することでしょう。
堰堤です、魚を上流に上り行くを阻みます。
そこで、魚道が作られます。
多摩川の清流を見ながら散策します。
”魚道 ”とは
河川の途中の滝やダムのように魚の遡上が 困難な場所に,魚が登りやすいように
人工的に設けられた副水路のこと。
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おまけ(付録)・昭和40年代
“生き物が戻る”
石鹸の泡で川が埋まった。
春の多摩川です。
この季節に数多く見られるようになった魚がいます。
「清流の女王」とも呼ばれるアユです。
多摩川で卵からかえり、プランクトンの多い東京湾で成長し、
川底の石につくコケを求めて、再び川をそ上していきます。
秋、アユは川の中流域にいっせいに集まり、産卵。
こうしたサイクルが多摩川で繰り返されるようになってきたのです。
嬉しいことです。
仕事で、公害対策防止の端くれとして、工場排水の垂れ流しに係った者として、ホッとするひとときです。
長々と引っ張りました。
『「由緒ある多摩川の清流をめぐる』は、次号”その10”で完結です。