北原白秋&歌碑に続く小径
白秋は、「この道」「ペチカ」「カラタチの花」「城ヶ島の雨」等々
数々の優れた童謡・詩歌や短歌を世に送り出しています。
その遍歴の中で結婚離婚と何回かを繰り返し、暮らしにおいても極貧の生活でした。
紫烟草舎の庵【葛飾郡小岩村小岩田の三谷という(現在の江戸川区北小岩町八幡神社で】
『雀の生活』『雀の卵』著わしています。
小岩八幡神社 里見公園紫煙草舎
紫烟草舎 (小岩から市川里見公園へ)
紫煙草舎&歌碑の一関係図
現地に行くとすぐ傍らの説明板に、明治から昭和に活躍した詩人、北原白秋がこの近くに住んでいたことを偲び、
八幡神社の境内に立てられた、ということがちゃんと書かれています。住んでいた家屋である紫烟草舎は、
江戸川を挟んで向かいの国府台にある里見公園に再現されており、興味のある方はそちらも是非訪れるとよいと思います。
筆者はこの里見公園近くに家庭菜園を借りて週に1~2日くらい割りで、6年間通いました。
その中には、妻・江口章子との生活の中でこ~2んなことが・・・・・。
<寂しさに堪え、貧しさに堪えて>
創作と推敲に打ち込む白秋を慰めたのが、住み替わる先々での雀でした。
雀に遊んで貰い、慰めて貰いながら、
乏しい苦しい中で米櫃の白玉を与えて、白秋と雀たちの暮らしは続きます。
その哀歓を、感謝と愛情を込めて綴ったのが、この記録(雀の生活)。
長編散文詩として、小さな雀の大きな本となりました。
また著者自ら、貧しい者の霊(たましい)の記録とも述べています。
この時期、苦楽を共にした章子夫人が
「若しもあなたが立ち行く事も出来ず、もう餓死するばかりだと云ふ場合が来ましたら、
この雀達が一粒づつでもお米を咥えて来て、きつとあなたをお助けすると思ひますわ。」
と白秋を慰めたエピソードが、語られています。
「なるほど、三年後になつて、雀がお米を一粒づつ咥えて来ました」
と、謝している通り、雀が助けてくらた。
この書物の出版から、徐々に窮乏生活を脱する事が出来たようです。
『雀の生活』の第一章より。
甲和亭前の歌碑・小径
甲和亭前の小径
甲和亭前の広場
白秋が暮らした大正期の町をしのぶ――。東京都江戸川区は2日、北小岩にある茶室に地元ゆかりの歌
人、北原白秋の歌碑を建立した。白秋の短歌「夏浅み 朝草刈りの童らが 素足にからむ 犬胡麻の花」
を刻んだ。50~60歳代の女性を中心に短歌ファンを呼び込み、区は茶室を集客スポットにしたい考えだ。
竹垣の中に甲和亭がある
甲和亭の入り口
編集後記
白秋の雀への思いやり、雀との対話に感動した。
唱歌の中にも、雀を扱ったものが数多く見られます。
雀の心の中までもくみ取り、一挙手一動作を観察して
対話・気持・洞察して作品に仕上げる。
「きっと、雀が私を助けてくれる≫
「なるほど、三年後になつて、雀がお米を一粒づつ咥えて来ました」
と言うことの意味を知る事が出来ました。
白秋(作家)の人間愛、ものの見方や想いに、縄文人は心を盗まれた。
白秋の暮らした現場にまた尋ねてみよう。
コメ欄は閉めています。