香港のイギリス統治最後の日、25年前の1997年6月30日、平成9年の6月30日は私にとっても忘れられない日だ。
13年間勤務していた会社をやや不本意な理由ながら辞める事になった日だからだ。
なんとなく勤務先の業績が悪いのも分かっていたので「なんとか、手に職を付けてサクッと退職しよう」と準備をしていたのだが、その準備半ばで「これ以上勤務してもらっても、配置転換を受け入れてもらうしかない。30歳も過ぎて、そんなみじめな事になるなら、その前に自分から辞めた方がいいんじゃないか・・・その方が君の為だよ」と言われたのだ。いわゆる退職勧奨だ。当時は「交渉してなんとしてもいい条件を手に入れて辞めてやる」と思う気力もなかった。結局なんの交渉もせず、他言無用と口止めをされ、自ら退職届を書き、自己都合で退職した日だったのだ。
この日は月曜日だった。週の初めの日なのに、何も知らない人達に終業後に送別会を開いて貰い「月曜日から申し訳ないな・・・」と思ったからよく覚えている。
帰宅するともう日本は7月1日になっていたのだが、香港はまだ6月30日だった。テレビでは返還のその時刻まで香港から生中継が放送されていた。中国は香港が返ってくるまで100年近くも待ち続けたけれど、本当に一国二制度は50年間キチンと続くのだろうかなどと、長い時間軸の話を考えながら、私の13年など大したことないな・・・今からやり直しだ・・・ため息をつきながら、着替えもせずに午前1時までその様子をぼーっと眺めていた。
あの時は、25年後に一国二制度がこんな事になっているとは思いもしなかった。
今でも7月1日になるたび、あの香港返還の様子と自分の社会人としての再出発の覚悟を思い出す。