この小屋を建てたのは昭和53年。
当時は100鉢も持っていませんでしたから
がらんとしたスペースにパラパラと置かれたのを見て
果たしてここが一杯に満たされる日が来るのだろうかと
夢のまた夢のような気がしてため息が出たものでした。
なにしろその頃の富貴蘭は自分の給料と比べても
ものすごく高価なものだったのです。
まさかここが溢れ返って、さてどうしようとため息が出るとは
夢にも思いませんでした。
ただ有るのはもう人気がなく忘れ去られたような品種が大半。
今のところ植え替えもままならず置いてあるだけですが
姿の良い株立ちにすればきらりと光る魅力を持っていますので
いつか場所が拡張できたらていねいに作り込みたいものと思っています。
なんか画像がないと寂しいので九州産の縞。
一昨年だったかな?ヤフオクで入手しました。
ハデで育つかなと思っていましたが
ちょっと後暗みの柄が良かったみたいです。
当時は100鉢も持っていませんでしたから
がらんとしたスペースにパラパラと置かれたのを見て
果たしてここが一杯に満たされる日が来るのだろうかと
夢のまた夢のような気がしてため息が出たものでした。
なにしろその頃の富貴蘭は自分の給料と比べても
ものすごく高価なものだったのです。
まさかここが溢れ返って、さてどうしようとため息が出るとは
夢にも思いませんでした。
ただ有るのはもう人気がなく忘れ去られたような品種が大半。
今のところ植え替えもままならず置いてあるだけですが
姿の良い株立ちにすればきらりと光る魅力を持っていますので
いつか場所が拡張できたらていねいに作り込みたいものと思っています。
なんか画像がないと寂しいので九州産の縞。
一昨年だったかな?ヤフオクで入手しました。
ハデで育つかなと思っていましたが
ちょっと後暗みの柄が良かったみたいです。
やはり、私は風蘭三昧さんに比べると駆け出しですね。始めて買ったのは子供が生まれてからだったからな。歴史の長さにです。
ところで、その頃ですでに100鉢ですか、給料のどれぐらいをつぎ込んでたんでしょうか?。
昭和53年といえば、私は小学校4年生でした。確か、親父に連れられて近くの古典園芸の交換会に出入りし始めた頃です。そのころは、葉1枚いくらと数えていたと記憶しています。その後、20年くらいのブランクがあって、最近自分で風蘭をはじめました。久々にその地元の会を覗いてみると、小学校の頃見た顔ぶれがほとんどそのままいたのには驚きました(もちろん、新しい方もいらっしゃいました)。富貴蘭は、息の長い趣味だなと思います。
富貴蘭を今年の春に始めました。早くこの趣味に目覚めればよかったのですが、長い間別の園芸趣味(盆栽)に凝っていました。風蘭三昧さんのように20年先を見据えての富貴蘭栽培という姿勢には盆栽にも通ずるところがあり、魅力を感じます。寒いところの方がこのような越冬小屋があれば、こちらのような暖地より、管理が楽そうですね。
ところで、皆さん初めて買った想い出の富貴蘭って覚えておいででしょうか?
富貴蘭にはまるきっかけとなった品種。
私は「桃源」です。
当時洋蘭にはまっていた私にとって風蘭の花は白というイメージしかなく、園芸店で桃源の桃花を見たとき感動したのを覚えています。安価な品種で、最近の特芸品などと比べるとまったく派手な芸ではありませんが、今も桃源の花を見ると懐かしくなります。
もしかして間に合わないかも? と思うと気力が萎えるのでそれは思わないことにしています。
風蘭は長く持っていましたが、初めての富貴蘭ですか?
桃の花の頃、お琴の会があり、目に留まった「桃琴」、を落札しました。ヤフオクですが初めてでしたので、ドキドキ
でした。
そして山採り風ランの花を楽しんでました。当時給料13万円、殆んどネオン街に消えていた?そして、趣味も色々回り道をしたようですがスペース、管理の楽さが性に合ってか、首までどっぷり浸かってます。
今は、置き場一杯200杯が限度で、今後は流行に流されない落ち着きを備えた趣味者に変身したいですね。でもね、見たものを欲しがる、これ不治の持病なんです。
富貴蘭を始めたのは父親が亡くなった41歳からですからまだまだ放たれ小僧です、風蘭三昧さんのブログは非常に参考になってます。
そういえば、先日取引先の方で私より一回り上の方と
話していたら、若い頃、思い切りさつきに没頭していたとのこと。
時代によ、園芸の趣味にもはやり、すたれがアルのでしょうが、江戸時代から続いている富貴蘭は大事
に次の時代に伝えたいですね。