私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

恋愛は狂気の沙汰だ

2005-10-22 20:48:45 | 韓国ドラマ・映画
第18回東京国際映画祭「アジアの風」部門で鑑賞。

プサンの街でテレクラの話し相手のバイトをする子持ちの女性が、ホステスになりだんだんとしかし確実に自分の足で歩いていく姿が、とても現実的に語られていく。毎日の生活の中でだんだんと変わっていく主婦の姿に、同じ女性としてある意味衝撃を受けるが、(客と寝ることが出来ず、職を失いそうになる場面など、カマトトぶるつもりはないがやはりどんな顔をしてスクリーンを見つめればいいのかちょっと戸惑う。)仕事の中でちょっとした心の揺れを感じ、その揺れがあっさりと消えていく場面も、やはりどんな顔をしてスクリーンを見つめればいいのか戸惑ってしまった。
主婦を演じるチョン・ミソンはちょっと平凡な感じがするが、ホステスで生きていくことを決心したかのようなラストの歌のシーンでは、表情が一変していたので関心する。

場面転換のたび、一瞬黒くなる画面は心の闇のつもりなのだろうか?あまり多用されるのでちょっと気になったが、反対に時々映し出されるプサンの夜景が随分と息抜きになっていたことに見終わった後気がついた。

「おまえの勝手にしやがれ」のオ・ソックン監督による作品のインターナショナル・プレミア上映だ。
とこんな風に書くといかにも詳しいようだが、チケット発売日の朝に事情があって並べず、昼過ぎに購入出来る作品でめぼしいものはこの映画くらいだったのだ。
(当然見たい作品はあっという間に売り切れているのだ)

追記
「枕芸者」勤め始めて間もない頃、こんな言葉を聞いてびっくりしたことを思い出した。教えてくれた人がふざけて使った言葉なのか、それとも一般的な言葉なのかはわからないが、「なんだかんだ言っても、接待にはこれが一番」と言っているのを聞いて、「世の中って一体」と脱力したのを覚えている。
この映画のワンシーンを見ながら、何年も忘れていたこの言葉を思い出した。

ベルベット・レイン

2005-10-22 20:30:24 | 映画鑑賞
カメラが斜め下から脇から、そして浮遊した視線で登場人物や夜の街に降る雨を映し出していく。
製作総指揮も務めるアンディ・ラウ演じるホンと、ジャッキー・チュン演じるレフティはテーブルを挟みある一定の距離と緊張感をもって遠くから映し出される。片やショーン・ユーとエディソン・チャンは夜の街を右に行ったかと思えば左を向くという、行き先がまだふらふらと定まらない、チンピラの若者二人で、カメラもおなじように横から斜め下からそして浮遊した視線で徐々に近づいてく二人を映し出している。

香港ノワールが好きで、男たちの挽歌が好きで、香港映画を楽しむようになった私にとって、アンディ・ラウとジャッキー・チュンが黒社会映画でボスを演じるようになったのを見るのはとても感慨深い。更になんとなくいつもふらふらと視線の定まらない感じのエディソン・チャンがどこか情けないチンピラを演じているのを見るのも大変感慨深い。
ウォン・カーワイの映画で見られるクリストファー・ドイルのようなカメラワークほど気取ってはいない。でも予測のつかない角度から登場人物を追い、道に叩きつけられるように降る雨が横から下から映し出されていくクライマックスシーンはぞくぞくするほど格好いいのだ。

アンディ・ラウの長髪があんなに格好いいとは思わなかった。
銃を手にするショーン・ユーが見せる横顔も素敵だった。
エディソン・チャンもちょっとだけ見直した。(ちょっとだけだが)

音楽がレオン・ライのプロディーサーも務めるマーク・ロイなのもファンとしては嬉しい。

ベルベット・レイン