文京区茗荷谷発祥地を探検す
先ず・・駅前交番を訪ねた
文京区の茗荷谷と言う地名を知って以来、野菜栽培をしてきた者にとって、”現地を見たい”長年の夢でした。
茗荷と言う芳醇な香りの野菜があり、八百屋さんで売られている。長年の、知りたい訪ねてみたいと思い
茗荷谷を探検すべく早めに集合地へ赴いた。
先ずは駅前交番を訪れて聞くこと・・・・・!?たまたま老齢のベテラン警察官が居られて、
親切丁寧に教えてくださった。
『そこはね…拓殖大学の東門に茗荷谷の地名誌がありますから行って見なさい』と
親切丁寧に教えて下さった。
町名の由来Wikipediaより ↓
旧茗荷谷町は、小石川台地と小日向台地の間の浅い谷が「茗荷谷」と呼ばれていて、
江戸時代、茗荷畑が多かったからといわれております。
この町名は、この「茗荷谷」からとったものである。なお、現在は茗荷の本格的な栽培は行われていないが、
拓殖大学文京キャンパスの脇の小さな畑で、茗荷が栽培されている。
また、茗荷谷駅もこの町名から名付けられている。呼び方として、小石川區史にはめうがだにちょう(旧仮名遣い)
と書かれていた。
茗荷谷町会案内図
拓殖大学キャンパス
その1 茗荷坂、長いだらだら坂でした。茗荷谷駅に続く。(坂下から見る)
その2、この坂を茗荷坂と呼んでいた(坂上から見る)
古くは、小日向村の畑地であった。正徳3年(1713年)から町方の支配となり、茗荷谷町ができた。
明治5年に、金杉水道町飛地、旧大垣野村藩戸田淡路守屋敷、七軒屋敷は十二軒屋敷などの武家地を合併した。
また茗荷谷町は当時小日向神社の氏神地域に該当していた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
写真で見える左の家の奥さんが裏口から顔を出した。尋ねた。
『この地は現在、拓殖大学の管理地で、茗荷の栽培もご覧の通り腐葉土を入れ栽培しています。時期になりますと茗荷が繁茂して、地下から沢山のかわいらしい茗荷が顔を出します』と教えてくれました。
季節になるとたくさんの茗荷株が…
≪茗荷谷地名の探検。
頭に描いていたイメージがズバリズバリ功を奏して探検団よろしくラーキーでした。
集合1時間前の現地探検goodでした。
多くの人の親切に支えられた地名誌調べでした≫
OPEN
次回7福神巡りです。