先日、ひょんなことから深夜にTVを点けたら、ビートたけしが、高倉健を語っていて、久しぶりに高倉健主演の映画「あなたへ」が公開されることを知った。
SMAPの香取慎吾(35)が司会を務める「Sma STATION!!」に、高倉健が15年ぶりに電撃出演し、生放送は人生初だということだったが、高倉の隠れた生の一面が見えて興味深かった。
ところで、この映画は、富山刑務所の指導技官・倉島英二(高倉健)のもとに、ある日、亡き妻・洋子(田中裕子)が残した絵手紙が届き、その一通に、白い灯台を一羽のスズメが見上げる絵をバックにして「あなたへ 私の遺骨は故郷の海に撒いてください」と書かれている。
もう一通は、平戸の郵便局への「局留め郵便」であり、期限は10日間なので、それまでに、洋子の故郷平戸へ向かわねばならない。
堅物で通っていた倉島が、慰問に来て歌を披露していた洋子と結婚して、穏やかで幸せな結婚生活を送っていた筈なのに、何故、妻は自分の思いを直接伝えてくれなかったのか、自分は一体妻にとって何だったのか、その妻の真意を確かめたくて、苦しい思いを胸に秘めて、自家製のキャンピングカーに乗って、1200キロの道を、洋子の故郷平戸へ向かって旅立つ。
スタッフたちが限りなき愛情を籠めて慈しみながら写し出した日本の風景が、実に美しくて印象的で、それに、道中で一期一会で遭遇する人々との数奇な出会いと運命の触れ合いが、胸を締め付けるほど強烈な感動を呼ぶ。
旅路で出会った風景や人物とを錯綜させながら、洋子との生活と思い出をオーバーラップさせて追想するストーリー展開は、正に秀逸で、妻との幸せだった思い出を反芻しながら改めて妻の愛情の深さに感動し、生きることの幸せと悲しみを噛み締める倉島の心の軌跡は、凝縮した人生そのもの、そして、人間賛歌である。
旅の冒頭部分には、二人の幸せそうな様子が描かれている。
自分たちが制作した神輿が登場する新湊内川の祭りを見物していて、知らない内に、どこかぎこちない健さんのデジカメ写真に写しだされた自分を見て喜ぶ洋子の様子や、二人だけで氷見市島尾海岸の波打ち際を歩きながら漂流して来た大きな古木を持ち上げて愛でる洋子の姿を通してで、病床の洋子と対照的である。
乗鞍スカイライン、飛騨高山、朝来の竹田城址、大阪の道頓堀、下関の火の山や唐戸、門司港レトロ地区、そして、終着地の平戸・薄香港と玄海の海。美しくて懐かしい日本の風景が展開されて行く。
天空の城と呼ばれている兵庫県朝来市にある竹田城址で、田中裕子が「星めぐりの歌」を歌う野外コンサート・シーンは実に感動的で、その後、中国山脈の山並みをバックに真っ白な雲海に巨艦のように浮かび上がる城址が映し出されるのであるが、実に美しい。昔、ペルーで訪れたマチュピチュを思い出した。
この口絵写真は、倉島が、平戸の街を歩いていて、ふと立ち止まった打ち捨てられた廃墟の様になった古い写真館のショーウインドーを眺めていて、色の褪せてしまった古い写真の中に、講堂の舞台に立って歌う女生徒の姿を見て、妻・洋子の原点とも言うべき故郷を感じて感動するシーンである。
軽く、写真前のガラス戸を握りこぶしで叩いて挨拶し、その後、絵手紙に描かれていた真っ白な伊王島灯台を訪れて、真っ青な海に向かって、洋子の残した二通の絵手紙を空中に手放す。もう一通の絵手紙には、灯台を後にして飛び立つスズメの絵をバックに、さようならとだけ書かれていた。
ところで、この映画で興味深いのは、非常に芸達者で素晴らしい演技を披露している脇役陣の活躍であるが、まず、地味だが、倉島の同僚塚本和夫夫妻を演じる長塚京三と原田美枝子の実に温かくて淡々とした優しさが印象的である。
次に、旅の途中、飛騨高山の板蔵ドライブインで出会うビートたけし演じる杉野輝夫で、山頭火を論じて旅と放浪の違いを語るどこかインテリ風のキャラバン仲間なのだが、車上荒らしとして逮捕されて行く。旅と放浪の違いは、目的があるかないか、そして、帰るところがあるかないかだと語り、山頭火の文庫本を倉島に残すのだが、何時にもない非常にまじめな役づくりに終始していて、軟らかく語りながらほろりとさせる語り口が実に良い。
もう一人の旅での出会いは、草剛のイカメシ弁当の実演販売人・田宮祐司で、車の故障を良いことにして、人の良い倉島に京都から大阪まで送らせたばかりではなく、チャッカリと、料理の手伝いまでさせるのだが、イカを洗って下ごしらえをする高倉健の姿が傑作である。
憎めなくてついつい引っ張られて仕事に巻き込まれるのだが、更に一緒にと言われたのだが、妻の局留めの郵便受け取りの期限が明日なので、その晩はつきあうと、遅くまで居酒屋で、仕事を止めたいとは思うのだが、妻に男が出来てそれをはっきりさせるのが怖くて続けていると言う愚痴を聞く。
それを聞いていた田宮の同僚の南原慎一(佐藤浩市)が、「そう言うものを、引き受ける気持ちがなければ、こんな暮らしは止めた方が良い」と決然と助言するのだが、この南原は、後で分かるのだが、暗い過去を背負って鬼籍に入った筈の隠れた人生を生きている。
南原は、うたた寝していた倉島の部屋を訪ねて来て、薄香で、散骨のために船の手配に困ったら、この人を頼れば良いとメモを渡す。
台風襲来の大嵐の日に、倉島は薄香の港について、船の手配を頼むが、どこからも断られる。
夕食を食べるために立ち寄った食堂で、南原から教えられた名前を言ってメモを見せると、娘・濱崎奈緒子(綾瀬はるか)がおじいちゃんだと言う。母の濱崎多惠子(余貴美子)が、メモをじっと眺めている。
嵐の去った翌日、前日断られた件の船頭・大浦吾郎(大滝秀治)に頼みに行くと、天気の良い日に引き受けてくれると言う。
その夜、キャンピングカーの倉島に、夕食を運んできた多惠子が、娘と許嫁の大浦卓也(三浦貴大)の写った写真を持って現れて、海で遭難死した夫が見て喜ぶであろうから、妻の散骨と同時に海に投げて欲しいと頼み、海だけに打ち込んでおれば良かったのに夢を見て手を出した仕事で失敗して死んだと夫の話をする。
翌日、快晴の凪いだ美しい海に、吾郎と卓也の船に乗って玄海にでて、「久しぶりに、綺麗な海ば見た」と言う吾郎の言葉を聞いて、倉島は、慈しむようにしっかりと洋子の遺骨を握りしめて船端から海に散骨する。アブクとなって消えて行った人魚姫の様に、真っ白な美しい泡のように舞ながら、沈んで行く。
「久しぶりに、綺麗な海ば見た」。老船頭の大滝秀治の自愛に満ちたつぶやきに、お礼を引っ込める倉島の高倉健の「妻の唯一の遺言でであった故郷の海に散骨して欲しい」と言う願いに応えてやれた万感の思いが、真っ青な海と恍惚とする二人の名優の姿に凝縮していて感動を呼ぶ。
富山への帰途、倉島は、イカメシ弁当を売っている南原を呼んで、多惠子から海に投げてくれと頼まれた写真を渡す。
現職の刑務所の指導技官である以上違法行為は見逃せないので、既に、覚悟をきめて、塚本総務部長から突き返されていた退職届を、平戸の郵便局から発送しており、「鳩になりました」と言って去って行く。
私は、この映画を見ていて、正に、次元は違うかも知れないが、寅さんの映画を見ているような感動を覚えた。
美しい映像をバックに、善意の人たちの織り成す温かくて切ない日本人の生活が脈打っていて、しみじみと生きる幸せを味わわせてくれる。
そんな宝石のような思い出がぎっしりと詰まった私の故郷を丸ごと実感して、自分との幸せだった生活をもう一度心から噛み締めて欲しい、妻・洋子の請い願いに感動する倉島。
日本の美しい風物や豊かな自然の織り成すふるさとには、限りなき思いと憧憬、そして、心のふるさとを髣髴とさせる魔法のような魅力があることを、長い間海外生活を経験してきた私には、痛い程良く分かるのである。
倉島が、妻の思いが分からなくて苦しんだことを語ると、余貴美子の濱崎多惠子は、「夫婦やけんて、相手のことが、全部は分かりはしません」と応えるのだが、自分の不始末を清算するために保険金を残して消えて行った夫が生きていることを知った妻の万感の思いを籠めた心情の吐露であろう。
この多惠子の助言で、救われたと、別れ際に南原にもらすのだが、やはり、人間は、人と人の触れ合いを通じて感動しながら生きているのである。
慣れ親しんであれほど愛した妻洋子の故郷への初めての旅路で、今まで感じたことのないような人生の奥深さを感じて、妻の深い愛情を実感した倉島の心を、どこか恥ずかしそうな子供のように、稚拙ささえ感じされる不器用な演技で、語り抜いた高倉健は、正に、日本屈指の名優であろう。
最後になったが、妻洋子を演じた田中裕子だが、昔から、生まれながらの天性の女優だと思って注目し続けて見ているので、
独房でスズメに餌付けする夫を亡くして、歌の慰問で通っていた刑務所で倉島に見初められて結婚し、倉島との薄日の様なつかの間の幸せを噛み締めなら病床に倒れた、どこか陰のある女性を演じて、正に、感動的な名演であった。
今回は、どちらかと言えば、腫れぼったい目をして薄幸の主人公の様な謎のある女性像を演じていた感じだが、幸せそうな表情をすると実に初々しくて感動する程美しい。
何度か、しっとりとした情緒のある歌う姿を披露していたが、中々感動的で、イギリスのシェイクスピア役者の様に、芝居も歌も水準をはるかに超えた舞台を見せる両刀使いであることを示している。
高倉健が、崇拝して止まない降旗康男監督の素晴らしさは、言うまでもなかろう。
SMAPの香取慎吾(35)が司会を務める「Sma STATION!!」に、高倉健が15年ぶりに電撃出演し、生放送は人生初だということだったが、高倉の隠れた生の一面が見えて興味深かった。
ところで、この映画は、富山刑務所の指導技官・倉島英二(高倉健)のもとに、ある日、亡き妻・洋子(田中裕子)が残した絵手紙が届き、その一通に、白い灯台を一羽のスズメが見上げる絵をバックにして「あなたへ 私の遺骨は故郷の海に撒いてください」と書かれている。
もう一通は、平戸の郵便局への「局留め郵便」であり、期限は10日間なので、それまでに、洋子の故郷平戸へ向かわねばならない。
堅物で通っていた倉島が、慰問に来て歌を披露していた洋子と結婚して、穏やかで幸せな結婚生活を送っていた筈なのに、何故、妻は自分の思いを直接伝えてくれなかったのか、自分は一体妻にとって何だったのか、その妻の真意を確かめたくて、苦しい思いを胸に秘めて、自家製のキャンピングカーに乗って、1200キロの道を、洋子の故郷平戸へ向かって旅立つ。
スタッフたちが限りなき愛情を籠めて慈しみながら写し出した日本の風景が、実に美しくて印象的で、それに、道中で一期一会で遭遇する人々との数奇な出会いと運命の触れ合いが、胸を締め付けるほど強烈な感動を呼ぶ。
旅路で出会った風景や人物とを錯綜させながら、洋子との生活と思い出をオーバーラップさせて追想するストーリー展開は、正に秀逸で、妻との幸せだった思い出を反芻しながら改めて妻の愛情の深さに感動し、生きることの幸せと悲しみを噛み締める倉島の心の軌跡は、凝縮した人生そのもの、そして、人間賛歌である。
旅の冒頭部分には、二人の幸せそうな様子が描かれている。
自分たちが制作した神輿が登場する新湊内川の祭りを見物していて、知らない内に、どこかぎこちない健さんのデジカメ写真に写しだされた自分を見て喜ぶ洋子の様子や、二人だけで氷見市島尾海岸の波打ち際を歩きながら漂流して来た大きな古木を持ち上げて愛でる洋子の姿を通してで、病床の洋子と対照的である。
乗鞍スカイライン、飛騨高山、朝来の竹田城址、大阪の道頓堀、下関の火の山や唐戸、門司港レトロ地区、そして、終着地の平戸・薄香港と玄海の海。美しくて懐かしい日本の風景が展開されて行く。
天空の城と呼ばれている兵庫県朝来市にある竹田城址で、田中裕子が「星めぐりの歌」を歌う野外コンサート・シーンは実に感動的で、その後、中国山脈の山並みをバックに真っ白な雲海に巨艦のように浮かび上がる城址が映し出されるのであるが、実に美しい。昔、ペルーで訪れたマチュピチュを思い出した。
この口絵写真は、倉島が、平戸の街を歩いていて、ふと立ち止まった打ち捨てられた廃墟の様になった古い写真館のショーウインドーを眺めていて、色の褪せてしまった古い写真の中に、講堂の舞台に立って歌う女生徒の姿を見て、妻・洋子の原点とも言うべき故郷を感じて感動するシーンである。
軽く、写真前のガラス戸を握りこぶしで叩いて挨拶し、その後、絵手紙に描かれていた真っ白な伊王島灯台を訪れて、真っ青な海に向かって、洋子の残した二通の絵手紙を空中に手放す。もう一通の絵手紙には、灯台を後にして飛び立つスズメの絵をバックに、さようならとだけ書かれていた。
ところで、この映画で興味深いのは、非常に芸達者で素晴らしい演技を披露している脇役陣の活躍であるが、まず、地味だが、倉島の同僚塚本和夫夫妻を演じる長塚京三と原田美枝子の実に温かくて淡々とした優しさが印象的である。
次に、旅の途中、飛騨高山の板蔵ドライブインで出会うビートたけし演じる杉野輝夫で、山頭火を論じて旅と放浪の違いを語るどこかインテリ風のキャラバン仲間なのだが、車上荒らしとして逮捕されて行く。旅と放浪の違いは、目的があるかないか、そして、帰るところがあるかないかだと語り、山頭火の文庫本を倉島に残すのだが、何時にもない非常にまじめな役づくりに終始していて、軟らかく語りながらほろりとさせる語り口が実に良い。
もう一人の旅での出会いは、草剛のイカメシ弁当の実演販売人・田宮祐司で、車の故障を良いことにして、人の良い倉島に京都から大阪まで送らせたばかりではなく、チャッカリと、料理の手伝いまでさせるのだが、イカを洗って下ごしらえをする高倉健の姿が傑作である。
憎めなくてついつい引っ張られて仕事に巻き込まれるのだが、更に一緒にと言われたのだが、妻の局留めの郵便受け取りの期限が明日なので、その晩はつきあうと、遅くまで居酒屋で、仕事を止めたいとは思うのだが、妻に男が出来てそれをはっきりさせるのが怖くて続けていると言う愚痴を聞く。
それを聞いていた田宮の同僚の南原慎一(佐藤浩市)が、「そう言うものを、引き受ける気持ちがなければ、こんな暮らしは止めた方が良い」と決然と助言するのだが、この南原は、後で分かるのだが、暗い過去を背負って鬼籍に入った筈の隠れた人生を生きている。
南原は、うたた寝していた倉島の部屋を訪ねて来て、薄香で、散骨のために船の手配に困ったら、この人を頼れば良いとメモを渡す。
台風襲来の大嵐の日に、倉島は薄香の港について、船の手配を頼むが、どこからも断られる。
夕食を食べるために立ち寄った食堂で、南原から教えられた名前を言ってメモを見せると、娘・濱崎奈緒子(綾瀬はるか)がおじいちゃんだと言う。母の濱崎多惠子(余貴美子)が、メモをじっと眺めている。
嵐の去った翌日、前日断られた件の船頭・大浦吾郎(大滝秀治)に頼みに行くと、天気の良い日に引き受けてくれると言う。
その夜、キャンピングカーの倉島に、夕食を運んできた多惠子が、娘と許嫁の大浦卓也(三浦貴大)の写った写真を持って現れて、海で遭難死した夫が見て喜ぶであろうから、妻の散骨と同時に海に投げて欲しいと頼み、海だけに打ち込んでおれば良かったのに夢を見て手を出した仕事で失敗して死んだと夫の話をする。
翌日、快晴の凪いだ美しい海に、吾郎と卓也の船に乗って玄海にでて、「久しぶりに、綺麗な海ば見た」と言う吾郎の言葉を聞いて、倉島は、慈しむようにしっかりと洋子の遺骨を握りしめて船端から海に散骨する。アブクとなって消えて行った人魚姫の様に、真っ白な美しい泡のように舞ながら、沈んで行く。
「久しぶりに、綺麗な海ば見た」。老船頭の大滝秀治の自愛に満ちたつぶやきに、お礼を引っ込める倉島の高倉健の「妻の唯一の遺言でであった故郷の海に散骨して欲しい」と言う願いに応えてやれた万感の思いが、真っ青な海と恍惚とする二人の名優の姿に凝縮していて感動を呼ぶ。
富山への帰途、倉島は、イカメシ弁当を売っている南原を呼んで、多惠子から海に投げてくれと頼まれた写真を渡す。
現職の刑務所の指導技官である以上違法行為は見逃せないので、既に、覚悟をきめて、塚本総務部長から突き返されていた退職届を、平戸の郵便局から発送しており、「鳩になりました」と言って去って行く。
私は、この映画を見ていて、正に、次元は違うかも知れないが、寅さんの映画を見ているような感動を覚えた。
美しい映像をバックに、善意の人たちの織り成す温かくて切ない日本人の生活が脈打っていて、しみじみと生きる幸せを味わわせてくれる。
そんな宝石のような思い出がぎっしりと詰まった私の故郷を丸ごと実感して、自分との幸せだった生活をもう一度心から噛み締めて欲しい、妻・洋子の請い願いに感動する倉島。
日本の美しい風物や豊かな自然の織り成すふるさとには、限りなき思いと憧憬、そして、心のふるさとを髣髴とさせる魔法のような魅力があることを、長い間海外生活を経験してきた私には、痛い程良く分かるのである。
倉島が、妻の思いが分からなくて苦しんだことを語ると、余貴美子の濱崎多惠子は、「夫婦やけんて、相手のことが、全部は分かりはしません」と応えるのだが、自分の不始末を清算するために保険金を残して消えて行った夫が生きていることを知った妻の万感の思いを籠めた心情の吐露であろう。
この多惠子の助言で、救われたと、別れ際に南原にもらすのだが、やはり、人間は、人と人の触れ合いを通じて感動しながら生きているのである。
慣れ親しんであれほど愛した妻洋子の故郷への初めての旅路で、今まで感じたことのないような人生の奥深さを感じて、妻の深い愛情を実感した倉島の心を、どこか恥ずかしそうな子供のように、稚拙ささえ感じされる不器用な演技で、語り抜いた高倉健は、正に、日本屈指の名優であろう。
最後になったが、妻洋子を演じた田中裕子だが、昔から、生まれながらの天性の女優だと思って注目し続けて見ているので、
独房でスズメに餌付けする夫を亡くして、歌の慰問で通っていた刑務所で倉島に見初められて結婚し、倉島との薄日の様なつかの間の幸せを噛み締めなら病床に倒れた、どこか陰のある女性を演じて、正に、感動的な名演であった。
今回は、どちらかと言えば、腫れぼったい目をして薄幸の主人公の様な謎のある女性像を演じていた感じだが、幸せそうな表情をすると実に初々しくて感動する程美しい。
何度か、しっとりとした情緒のある歌う姿を披露していたが、中々感動的で、イギリスのシェイクスピア役者の様に、芝居も歌も水準をはるかに超えた舞台を見せる両刀使いであることを示している。
高倉健が、崇拝して止まない降旗康男監督の素晴らしさは、言うまでもなかろう。