1939年のクリスマス。ベルリンで起きた殺人事件の担当に当たる事になる刑事。
レイサー出身の刑事というある意味異色の経歴を持つ彼が管轄外の事件を担当する事になったのは、彼がナチス党員でないために、忖度しない捜査をすると思われたからだ。
1933年にナチ党が政権を掌握すると、その他の全ての組織団体をもあっという間に掌握していく。社会秩序の維持と偉大な国家の再建を望んだ対価に国民が気づいた時にはもうナチ党が全てを牛耳ることになっていたのだ。
事件を担当することになった刑事は、「ナチ党員になるならないは刑事の仕事を全うすることと関係はない。」という思いから、積極的に党員になる事を選ばない。ただ、党員でない故に捜査に当たるも、捜査するにあたりありとあらゆる所でナチ党がコントロールする偏見という感情が影を落とす。それに声を荒げる事は出来ず、いわゆる大人の対応でやり過ごしながら捜査を続けている刑事。
1939年のベルリンでは、まだ皆本当に戦争がどうなるのかを様子を見ているような状況だ。手に入る食材の幅は狭まってはいてもホテルのレストランは開いており、最高級のワインは飲めずとも、クリスマスディナーを辛うじて楽しむ事は出来るのだ。その後どのような事が彼らに起こるのか分かっていながら読み続ける事でなんとも不思議な気分に襲われる。犯人は分からないのに、彼らの進む未来が分かっているというのは、まるで犯人の分からない刑事コロンボを見ているような気分になるとでも言ったらいいのだろうか。
******
ミステリーを読みながらも、ドイツがナチ党に投票した事でどのような事になっていったのかを一緒に感じられることは、歴史ミステリーならではの醍醐味だろう。ナチ党は子供たちへの教育現場までも支配し、子どもと親たちの間に分断が生まれる。ヒトラー達を見掛け倒しの道化師と思っていたはずなのに気づいた時はもう取り返しのつかない所に行ってしまった事実。偏見や差別のコントロールによって自分達の生活が疑心暗鬼になりそこから抜け出す道がないさま・・・
殺人事件の捜査と同様に1939年のドイツの様子にも緊張感を感じながら読み進める。