私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

2010-02-11 19:10:34 | たまに読んだ本
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、そして太平洋戦争。

確かに学校でこれらの歴史を学んだが、今思い出すのは「明治維新が終わった頃に3学期も終わりそうになって、なんとなく駆け足で授業終了になった」ということだ。
これは私だけでなく、友人も同じようなことを言っていたから、私と同年代はみな多かれ少なかれ同じような感想を持っているのだる。

それを理由にするつもりはないが、正直何故戦争を選んだのか?などという質問には答えられる知識もないし、それは読み終わった今も同じことなのだが、敢えて何か言おうとするなら、全ては危ういバランスの上に成り立っており、何か起こる時はそのバランスが崩れた時ということなのだろう。

お金のバランス
安全のバランス
権力のバランス
イデオロギーと地政学のバランス

更にバランスが崩れるというのは、力のある者がバランスが崩れたと感じる時を指す。
力の無い者はバランスに関して考える余裕さえもなく、ただ自分の存在意義を示すために、兎に角何か行動を起こそうとするのだ。
行動を起こせば、当然のようにそれまで合っていたバランスは微妙に合わなくなる。
力の無い者にとっては望ましいその変化も、すでに権力を持っている者にとってはただの反乱分子でしかないのだ。

力を持つものは、更に力を持つべく行動し、力の無いものは力をつけるべく、更に行動を起こそうとする。

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歴史とはその繰り返しなんだということをこの本を読みながら感じる。
そしてその繰り返しはけっして同じ繰り返しではないのだ。
過去に学ぶべき事が多くとも、決して同じではないし、過去が全て正解を持ってきてくれる訳でもないらしい。

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最後に満州の開拓移民の話あり。
生糸産業が廃れてから貧しかった長野南部は、国の政策に乗っかり、沢山の者が移民として満州に渡ったのだという。
父はその長野南部の出身なのだが、以前、幼い頃実家に「満州に行かないか?」という村の役人の人が何度も訪ねて来たと言っていた。
そういえば、「あの時、父さんが行くと言っていたら、人生変わっていただろう。」と言葉少なに話していた。
その話を思い出し「何度も村の役人の人が来たのは、沢山移民を送れると国から助成金がもらえたかららしいよ。」と父に話すと、昔の事だからと前置きしつつも「人をバカにした話だ。。。。」と小さい声でぼそぼそと言っていた。
「沢山の人が満州に行ったんだよ・・・」とその後もやはり小さい声で話していた。

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水野廣徳(みずのひろのり)
現代の戦争は経済戦争であり持久戦争である。日本はそれらを持ちこたえる力なし。すなわち戦争をする資格なしという持論の持ち主だったそうだ。
色々な人物の言葉が紹介されているが、これが一番心に残った。



それでも、日本人は「戦争」を選んだ
加藤陽子
朝日出版社

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