私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

父の日

2010-06-20 16:36:44 | なんということはない日常

昨日、母の納骨を済ませた。
5月の末に亡くなったので、四十九日はまだなのだが、お墓のある霊園が「7月中はお盆のため、納骨を受け付けておりません」ということだったので、少し早かったのだが昨日の土曜日父と私、そして母の弟2人で納骨と四十九日を済ませたのだった。

ゴールデンウィークが終わると母の具合はどんどん悪くなった。
病気の分った去年の11月頃には「あと6ヶ月なんてそんなことはなく、案外1年経ったね!なんて言える時がくるのでは?」と父と話をしていたのだが、そんなことは無かった。
ゴールデンウィークが終わると一口ぐらいは食べられていたご飯も食べられないようになり、1回の食事がプチトマト2個とパイナップル一切れというような毎日になった。それでも食べられる日はまだいい。
結局水しか飲めない。食事をした後、幾らもしないうちに結局吐いてしまい、何も食べられない日もあった。
脱水症状になったら困ると無理やり飲んだポカリスエットさえ吐いてしまうようになった。
それでも医師から入院という言葉は出ず、吐き止めの薬を飲んで一日家のベットで横になる日が続いた。

父は通っていたデイケアを一旦お休みし、一日中母の横に座っているようになった。
ただ自分の世話だけでも精一杯な父のこと、座っているだけでなかなか母の思うように世話が出来ない。そのたびに母が大きな声で父のことをしかっていたらしい。
会社から帰ると「お父さんは本当に看病が下手だ」という話をかすれた声で毎日私に報告するのだ。
そんな報告を横で聞きつつ、父も辛かったと思う。

母の最期はあっけなかった。夜中に意識が無いことに気づき、救急車で病院に搬送したのだが、結局病院には5日程しか入院しなかった。
5月の下旬のとても気候のいい時期だったのに、これから夏になりもう寒いといわなくても大丈夫な時期になったのに、あっという間に家の中には私と父だけになってしまった。

病気が分る前から母が「家族葬がいい」と言っていたので、最後のさよならは私と父だけの静かなものとなった。
父も特に涙を見せることもなかった。
しかし先日用があって父と2人市役所に行く用事があった。
父の用事が済んだ後、私が役所の人に年金の手続きをする関係で「母の死亡届は先日提出済みなのですが、もう戸籍に反映されていますか?」と質問しているのを聞き、急に涙を流し始めた。
「死亡届けなんて聞きたくない。死亡届なんて出したくない・・・・」

そういいながら市役所の待合室で10分程涙を流していた。
無神経に可哀相なことをしてしまったと思う。
謝ると「いいんだ」といいながら「寂しいね・・・・今でもどこかに居るような気がする」と寂しそうに笑っていた。

私はこれからの父と2人だけの生活のことを考えると、これからの大変さが先にたち、涙が出ないのだ。冷たい娘だと思う。でもこれからは毎日が父の日と思い、父と2人で静かに穏やかに過ごして生きたいと思っている。

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父と母は飛び切り仲の良い夫婦では無かったと思う。
その事を私が訊ねると「ある時はありのすさびに憎かりきなくてぞ人は恋しかりける」という古い歌を喩えに出し、「仲は良くなくても寂しいもんなんだよ。」と寂しそうに笑っていた。源氏物語に出て来る歌だという。

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追記

母が具合の悪い間「心安らかに旅立ってもらうにはどうすればいいか・・・」という事にまで思い及ばなかった事が心残りだ。あの頃はそんな余裕もなく毎日が過ぎていた。