私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

ラブレター13話

2005-09-14 20:50:34 | 韓国字幕つきドラマ感想
ウジンへ別れを告げるウナに「イタリアからアンドレアが帰国したことですべてが振り出しになってしまった」といいながらも諦める様子を見せないウジン。
押して押して押しまくるあの粘り強さは一体どこからくるのだろう。
アンドレアがいない間ウナがウジンを頼りにしていたのは、この押しがあってこそと良く分かる。
しかしウジンを受け入れられないウナもアンドレアに対しては静かに愛を求めるのだ。
「もう少し後で神父にはなれないの?もう何ヶ月間だけでも私のことを愛してくれないの?」
ああどこかで聞いたようなこの台詞。
秋の童話の中で余命いくばくもない妹ウンソが兄ジュンソに対して言っていたのと同じではないか?
「お兄ちゃん ユミさんとアメリカへ行く前に、こんな風に私と二人だけであってもらえないかな?アメリカへ行くのをもう少し遅らせてもらえないかな?」(秋の童話と冬のソナタの脚本家 オ・スヨンが執筆した作品だからこそ感じられる既視感に違いない・・)
秋の童話では思いがけない妹ウンソの言葉に動揺し、どっちつかずの態度を取る兄ジュンソが歯がゆいが、このドラマでのアンドレアはどこまでも凛々しく、ウナとのことはどんなことでも罪だと、どこまでもウナを拒否するのだ。しかしアンドレアに負けず「教会で会うのは嫌。あそこはみんな私の敵だもの」と言い放つウナ。

ウナを愛するといいながら、(アンドレア 神に対して怒っている場合ではないだろう。もう神父になるのは諦めたらどうなのか?)
神父の道を歩もうとするアンドレアと、病気のことをどこまでも隠しながら最後の時間をアンドレアと過ごそうとするウナ。
普通押してもだめなら引いてみるのが常套手段だと思うのだが、せつなさの中にありながらも、この二人のきっぱりとした、押して押してそして押すその愛し方。

このドラマの面白いところは、こんな風に3人がそれぞれ押しの一手の愛し方をしながらも、同時に神に対して怒りも感じていることだ。
アンドレアは一度は諦めたウナと再び出会わせた神に怒り、ウナは両親、そして愛するアンドレアを自分から奪っていった神に怒り、そしてウジンはアンドレアよりウナに早く会えなかったこと運命のいたずらに苛立ちを覚えている。
三人の行き場のない怒りと押しの強さ。これに泣かされてしまうのだ。

アンドレアの帰りを待ち何時間も道に立ち続け、倒れたウナを背負い夜道を駆けるアンドレア。
確かにその姿を見れば、教会のうわさ好きの信者でなくても二人の仲を疑わずにはいられない。
噂になってしまって、どうするウナ、どうするアンドレア。お気楽シスターでなくても二人の仲を心配してしまうというものだ。



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