お弁当・娘からの贈り物
父の日(19日)の前夜祭として、
“えび千両ちらし”ビール付きを頂き
おいしく食べました。
ボリュームがあり、夕餉の膳では食べきれなかったので、翌朝頂いた。
子供(娘)から頂き物で、感謝を込めて味わいながら食べました。
・ 父の日や夕餉の膳に贈り物
ビール片手に海老弁食べる (縄)
コメ欄は閉めています。
お弁当・娘からの贈り物
父の日(19日)の前夜祭として、
“えび千両ちらし”ビール付きを頂き
おいしく食べました。
ボリュームがあり、夕餉の膳では食べきれなかったので、翌朝頂いた。
子供(娘)から頂き物で、感謝を込めて味わいながら食べました。
・ 父の日や夕餉の膳に贈り物
ビール片手に海老弁食べる (縄)
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晴天、雲一つなく、水銀柱ぐんぐん上がる
■気象概況
【18日の最高気温】(14:00現在)
・群馬県 館林 35.1度
・埼玉県 鳩山 34.3度
・東京都 練馬 34.1度
朝の予報
水の流れ恋しいと思う
やる『与える』&
得る『もらう』の言葉
下の記事とは何ら関係有りません。
《「やる」と「もらう」》の言葉について投書欄に記事が掲載されていた。
考えさせられる記事であったため、
自分なりにウイングを拡げて考えてみた。
”与える”と”もらう”は正反対である。
どちらも日常生活の中で極めて重要な行為(言葉)で頻繁に使われる。
どうも「やる」という言葉の方が多くて、「もらう」ことが少ないようです。
この言葉は、あまり理解しないで使っていますが、
受け止め方によっては、
とてつもなく大きな開きとなって相手の感情を壊すことが有る。
「俺が一家を養って”やる”のだ」「労働者を働かせて”やる”のだ」
「はたらいて”やる”から、儲かるのだ」という「やる」に対しては
相手の感情を壊したり憤慨させたりで、和やかな雰囲気はありえない。
上から目線の態度になっている。
親子や夫婦喧嘩が起きたり、会社では、労働争議のタネになる。
これがもし、”もらう”になったらどうでしょう。
「養って”もらって”いる」「働いて”もらって”いる」「働かせて”もらって”いる」となって
感謝が言葉に含まれており、その場の雰囲気は和やかで大きな開きがある。
相手に与えるニアンスは大きく異なる。
日常の様々なことがスムースに行くこと請け合いである。
一寸内容的は異なりますが、
いい音楽(事案)だから聞けと半強制的だと、それは雑音になりる。
どんなに自分では良い音楽(事案)だと思っていても、
興味のない人には雑音である。
得る、もらうの考え方に立って、置き換えててみたとき、
様々な面で相手に違和感を覚えさせるであろう。
自省と自戒は山ほどである。
雑音(不愉快)になっては、折角の親切心も元も子もない。
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ちょいと不作気味、小さい粒がゴロゴロ!
梅雨の晴れ間を利用して、ジャガイモ掘りをした。
スコップや万能を使ってみて、加齢から来る疲れを感じた。
休みながら作業を続けた。
北アカリの茎や葉の状況、精根尽き果たしたといった枯れ枝。
北アカリ。
男爵の茎や葉の状況。こちらは未だ成長続けている様子。
男爵
まだ葉っぱが青々していたので
少し掘って、又の機会と中止し、楽しみを4~5日後にした。
。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。
収穫の時期は、青い葉が茂っている内は収穫時期ではありません。
収穫時期になると葉が黄色になり、枯れ始めます、(写真・↑ 北アカリ)
この時が収穫時期です。
保存は良く乾燥させて、暗いところで、風通しの良いところに保存する。
我が家は、物置に段ボールに入れ、戸を開き風を入れ保存します。
年内は大丈夫です。
かつしかに菖蒲が多いわけ、その歴史。
(浮世絵で纏めてみました)
葛飾区の菖蒲発祥の地は、堀切菖蒲園辺り。
その元を正せば、曳舟川の『小高園』辺りが原点で曳き舟川が大きく係わっているようです。
堀切菖蒲園は、種類も豊富、手入れも良好、見て立派です。
近くの、水元公園に出向きました。
東京で一番広い水郷公園として都民に知られています。
堀切菖蒲園・江戸名所絵図が掲示されていた。
水元公園に掲載されていた、写真展からです。
同じく水元公園の写真展示から。
歌川広重
名所江戸百景「堀切の花菖蒲」
・ 戦前まで、堀切には武蔵園・吉野園・観花園・小高園・堀切園などの菖蒲園があった。
曳舟川江戸絵図から抜粋。
weblio辞書から
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水元公園の陶器市にて
菖蒲祭りに陶器市(有田)が開催されていた。
初夏の一こまです。
金魚は生きていません、模造品
今夏は猛暑の可能性
・ 金魚売り今日はどこかへ行ったやら
金魚売りの声
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梅雨の季節ですが、雨が少ない
DBに、駄句を並べてみました。
パチパシ手で持っていると火の玉が落ちた。そんな花のようです。
デジブック
『紫陽花・色彩』
反省する事が山ほど一杯
人生を振り返ってみました。そしてそれから・・・・・・・・・・。
自然界の草木と向き合う
花を咲かせ、実をつけ、虫や鳥や獣たちを呼び、
葉を茂らせ、人間の目を楽しませ、光合成で酸素を作ってくれ、
切り倒されると建材になり、和紙やチップになり、薪になり、炭になる。
燃え尽きると灰になり、最後に肥料になる。
ふだん何気なく見ている木々や草花だが、大したものである。
ここまで「生き尽くせ」と言われると
とても真似はできない、と思う。
自分自身に問うてみた。
少年、青年、中年、壮年、熟年、初老、老年と
区切りは だれもが同じよう年齢期を経て一生を終る。
少年~中年は、いわゆるがむしゃら時代で、
人生の行く末を大きく左右する。
がむしゃら本来の意味は、一つの目的に向かって、後先を考えず
振り向かずに夢中に行動する様です。
しかし、アッチがダメだからこっちへと舵を切る。
今、反省を込めて自分に言い聞かせるならば、
あまりにも寄り道、道草が多い人生であった。
電車は、レールの上をまっしぐらに走り大量の荷物や人間を搬送します。
人間もしかり、
『一つの道を、コツコツと究めた人は尊い』と言われます。
我れ、脱線もし、停車もした。
花を咲かせ、大きな果実を実らせることは出来なかった。
述べた樹木の立派さには到底至らないが、
ここまで「生き尽くし、人生の老年期に到達』できたことに
私を取り巻いてくれた社会の人達、親戚兄弟家族そして最大に尽くしてくれた家内
それぞれの皆さんに感謝の一語で一杯です。
これからの人生
一口で言えば、老年の仕事は、孤独(必ずどちらかが先に逝く)に耐えることだ。
逃げる方法はない。
三っ日三月、三年が経つごとに、心の苦しみは
少しずつ過酷でなくなっていくであろう。
、
妻に先立たれることや
友人に先立たれる場合のことやことの辛苦は、常に事前に、繰り返し繰り返し
予想することが大切であると言われている。
(それが出来る人は、神であり仏であろう)
そうすると、やってきた運命に対して心構えができている。
いよいよ別れるのだ、と嘆くよりも、何十年か楽しく付き
合ってもらって、有り難かった、と感謝すればいいのである。
別れに馴れることは容易なことではない。
人生必ず最終期(死)が待ち構えている。
別れは、心が締めつけられる。今まで歩けた人が歩けなくなり、
今まで見えていた眼が見えなくなり、今まで聞こえていた耳が聞こえなくなっている。
そして若い時と違って、それらの症状は、再び回復するという事は出来ない。
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慣れないと使いずらい場面があります。
旧と兼用で使っています。
winndow10です。
機能はバッチリですが、その機能を使いこなすことが容易でない。
いままでは、デスクトップ、Tv兼用でしたから画面が大きい見やすかった。
両者を使いながら、旧はTVを見るに使っています。
とにかく便利機能がたくさん内蔵されているようですが、
新1年生ですから、道筋をつけるまでは大変です。
3日間過ぎました。
PCは利器です、
便利機能を使いこなさなければと、頑張っています。
故郷の広報誌を見入る、先生や同窓生が・・・
小学校の大欅
ふるさと秩父連山・両神山
広報誌をネットで見ています。
ずいぶん前の「ちちぶ」広報を見ていた。
同窓生で亡くなったk/sさんの作品が、またD/s(先生→僧侶)さん
の作品が並んで載っていた。
k/Sさんは、同窓会の幹事長として、大変お世話になりましたが、
数年前亡くなられた。改めて感謝いたします。
親戚の山口さんの作品が掲載されていた。
選者・竹内弥太郎氏は、
小学校の先生で、高齢にもかかわらず"秩父”の為に頑張っておられる。
元気を貰いました。