日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

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・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
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かまくら郷土資料館 NO2

2016年07月09日 | 技術  道具・伝承・歴史

みなさんの協力
 多くの器具道具、収集した心意気に感服

 

ここ鎌倉町は、文化的行事が盛んな町会です。

若手落語家を招いて高座を開いたり、町の年表を作ったり、街の歴史を冊子に編集したりたり

何かにつけて、街の継承発展に尽くされています。

たくさんの保存資料を見させてもらいましたが、これだけの資料保存品が収集できたことに

町全体の心意気を感じました。


この付近は野菜作りが盛んでした。野菜を入れたのか…? 


もちつき



餅つき杵&臼


リッカーミシン


高級蓄音機


レコード盤


蓄音機、ソノシート用? プラスチックに代わった。

 

時期を見てもう一度見学し、

町全体の底辺に流れる、文化的継承の真髄を探ってみたい。


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かまくら郷土資料館 NO1

2016年07月08日 | 紀  知る・見る・歩く(見聞録)

 都市化の波で、農地が一挙に宅地化される

 

葛飾の農業について紹介します。

葛飾区は23区の中で、農業が存続している数少ない区のひとつです。
区内農業者世帯数は183世帯、区内にある農地は約39.7ヘクタール(東京ドーム球場の約9倍)です。

 戦後まで農業を中心としていた本区も、
昭和40年代以降、都市化・宅地化が進み、農業者世帯数・農地面積とも

急激に減少し、現在では、水元・奥戸・高砂地区を中心に
農業が行われている状況です。

その農機具や、古くなって我が家の宝物を捨てるのは惜しい,
と言うことから、ここ鎌倉資料館に持ち寄り集め

いつまでも保存しよう、との熱い心意気の籠った数々の農家の宝物です。

前から心に留めていた”鎌倉資料館”に入館しました。

此処は、高砂団地に隣接する、
明石小学校(S46年廃校)を利用した、資料館です。


開いていて見学することが出来ました、ラッキー。

 


多くの子供たちが利用した教室

 

 
燦然と輝く歴史年表

 

S40~S50年代に掛けて
農家数、農地面積が急激に減少しています。

日本の高度経済成長時代と一致します。
1960年(S35年)7月に発足した池田勇人内閣は「所得倍増

をスローガンの時期です。
👇

農家数・農地面積の推移(昭和40年から)
年度農家数 (戸)区内農地面積 (ヘクタール)
昭和40年 1013 632
昭和50年 649 198
平成元年 382 101
平成5年 303 74
平成10年 266 56
平成15年 240 54
平成25年 190 41
平成26年 189 41
平成27年 183 39

 
わら草履手あみ道具


俵手編み機道具&わらじ 


スダレ手編み機道具


とうみ
唐箕(とうみ)とは、風力を起して穀物を選別するための農具



農機具一覧(掘る、うなう、耕す、水田の草取り、脱穀機など等)


下肥運搬舟

 

 農機具の移り変わり

    

 

昨日(8日)、畑でネギ植え付けのためにスコップで天地返しをした。
腰が痛かった。

農業の機械化の始まりは、昭和30 年代に遡る。
時代は畜力からエンジンを中心とする機械化農業へと転換する。

米国から「メリーティラー」などの耕うん機
の輸入をきっかけに、国内でも研究開発が始まり商品化された。

まさに農業機械化の花盛りの時代である。

 

 

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帝釈天に通ずる道、立石道  高砂・柴又付近   その3

2016年07月07日 | 紀  葛飾今昔街歩き(葛飾地図)

曲り金の渡し(高砂橋)~高砂踏切~
伊勢や前信号右折~京成金町線踏切手前左折~
コインランドリー前の踏切渡る~柴又駅前~帝釈天王の石柱

 

この区間は陸路のため、古地図をたどると分かり易い。

高砂橋に隣接して富士見橋があります。

ここは新金貨物線の陸橋ですが、中川を通して東京スカイツリーの眺望が良い。

葛飾の案内書等を見ると、「富士山の眺めがよい」と記してある。

きっと曲り金の渡しを終え辿り来た道を眺め富士山を見て、江戸川方向を見ると帝釈天の森が見える。

ヤレヤレと、安どの気持ちに浸かった場所であろう。

 


新金貨物線の橋です。
眺望よし、富士山が見えたのであろう。 


富士見橋から東京スカイツリー


高砂橋交差点を直進


高砂駅前の踏切、直進します


伊勢屋さんの信号を右折。佐倉街道を歩く


京成金町線の踏切を渡らないで左折。佐倉街道は直進
この付近には小岩用水がとうとうと流れ小岩方面へ


この踏切を渡ります。


柴又駅前商店街

 


帝釈天参道

 

 

 

帝釈天王安置石柱、参道前です。国分道(帝釈道)と合流します。

 

葛飾区は、荒川、中川、江戸川に囲まれた水路も街です。
江戸から帝釈天詣でに来るには、川を渡らなければならなかった。

我、わずかな距離の帝釈道・立石道を見分しながら歩きましたが、
当時の庚申詣では、大変であった事が伺えた。

現在は交通機関の発達で、京成電車、又は車で帝釈天まで行ける。
そんなことから、昔の帝釈道(知る人もない)を通って

参拝する方は、皆無に等しい。

 

*画像に斑点がありますがカメラの不具合です。

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帝釈天に通ずる道、立石道 (中川の渡し)  その2

2016年07月06日 | 紀  葛飾今昔街歩き(葛飾地図)

中川を渡るに、4つの渡し? があった。
文政の頃=1820年代

 

[葛飾・柴又の文化と歴史を後世に]の講話を聞いた。
興味を抱いて、帝釈天へ通じる大昔の道を調べた。
 

江戸から帝釈天へ向かうルートは主に、2つあったことは既に述べた。

立石帝釈道を調べていると、いくつもの枝道になり、これが中川に突き当たる。

そして途切れる。そこには現在、橋が架かっている。

そこで考えられのが”渡し”である。


かまくら郷土資料館にて、下肥舟
当時の”渡し舟”はこのようなものだったのであろうか?

下流から①奥戸の渡し(本奥戸橋=奥戸街道)、②奥戸の渡し(スポーツセンターの隣の橋)

③諏訪の渡し「青砥側の福森稲荷神社内の道標~高砂1丁目(昔諏訪町と呼んだ)」

④曲金の渡し(高砂橋)であった。


【葛飾今昔街歩き・葛飾観光課発行、  東京府南葛飾郡全図地図、
HP/帝釈道~帝釈天に産湯を浸かりに行こう(2013,10,20)、
葛飾・柴又地域、文化的景観調査報告書を参照した】

  

昔の渡し跡を調べ、現在の佇まいを見る

①奥戸の渡し(本奥戸橋)


本奥戸橋西詰の角に地蔵尊の石像があります。


本奥戸橋東詰めの景観



②奥戸の渡し(スポーツセンターの隣)


現在の奥戸橋、真っ直ぐ行くと葛飾区役所


葛飾区総合スポーツセンター

 

③諏訪の渡し(青砥~高砂1丁目・以前は諏訪町の名前・・・で)



 福森稲荷神社境内の道標

 


高砂1丁目(旧諏訪町)八幡神社

 

④曲金の渡し(高砂橋)


高砂斜張橋
青戸2丁めから望む

 高砂橋から新中川(s38年完成)と旧諏訪町方面を望む
かすかに高砂諏訪橋が見える

 古地図(金町・高砂・鎌倉・柴又・奥戸)
佐倉道、岩槻街道,帝釈道(立石道・国分道)、
水路では、小岩用水、西井堀、東井堀は明確に分かります。

 

渡しのあった場所を訪ねて

現在の旧中川を見ます右岸左岸にコンクリートのカミソリ堤防が

構築されて、堤防下からは流域をも望むことができない。

当時を推察すれば、簡単に川岸まで降りることができ、そこに渡し舟が置いてあったのであろう。

付近を訪ねて、古老に聞いてみますと

「おじいさんが渡しがあったということを聞いたことがあります…と」言うくらいで

確固たる証言は得られませんでした。

無理もない、200年も前のことです。

 

次回は、”曲金の渡し”から高砂町を通り、帝釈天の参道に至ります。

 

 

 

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帝釈天に通ずる道、立石道、帝釈天王石柱    その1

2016年07月04日 | 紀  葛飾今昔街歩き(葛飾地図)

帝釈道は、立石道を通り帝釈天へ参拝する
(1820年代の頃のことです)

 

[葛飾・柴又の文化と歴史を後世に]の講話を聞いた。
興味を抱いて、帝釈天へ通じる大昔の道を調べた。
 

江戸から帝釈天へ向かうルートは,主に2つあったとされる。

一つは、浅草から吾妻橋を渡り、曳舟を抜けて四つ木の渡しを越え、(おそらく立石道を通って)立石、そこからは諏訪野の渡し(調査中)もしくは曲金の渡し(現在の高砂橋)を利用して中川を渡り、
帝釈天へと至るルート帝釈道(立石道)(オレンジのライン)である。

もう一つのルートは、水戸街道を利用して千住→新宿(にいじゅく)、新宿で水戸街道を離れ国分道を利用して帝釈天へ向かう方法の国分道(緑のライン)である。
このラインは後日に調査検証を譲る事とします。


帝釈道(立石道)
[HP/帝釈道~帝釈天に産湯を浸かりに行こう参考]

    
中川の側道に有り、
葛飾税務署近くにある帝釈道石柱(文政の元号あり=1820年代)
場所は上の地図参照


帝釈天王と書かれた石碑の反対側の近くに
折れた石柱があった。
検証する者にとっては気に掛かった。


右の地域は(葛飾税務署)で占められている番地、
石柱があった場所と同番地でした。

↓ 青砥方面へこの道を直進します。進む


帝釈道枝道付近

  立石道
トップの地図にもある帝釈道(立石道)は、古代の官道「古代東海道」です。
その昔、武蔵の国と下総の国を直線的に結んでいた道なのです。

現在の奥戸橋付近に奥戸の渡しがありました。
京成電車の開通で人通りが減りました。途中から帝釈道が分かれます。


江戸市中から宵の"庚申"(注)で柴又帝釈天へ提灯をともしてお参りした道です。 

 

絵図下に【柴又村柴又帝釈天の図】と記してある

帝釈枝道は諏訪野の渡し付近で帝釈道と合流しており、
そこからは帝釈道と共通のルートを辿るようである。


福森稲荷神社内の道標
      (場所は上の地図参照)

この神社は寛政8年(1796年)に創建されたとされているが、
その敷地内に「帝釋天王通」と彫られた道標が置かれている。
この道標自体は安政3年(1856年)に建立されたもので、当時この場所付近にあった
「諏訪野の渡し」を利用する参拝客に向けたものではないかと考えられる。

 

 

境内の石碑
この石碑の詳細を読み解く必要があることがわかったが、これは私にしては至難の業。
おそらく、付近の様子や中川の“渡しの状況”もここから読み解くことが出来るかもしれない。帝釈天王道ははっきり解る。
 

福森稲荷神の道路を隔てて折れた石碑を見た。
通りがかりの人、近くの鈴木煎餅店のおばあさんを訪ねて聞いたが、
帝釈道・立石道について、手がかりは得られませんでした。
 

現在の高砂橋・斜張橋がみえる。
人が散策している付近は《諏訪のの渡し}とも想われる。 
 


オレンジのラインと青のラインの合流した辺りに、福森稲荷神社が鎮座している。
この付近に諏訪の渡しが有ったのか!?
ちなみに福森稲荷神の対岸を諏訪町と呼んでいたが、
今高砂一丁目となっている。

(注)庚申とは
  庚申とは干支(えと) 即ち、庚(かのえ)申(さる)の日を意味し、この夜に人間の体の中にいる
三尸の虫が、寝ている間に体から脱け出して、天帝にその人間の行った悪行を告げ口に行く。
  
天帝は寿命を司る神であるから、悪いことをした人に罰として寿命を縮める。ところが、
三尸の虫は、人間が寝ている間にしか体から脱け出ることができないので、庚申日は、徹夜をする、
   
これを庚申待ちという。


【葛飾今昔街歩き・葛飾観光課発行、 東京府南葛飾郡全図地図、
HP/帝釈道~帝釈天に産湯を浸かりに行こう、
葛飾・柴又地域、文化的景観調査報告書を参照した】 

 

次回は
帝釈道(立石道)は、中川の渡しについて調べます。

 

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柴又帝釈天 

2016年07月03日 | 紀  郷土博物館 葛探団

雨の境内を歩く
6/22(水)

 

[葛飾・柴又の文化と歴史を後世に]の講話を聞いた後
境内を回ってみました。
 

 

いつもながら変わり映えしない帝釈天です。

雨のためあまり観光客はいませんでした。

以前と比べたら帝釈天に訪れる客が少ないと、どちらからともなく耳にする、

ましてや参道商店街の声が漏れる。

 

 

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善福寺川は続く、緑の回廊

2016年07月03日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

回廊を川に沿って歩け歩け  (記録用)

 

歩行7,8km
(総  括)

永福町~善福寺川~和田堀公園~塚山公園~桜上水駅

 


善福寺川コース概略図


春は桜で川を覆うでしょう、左右から桜の枝・・・・。


鮮やかなアジサイあちこちに


コンクリートで固められた都会の川


喉を潤し小休止


巨木大木が川のへりに続く

          
 昼食時差し入れ    カラスが昼食覗き見    花ありて和む  


桜上水駅にて解散。

今やウォーキングは人気の高いスポーツの1つとなりました。

実際ウォーキングを行っている人の数は年々増え続けています。

ウォーキングは運動不足を解消し、生活習慣病を予防したり体脂肪を燃焼させるなど

ダイエット効果もある有酸素運動の代表的なものの1つです。

また周りの景色を楽しみながら歩くことによってストレスも解消できます。 

 

◎ 善福寺川ウオークを、切り口を変えながらご覧いただきました。
長く引っ張りましたが、これで(完)です。

 

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水谷豊&宇崎竜童、男・男のぶつかり合い

2016年07月02日 |  紀  イベント・催行

低音であんた、あの子のなんなのさ~
       ♪ 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ 

 

ちょっと、気持ちをリフレッシュして来ました。 

館内みなさん立ち上がって、手拍子

縄文爺さんは、椅子にそのまま座り、あの・・・ライブ気分に浸かってきました。


ポスター掲示で

招待券が届きます。


入口に飾られた、花、花、花

 上2枚、ブログを盛り上げ高揚するため、

♪youtubeを再び聴き、自分自身、雰囲気を盛り上げた。

その時の画像です。

 

 ♪ 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ 

 

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駅階段の、波形手すり

2016年07月01日 | 紀  知る・見る・歩く(見聞録)

(ちから)がグイと入って持ちやすく感触よし



駅の階段の手すりは、現在見かける物はパイプで直線です。

年老いて最近は、駅の階段で利用する。

そんなことから、目に飛び込んできた異色な手すり。

【ウエーブの付いた手すり】でした。

持ってみた。掴んでみた。

若干の細め、波形の為に力が入り、色付きだから温もりを感じました。

 


波形手すりに着けられた、階段下の点字案内標識


階段に取り付けられた波形手すり


永福町駅


パソコンで検索、こんな形でヒットしました。

 

これからは波形が主流になるかもね!!
見かけたら関心を持って、感触を確かめてみてください。

 

 

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