新聞囲み記事に発見。現場にアタック!!
長いです 、時間のある方はごゆっくりと。
日経新聞一面「春秋」に・・・・。
音が放射線状に広がる壁掛けラジオ、缶詰を回転させながら蓋を開ける電気缶切り__。
どれも実際に発売された製品技術者の苦労と工夫がうかがえる。
足立区立郷土博物館で始まった、昭和30年代を中心にした家電の展覧会です。
レトロの家電収集家、増田健一さんのコレクションを展示。中でも彼のお気に入りは、
トースト、ホットミルク、目玉焼きを1台で作れる調理器だ。
先ず、備え付けの鍋でミルクを温め、次にプレートに卵を落として、最後に内蔵のトーストにパンを入れる。
同じころ三品とも出来上がるという。
調理の慌ただしさはご愛敬か。
思いついたアイディアは、形にしてみよう。消費者が求めようというものは、何でも作ってみよう。
昭和30年代はそんな時代であった。今は何でもIC時代。
最近の電気製品が並ぶとあっちから、こっちから「ピー、ピー、ピー」の音が奏でる。
入口のポスター
トースト、ホットミルク、目玉焼きを1台で作れる調理器だ
レトロな電話機
昭和30年代~昭和40年半ばの家庭を再現した光景です。
電化製品三種の神器の時代➡カラーTV,クーラー、洗濯機がもてはやされた時代です。
住まいは公団住宅、都営住宅が建設された時代でした。
高層のコンクリートの建物が、続々と建設され住宅となり明かりが灯った。
仕事で帰るとき、サッシュの窓から家族団らんの談笑が聞こえ、
あぁ、あの電灯の下の一つ一つに、幸せの家庭があるのだなぁ~・・と、
思った、独身時代でした。
↑ 4枚は三種の神器の時代の家庭を再現した。
おまけのおまけ
↓
昭和の生活コラム 総目次 ← 昭和生活コラムから借用しました。
昭和30年代は、私の凝縮した人生がいっぱい詰まっているもので
≪おまけのおまけ≫を附則しました。
縄文人からのメッセージと思って下さい。
both phoneにはビックリ。
このような電話機があったのですね。
昭和は遠くになりにけりですね。
「暮らしの手帖」が役に立っていた時代でもありました。
私もずうっと愛読者でした。
普通は古くなったものは廃棄してしまうものですが
こうして取っておくと後世の者には参考になりますよね。
古い農機具などの展示も各地であっていて、勉強になります。
こんなのあったと~ っていうものがあります。
電話機 両側から架けられるのかな?
洗濯機 絞りは手で回しましたね・・
だから「 全自動洗濯機」 という言葉があった。。。
オマケの明治クリームキャラメル 懐かしい
森永製菓は 黄色でしたね、
遠足では 必ずどちらか入ってた・・・
両親を思い出させていただきありがとうございました。
懐かしさ一杯の製品が並んでいますね。
昭和30年代から40年代半ばでしたか。
便利になった反面粗悪品も出回りました。
古くなった物もこうして取って置くと後にいい参考になりますね。
私が住んだ北千住の高層アパートはこの時代に建てられた物で
家賃が高くてキャンセルが続出、
補欠当選で入れたことを思い出しました。
昭和30年代は、上京した年代で、
まだまだ田舎者でした。
そして東京オリンピックの年に、結婚、私の人生の根っこができたころであろうか。
昭和レトロを眺めると、懐かしさいっぱいです。
この年代は、何もなかった時代ですから、
次から次へと新製品が、それも今から見たら粗悪品でした。
コレラや、いろいろなものを試験してその調査結果と記事に、「暮らしの手帖」実に細やかに、だから長く続いたのでしょう。
この増田健一さんと言う方は、いろいろの物を取って保存していた。これが世に出た。
しかしその保存する場所が、ちょっとやそっとの場所ではできないでしょう。
床が抜けたのではないかと心配します(笑い!)
≫電話機 両側から
いやはやビックリするやら、驚くやら。
相対して机に向かっている2人の真ん中に、これ一台あれれば双方向から使える。
我が家は最初はタライでした。結婚しても貧乏所帯、こんな電化製品はとても買えませんでした。
昔のものを陳列しますと、それにまつわる思い出があっちからもこっちからも蘇ってきます。
いろいろと、当時の生活模様が思い出され、蘇ってきてよかったです。
私も編集途中、あれやこれやと主だし、その年代を検索しながら案外仕上げるまでに時間がかかりました。
結婚した当時の生活所帯、どこの場所に住んでいたか、給料は・・・・・?等いろいろなことが山ほど蘇ってきました。
紅さんのコメントを読んでこちらまでほんわかしました。
追伸
朝ドラの件
コピーしたものを、仕事場で朝ドラのフアンガいますのでその人にそっと耳打ち。
これにまつわる話題で盛り上がりそうです。