私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

武士の一分

2007-01-04 20:37:52 | 映画鑑賞
藩主のお毒見役を務める武士新之丞が貝の毒にあたり失明してしまう。
妻加世が藁をもすがる思いで頼った番頭の男(演 坂東三津五郎)は、その妻を騙し自分のものにしてしまうのだ。
離縁される加世。番頭の島田に復讐を誓う新之丞。

スマップの木村さんのファンではないので、辛口コメントの一つもいいたいと思っていたのだが、スマップの木村さんは非常に頑張っており、辛口コメントなどと軽口を叩くのは大変失礼な感じだ。

妻を思いやる武士と夫を支えようと懸命な妻。思いやりからくるお互いの気持ちの揺れが伝わってくる。(この思いやりの気持ちは笹野高史演じる奉公人とのやり取りからも伝わってくる)
お互いを思いやる気持ちが、ちょっとした台詞のやり取りに感じられるので、観ていても非常に感情が入りやすい。
悪役を演じた坂東三津五郎に、最後の果し合いの場面だけでなくもっと見せ場があったなら、更に物語は盛り上がっただろう。そこだけがちょっと残念だ。



一分 TAKUYA KIMURA

ジェネオン エンタテインメント

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
木村くんの (haiji)
2007-01-05 09:49:49
ズラにどうも違和感があり、観にいってませんが意見の分かれる映画のようですね。
『一分』が意味するものが何なのか気になりますが・・隠された意味もあるのでしょうね。
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藤沢周平氏の錯覚 (0077)
2007-01-05 23:00:13
海阪藩のモデルにはこのような卑劣を許さない峻烈なコンセンサスがありました。藤沢周平は農民出身で、想像しながら小説化しているので、このような書き方をしているのですが、山田太一などもこれが「武士の一分」と錯覚しているようです。
生前に藤沢周平氏とある会であった時、(私の先生と談笑中のところに藤沢氏が顔を出されたのですが)「藤沢氏は士風をかなり曲げて書いているのでは」という話に、藤沢氏の答がなかったことを昨日のように思い出します。
 批判的ですいません。藤沢氏が過褒されている現在では、マスコミは誰も批判的なことを言いませんが、いずれ皆さんにも理解されると思います。
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[つまり)映画のタイトルが「おこがましい」ということ (0077)
2007-01-05 23:14:00
キムタクの熱演を評価するゆみこさんの気持ちは理解できます。それだけにこのような内容が「武士の一分」であると信じてしまうキムタクが可哀想ですね。「武士の一分」とはもっと峻厳なものであったという歴史の一例でも知らせてやりたい気持ちです。これは本心です。
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Unknown (ゆみこ)
2007-01-06 13:33:42
haijiさん
私も観る前は、見た目にちょっと違和感はあったのですが、結構楽しくみることが出来ました。だた着物姿はやっぱり坂東三津五郎さんの方が何倍もしっくりしていますね。(着慣れているから当然ですね・・・)

0077さん
正直に言うと、観る前も観終わってからも一分が何かということについてはあまり考えませんでした。
(私の暢気な思考回路ではいつものことです)
ただ普段時代劇はあまり見ない私でも楽しく観ることが出来たので、そういう点では娯楽映画としては成功の部類に入るのではないかなと思っています。
武士の一分というタイトルは、それが映画の内容とあっているかどうかは別として、インパクトはあるのではないかなと思っています。
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