久しぶりのピクサーの映画「メリダとおそろしの森」を、何時ものように孫のお伴をして見た。
原題は、「BRAVE」。主人公である王女メリダが、魔女がかけた森の呪いを解くために勇敢に戦うと言う自由奔放で勇ましいお姫様の映画で、中世のスコットランドを舞台に展開されるCGとは思えない程鮮やかで素晴らしい映像と、家族の情愛に満ちたストーリーが感動を呼ぶ。
シェイクスピアのマクベスとは、一味も二味も違ったスコットランドの牧歌的で大らかな古城風景が新鮮で清々しい。
今も健在なジョン・ラセターが統括総指揮しているのだが、最後に、会社立ち上げ時期の社長であったスティーブ・ジョブズ追悼の添え書きがあって、ジョブズのイノベーターとしての別な一面を思い出させてくれていて、懐かしい。
イギリスUKは、4か国からなっているが、このスコットランドは、今でも、独立を画策し続けているし、お札も独自のポンド札を発行しているし、一寸、イギリス南部のイングランドと違って、剛直で誇り高い地方と言う感じで、大地も、なだらかで緑したたる田園風景の美しいイングランドと違って、荒涼とした岩肌を見せた起伏の激しい土地もあり、この映画で雰囲気が良く現されていて興味深かった。
私は、車で、東部のニューカッスルを経て国境(?)を越えてスコットランドに入り、エジンバラやネス湖畔などで一週間ほど過ごして、湖水地方に抜けた旅をしたことがあるのだが、友人のスコットランド人を見ていても、大分、イングランドと違った国であることを実感している。
さて、この映画だが、
乗馬と弓矢を得意とする自由気ままでお転婆の王女メリダは、王妃エレノアに、気品と優雅さを求められる窮屈すぎる毎日に飽き飽きしており、とうとう、伝統を重んじて、他の部族の王子との結婚を望む王妃と、自由に夫を選びたいメリダとの諍いが高じる。怒った王妃は、メリダの弓を燃やしてしまったので、メリダは、家族の描かれたタペストリーを二人の絵の間で切り落として、愛馬を駆って森を目指す。
自由になりたい一心で、森の老婆を訪ねて、自分の運命を変える魔法を授けてくれと頼み、王妃の心を変えるためにと、老婆は、王妃に食べさせる魔法のタルトを渡す。
ところが、タルトを食べた王妃エレノアは、最も恐れられていた熊に変えられてしまう。共存共栄していた人間と森の間には、人間は森の魔法を使ってはならないと言う掟があって、メリダが頼んだために、森との掟が破られて、森の呪いがかけられたのである。
メリダと熊になったエレノアは、呪いを解いて貰うべく森に老婆を訪ねるが、休暇で留守で、日の出までに、絆を修復しなければ、永遠に謎が解けないと言うメッセージを残している。
メリダは、自分で餌を取れない母熊に必死になって生きる道を教え、母が熊に変えられてしまったことを知らずに殺そうと追っかけてくる父王や武人たちと戦い、森の魔法を使って国家を簒奪しようとした王子が変身させられた獰猛な熊モルデューが、襲い掛かってくるのを打ち殺そうと果敢に立ち向かう母を助けて倒す。
静かになった森で、メリダは、切り裂いたタペストリーを縫い繕って、母熊にかけると、呪いが解けて熊は王妃エレノアに戻る。
この映画は、王家の絆を修復するために、如何に苦難に立ち向かって戦うか、王女メリダの勇気が試される物語で、その中に人間のきずなの大切さと、森の掟をテーマにしながら、自然との調和、共存共栄のエコシステムの大切さを示唆しているのではないかと思って見ていた。
スコットランドの森が、実に、幻想的に美しく描かれていて、道標を示す鬼火の動きや、森のことの中心が、ストーンヘンジのように円形に並べられた巨大な岩の列柱の場で展開されていて、太古のイギリスを思わせるのが面白い。
スタッフは、スコットランドの森を再現するために現地調査をしたようで、苔の描写に最も神経を使ったと言うが、自然よりももっとビビッドで、シェイクスピアがアーデンの森で描こうとしていた世界のような気がしている。
それに、びっくりするのは、カーリングしたメリダの豊かな髪が、本物の髪と寸分違わない程、揺れてなびき、鮮やかに呼吸していることで、CGがここまで来たのかと言う驚きを感じるとともに、
メリダと王妃は勿論、国王、そして、集合する個性に富んだ3部族の人々の表情の豊かさや、タータンチェックをはじめ衣装の微妙な陰影の鮮やかさなど、感動する程、素晴らしい映像が魅了してくれる。
スコットランド人たちの戦いの場など、多くの人物が入り乱れて争う群像のビビッドな動きもそうだが、黒光りして波打つ母熊の躍動する姿態なども含めて、映画芸術のイノベーションの新展開に感動する。
ピクサーのこの映画は、トイ・ストーリーや、これまでの、どちらかと言うとモノが主役であった映画と違って、人間を主人公にし、それも、女の子を中心に描くと言う面白い展開で、エポックメイキングでもある。
それに、今度、何となく感じたのは、この映画が、宮崎駿のじぶりの映画と相通じるところがあって、幻想的で空想に満ちた詩情の豊かさと、実に温かい人間賛歌が滲み出ていることである。
原題は、「BRAVE」。主人公である王女メリダが、魔女がかけた森の呪いを解くために勇敢に戦うと言う自由奔放で勇ましいお姫様の映画で、中世のスコットランドを舞台に展開されるCGとは思えない程鮮やかで素晴らしい映像と、家族の情愛に満ちたストーリーが感動を呼ぶ。
シェイクスピアのマクベスとは、一味も二味も違ったスコットランドの牧歌的で大らかな古城風景が新鮮で清々しい。
今も健在なジョン・ラセターが統括総指揮しているのだが、最後に、会社立ち上げ時期の社長であったスティーブ・ジョブズ追悼の添え書きがあって、ジョブズのイノベーターとしての別な一面を思い出させてくれていて、懐かしい。
イギリスUKは、4か国からなっているが、このスコットランドは、今でも、独立を画策し続けているし、お札も独自のポンド札を発行しているし、一寸、イギリス南部のイングランドと違って、剛直で誇り高い地方と言う感じで、大地も、なだらかで緑したたる田園風景の美しいイングランドと違って、荒涼とした岩肌を見せた起伏の激しい土地もあり、この映画で雰囲気が良く現されていて興味深かった。
私は、車で、東部のニューカッスルを経て国境(?)を越えてスコットランドに入り、エジンバラやネス湖畔などで一週間ほど過ごして、湖水地方に抜けた旅をしたことがあるのだが、友人のスコットランド人を見ていても、大分、イングランドと違った国であることを実感している。
さて、この映画だが、
乗馬と弓矢を得意とする自由気ままでお転婆の王女メリダは、王妃エレノアに、気品と優雅さを求められる窮屈すぎる毎日に飽き飽きしており、とうとう、伝統を重んじて、他の部族の王子との結婚を望む王妃と、自由に夫を選びたいメリダとの諍いが高じる。怒った王妃は、メリダの弓を燃やしてしまったので、メリダは、家族の描かれたタペストリーを二人の絵の間で切り落として、愛馬を駆って森を目指す。
自由になりたい一心で、森の老婆を訪ねて、自分の運命を変える魔法を授けてくれと頼み、王妃の心を変えるためにと、老婆は、王妃に食べさせる魔法のタルトを渡す。
ところが、タルトを食べた王妃エレノアは、最も恐れられていた熊に変えられてしまう。共存共栄していた人間と森の間には、人間は森の魔法を使ってはならないと言う掟があって、メリダが頼んだために、森との掟が破られて、森の呪いがかけられたのである。
メリダと熊になったエレノアは、呪いを解いて貰うべく森に老婆を訪ねるが、休暇で留守で、日の出までに、絆を修復しなければ、永遠に謎が解けないと言うメッセージを残している。
メリダは、自分で餌を取れない母熊に必死になって生きる道を教え、母が熊に変えられてしまったことを知らずに殺そうと追っかけてくる父王や武人たちと戦い、森の魔法を使って国家を簒奪しようとした王子が変身させられた獰猛な熊モルデューが、襲い掛かってくるのを打ち殺そうと果敢に立ち向かう母を助けて倒す。
静かになった森で、メリダは、切り裂いたタペストリーを縫い繕って、母熊にかけると、呪いが解けて熊は王妃エレノアに戻る。
この映画は、王家の絆を修復するために、如何に苦難に立ち向かって戦うか、王女メリダの勇気が試される物語で、その中に人間のきずなの大切さと、森の掟をテーマにしながら、自然との調和、共存共栄のエコシステムの大切さを示唆しているのではないかと思って見ていた。
スコットランドの森が、実に、幻想的に美しく描かれていて、道標を示す鬼火の動きや、森のことの中心が、ストーンヘンジのように円形に並べられた巨大な岩の列柱の場で展開されていて、太古のイギリスを思わせるのが面白い。
スタッフは、スコットランドの森を再現するために現地調査をしたようで、苔の描写に最も神経を使ったと言うが、自然よりももっとビビッドで、シェイクスピアがアーデンの森で描こうとしていた世界のような気がしている。
それに、びっくりするのは、カーリングしたメリダの豊かな髪が、本物の髪と寸分違わない程、揺れてなびき、鮮やかに呼吸していることで、CGがここまで来たのかと言う驚きを感じるとともに、
メリダと王妃は勿論、国王、そして、集合する個性に富んだ3部族の人々の表情の豊かさや、タータンチェックをはじめ衣装の微妙な陰影の鮮やかさなど、感動する程、素晴らしい映像が魅了してくれる。
スコットランド人たちの戦いの場など、多くの人物が入り乱れて争う群像のビビッドな動きもそうだが、黒光りして波打つ母熊の躍動する姿態なども含めて、映画芸術のイノベーションの新展開に感動する。
ピクサーのこの映画は、トイ・ストーリーや、これまでの、どちらかと言うとモノが主役であった映画と違って、人間を主人公にし、それも、女の子を中心に描くと言う面白い展開で、エポックメイキングでもある。
それに、今度、何となく感じたのは、この映画が、宮崎駿のじぶりの映画と相通じるところがあって、幻想的で空想に満ちた詩情の豊かさと、実に温かい人間賛歌が滲み出ていることである。