天安門事件と聞いて思い出すのは、10年程前に見た「天安門、恋人たち」という映画の事だ。(難しい事は分からないので、一番好きで一番身近な映画という点から物事を考える事位しか出来ないからなのだが・・・)
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この映画は、大学時代に天安門事件に遭遇したカップルの話。事件は二人の人生に大きな影を落とすのだが、二人はあくまでも事件に対しては傍観者でしかなかったはず。それでもこの映画を撮った監督は、5年間の表現活動の禁止が言い渡されていた。映画を見た当時は「なんでだろう」とよく意味が分からかったのだが、「天安門事件はない」を無視することで、事件などなかったことにしようとしている最中に邪魔をされた事が逆鱗に触れ、さらに見せしめに使われたのだろうと・・・と今は考えている。もっと他に意図することがあるのかもしれないが、私が考えられるのはその位の事しかない・・・・
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*****以下 見た当時の感想*****
パープル・バタフライの監督ロウ・イエの作品。
天安門事件があった頃、大学生だったカップル。
天安門は一つのきっかけでしかなかったのかもしれない。
二人とも流され一人は国外へ。そして1人は祖国であっても故郷から遠く離れた土地で過ごすのだ。そして昔の若さがかろうじて残っている時の再会。。。。。
天安門事件が一つの出来事として描かれるこの映画は、中国国内では上映禁止。そして監督は5年間の表現活動の禁止が言い渡されているのだという。
この映画がそんなに政治的な意味を持つとは思えない。天安門事件はこの映画の登場人物達に大きな影響は与えたかもしれないが、彼も彼女も当事者ではない。
天安門事件は大きな出来事ではあったが、彼女も彼もそれに対して声を上げてはいない。ただ見つめていただけなのに、その大きな波に飲み込まれてしまったのだ。
活動禁止が言い渡されたのが、若者達の赤裸々な生活描写のせいだったとしたら。
その描写はあまりにも欲望のままだ。しかし欲望の裏にラスト・コーションのような、なにか大きな企みがあるわけでもなく、その欲望をコントロールする術を知らず、ただただのめりこんでいくカップル達。
自分でコントロールすることが出来なかった出来事。
そして自分でコントロールすることが出来なかった感情。
そんな思いは切々と迫ってくるが、これが5年の活動禁止に繋がる理由は最後まで分からなかった。
何をそんなに恐れているのだろう。
天安門事件30年 報道一切なく規制に躍起の中国政府(19/06/04)
追記
中国語レッスンは丁度のこの日だったのだが、先生は特に何も言わなかった。ただ、レッスン中に、SNSの意見は過激になりやすいなどいう話から、世界的な分断の話になった。先生は分断は怖いといいつつも、「中国はずっと内戦もあったし、自治区があったりとなかなか一つにまとまるのが難しいから・・・だからある程度強い指導者が必要かもしれないわね・・・」とも言っていた・・・・