千穐楽の文楽、それも、第一部は、「一谷嫩軍記」と「曽根崎心中」と言う、非常に意欲的で素晴らしい舞台であったので、当然、「満員御礼」であり、大満足であった。
「一谷嫩軍記」の方は、歌舞伎座の柿葺落四月公演で、吉右衛門や玉三郎が出演して素晴らしい舞台が展開されたが、文楽では、人形を、熊谷を玉女、妻相模を紋壽、藤の局を和生、義経を清十郎、弥陀六を玉也などが遣い、大夫と三味線が、夫々、三輪大夫・喜一朗、呂勢大夫・清治、英大夫・團七と言う凄い布陣であるから、正に、冒頭から熱が籠っていた。
この文楽と歌舞伎との大きな違いは、歌舞伎では、幕が引かれた後、直実が、花道のスッポンに立って、「16年はひと昔。夢であったなあ。」と中空を仰いで慨嘆するのだが、文楽では、僧衣になった直実に吃驚した妻相模に、僧・連生となった謂れを語った最後の言葉であり、あれ程の、インパクトも感慨も感じさせないのが面白い。
その後、文楽では、熊谷と相模は、黒谷の法然を頼って、弥陀六と藤の局も娘の待つ宿へ、さらば、さらば、と別れて行くのだが、歌舞伎も昔は、文楽のように、全員舞台に残って引張りの見得で幕だったようだが、七代目團十郎が、今の型を編み出して、踏襲されているのだと言う。
勧進帳での弁慶の飛六方同様、中々、劇的なエンディングで、演出効果抜群である。
歌舞伎の方は、どうだったのか、記憶が定かではないのだが、文楽で、義経が、弥陀六に、娘(清盛の娘)に土産に持って帰れと敦盛の入った鎧櫃を与えた後の直実と相模との対話が、人間味があって、実に、興味深いと思った。
どうして敦盛と小次郎を取り替えたのかと聞かれて、直実が、「手負いと偽り、無理に小脇にひん挟み連れ帰ったのが敦盛様。また、平山を追っ駆け出でたを呼び返して、首討ったのが小次郎さ。知れたこと。」と答えて簡潔に種明かしをしたのに対して、相模が、「エ々、胴欲な熊谷殿。こなたひとりの子かいナウ。」と言って、百里二百里と会うのだけを楽しみにやって来たのに、訳も十分言わずに、勝手に愛息を殺しておいて、知れたことと叱るばかりが手柄でもござんすまいと、泣き口説く。
尤も、直実も、理不尽な義経の「一枝を伐らば一子を切れ」と言う命令に従ったばかりに、最も大切なものを失ったが故に、断腸の思いで仏門に入ったのだが、相模の泣き崩れるキツイ糾弾に、玉女の直実も、じっと顔を伏せて号泣していたのである。
この物語では、義経は、敦盛が後白河法皇の落胤であるから、自分の子供を身替りにしてでも殺すなと命じたこと、そして、弥陀六(実は、平家方の弥平兵衛宗清)が、清盛から、常盤と義経親子の命を助けたので、恩義に報いたと言うのが、この芝居の重要なテーマとなっていて、謂わば、義経を持ち上げて、判官贔屓の観客を喜ばせたのかも知れないのだが、私は、元々、壇ノ浦の合戦で、平家の漕ぎ手などを殺すと言う禁じ手などを多用して、平家を追い詰めた義経を、あまり、好きではないので、この筋書にも、無理を感じているので、むしろ、義経の横暴に泣く直実と相模の生きざまの方ばかりを見ながら、感動していた。
歌舞伎と違って、人形であるから、玉女の直実は、相模を踏みつけて、右手に握った制札で、藤の局の顏を遮る豪快な見得を切る。
それに、玉三郎も実に情感豊かで上手かったのだが、直実に、「敦盛の御首、ソレ藤の方へお目に掛けよ。」と言われて、わが子小次郎の生首を、愛おしそうに抱え込んで万感の思いを籠めて別れを告げている、その数分間の心の悲しみと葛藤を、紋壽は、人形に託して、切々と訴えて感動的であった。
このあたりの義経や相模や藤の局の動きに対して、直実は、殆ど、微動だにせずに、じっと耐えているのだが、義経への手前、動揺を見せられないと言う以上に、玉女の人形は、不条理な人生と運命の悪夢を噛みしめいるようで、堂々たる存在感があって良い。
和生の遣う藤の局は、やはり、文雀譲りの芸が冴えわたっていて、実に、優雅で品格があって感動的である。
清十郎の立役は、久しぶりなのだが、これは、歌舞伎でも、女形が務めることもあるので、順当なところなのであろうが、今月の舞台では、清十郎の素晴らしい女性像が鑑賞できなかったのが、残念であったと思っている。
さて、「曽根崎心中」だが、玉男が亡くなる少し前からは、簑助のお初と勘十郎の徳兵衛が定番となっていて、この国立劇場でも4回目くらいであろうか。
師弟コンビの素晴らしい舞台で、何時も、感激して見ている。
文楽のこの舞台や、歌舞伎の藤十郎の舞台など、曽根崎心中については、このブログでも、随分、書いて来た。
何故、二人は心中したのかだが、近松の他の心中もの作品である「冥途の飛脚」では、身請けの金に困った忠兵衛が、公金の封を切ると言うことであり、「心中天網島」も、治兵衛が、身請けの金が工面できなかったと言うことで、他の男に身請けされるのなら死んだ方がましだと言うのがテーマになっているのだが、この「曽根崎心中」は、友人に金を貸したのだが、偽印を遣って証文をでっち上げたと犯人扱いにされて、申し開きが立たないので心中をすると言うケースで、話が、少し違っている。
実際には、徳兵衛は、主人から妻の姪と結婚せよと強いられ、江戸の出店にやられることのなり、お初も身請け話が進んでいて、二進も三進も行かなくなって、二人が心中したと言うことのようだが、近松門左衛門は、油屋九平次(玉志)と言う友人で金持ちで恋敵を登場させて、義理と人情に泣く二人を心中に追い詰める話にして、観客を湧かせたのだと言う。
近松門左衛門の浄瑠璃原作と非常に近いのだが、冒頭の長い西国三十三所巡礼の部分を省略して、その観音めぐりを終えたお初が、醤油屋の手代・徳兵衛と最後の観音巡礼の地「生玉の社」で偶然の再会をする。と言うところから始まっている。
歌舞伎では、昭和28年(1953年)、東京の新橋演舞場で、中村鴈治郎 ・中村扇雀(坂田藤十郎)によって再開されて、その時は、宇野信夫が脚色したので原作にないのだが、偽判届がばれて九平次の悪が露見すると言う追加バージョンが上演されて現在に至っており、ここが文楽と大きく違うところである。
したがって、文楽でも歌舞伎でも、近松門左衛門の原作には、さらりと書かれているだけの九平次のお初たちへの嫌がらせが強調されて舞台が展開されているのだが、これは、芝居上の工夫であろう。
私には、最後の「天神森の段」の冒頭の、「この世の名残、夜も名残。死に往く身をたとふればあだしが原の道の露。一足づつに消えて往く、夢の夢こそ哀れなれ。」で始まる七五調の名調子が始まると、下手から、死に装束のお初と徳兵衛が登場する。このシーンが、何とも言えない程哀調を帯びて胸を締め付けて感動的なのである。
「早う殺して・・・」と合掌して目を閉じた天使のように恍惚境のお初の美しさ。
後振りで弓なりに仰け反るお初に、上から脇差を一気に胸を刺し自分の首を掻き切って死んで行く二人の最期。
「長き夢路を曽根崎の、森の雫と散りにけり」
この舞台でも、最も重要な「天満屋の段」で、縁の下に隠れている徳兵衛に、死の覚悟を足先で問うと、徳兵衛が、お初の足首を喉笛にあてがって応えると言う極め付きのシーンがあるのだが、
この足のシーンだが、先代の鴈治郎の徳兵衛と藤十郎のお初での初演での舞台写真でも残っているのだが、文楽では、女方の人形に足は吊らないので、この足をどうするか問題となり、栄三は反対したが、玉男が白い足を見せたいとして、この演出が定着して、今日も続いているのである。
この段は、九平次が、徳兵衛は死ぬ覚悟だとお初に言われて、死んだら俺がお初を可愛がってやると言うと、「私を可愛がらしやんすと、お前も殺すが合点か。」と凄むので、怖気づいた九平次が逃げ出すと言う凄さ。
正に、お初の独壇場の舞台で、この浄瑠璃は、お初を主人公にした大坂女の物語なのである。
この段は、久しぶりに、源大夫が、藤蔵の三味線で語ったが、声量に無理があり、やや、迫力に欠けてしまったのが、残念であった。
簑助のお初の健気さ神々しさ、生身の女優が演じる以上に人間味豊かで温かいお初人形を見ていると、人間業とは思えないし、文楽の凄さを実感して感動しきりである。
頼りないが精一杯に生きようとする大坂男の徳兵衛を実に愛情深く哀歓豊かに遣った勘十郎、心中天網島の小春も素晴らしかったが、今や、頂点の出来であろう。
「一谷嫩軍記」の方は、歌舞伎座の柿葺落四月公演で、吉右衛門や玉三郎が出演して素晴らしい舞台が展開されたが、文楽では、人形を、熊谷を玉女、妻相模を紋壽、藤の局を和生、義経を清十郎、弥陀六を玉也などが遣い、大夫と三味線が、夫々、三輪大夫・喜一朗、呂勢大夫・清治、英大夫・團七と言う凄い布陣であるから、正に、冒頭から熱が籠っていた。
この文楽と歌舞伎との大きな違いは、歌舞伎では、幕が引かれた後、直実が、花道のスッポンに立って、「16年はひと昔。夢であったなあ。」と中空を仰いで慨嘆するのだが、文楽では、僧衣になった直実に吃驚した妻相模に、僧・連生となった謂れを語った最後の言葉であり、あれ程の、インパクトも感慨も感じさせないのが面白い。
その後、文楽では、熊谷と相模は、黒谷の法然を頼って、弥陀六と藤の局も娘の待つ宿へ、さらば、さらば、と別れて行くのだが、歌舞伎も昔は、文楽のように、全員舞台に残って引張りの見得で幕だったようだが、七代目團十郎が、今の型を編み出して、踏襲されているのだと言う。
勧進帳での弁慶の飛六方同様、中々、劇的なエンディングで、演出効果抜群である。
歌舞伎の方は、どうだったのか、記憶が定かではないのだが、文楽で、義経が、弥陀六に、娘(清盛の娘)に土産に持って帰れと敦盛の入った鎧櫃を与えた後の直実と相模との対話が、人間味があって、実に、興味深いと思った。
どうして敦盛と小次郎を取り替えたのかと聞かれて、直実が、「手負いと偽り、無理に小脇にひん挟み連れ帰ったのが敦盛様。また、平山を追っ駆け出でたを呼び返して、首討ったのが小次郎さ。知れたこと。」と答えて簡潔に種明かしをしたのに対して、相模が、「エ々、胴欲な熊谷殿。こなたひとりの子かいナウ。」と言って、百里二百里と会うのだけを楽しみにやって来たのに、訳も十分言わずに、勝手に愛息を殺しておいて、知れたことと叱るばかりが手柄でもござんすまいと、泣き口説く。
尤も、直実も、理不尽な義経の「一枝を伐らば一子を切れ」と言う命令に従ったばかりに、最も大切なものを失ったが故に、断腸の思いで仏門に入ったのだが、相模の泣き崩れるキツイ糾弾に、玉女の直実も、じっと顔を伏せて号泣していたのである。
この物語では、義経は、敦盛が後白河法皇の落胤であるから、自分の子供を身替りにしてでも殺すなと命じたこと、そして、弥陀六(実は、平家方の弥平兵衛宗清)が、清盛から、常盤と義経親子の命を助けたので、恩義に報いたと言うのが、この芝居の重要なテーマとなっていて、謂わば、義経を持ち上げて、判官贔屓の観客を喜ばせたのかも知れないのだが、私は、元々、壇ノ浦の合戦で、平家の漕ぎ手などを殺すと言う禁じ手などを多用して、平家を追い詰めた義経を、あまり、好きではないので、この筋書にも、無理を感じているので、むしろ、義経の横暴に泣く直実と相模の生きざまの方ばかりを見ながら、感動していた。
歌舞伎と違って、人形であるから、玉女の直実は、相模を踏みつけて、右手に握った制札で、藤の局の顏を遮る豪快な見得を切る。
それに、玉三郎も実に情感豊かで上手かったのだが、直実に、「敦盛の御首、ソレ藤の方へお目に掛けよ。」と言われて、わが子小次郎の生首を、愛おしそうに抱え込んで万感の思いを籠めて別れを告げている、その数分間の心の悲しみと葛藤を、紋壽は、人形に託して、切々と訴えて感動的であった。
このあたりの義経や相模や藤の局の動きに対して、直実は、殆ど、微動だにせずに、じっと耐えているのだが、義経への手前、動揺を見せられないと言う以上に、玉女の人形は、不条理な人生と運命の悪夢を噛みしめいるようで、堂々たる存在感があって良い。
和生の遣う藤の局は、やはり、文雀譲りの芸が冴えわたっていて、実に、優雅で品格があって感動的である。
清十郎の立役は、久しぶりなのだが、これは、歌舞伎でも、女形が務めることもあるので、順当なところなのであろうが、今月の舞台では、清十郎の素晴らしい女性像が鑑賞できなかったのが、残念であったと思っている。
さて、「曽根崎心中」だが、玉男が亡くなる少し前からは、簑助のお初と勘十郎の徳兵衛が定番となっていて、この国立劇場でも4回目くらいであろうか。
師弟コンビの素晴らしい舞台で、何時も、感激して見ている。
文楽のこの舞台や、歌舞伎の藤十郎の舞台など、曽根崎心中については、このブログでも、随分、書いて来た。
何故、二人は心中したのかだが、近松の他の心中もの作品である「冥途の飛脚」では、身請けの金に困った忠兵衛が、公金の封を切ると言うことであり、「心中天網島」も、治兵衛が、身請けの金が工面できなかったと言うことで、他の男に身請けされるのなら死んだ方がましだと言うのがテーマになっているのだが、この「曽根崎心中」は、友人に金を貸したのだが、偽印を遣って証文をでっち上げたと犯人扱いにされて、申し開きが立たないので心中をすると言うケースで、話が、少し違っている。
実際には、徳兵衛は、主人から妻の姪と結婚せよと強いられ、江戸の出店にやられることのなり、お初も身請け話が進んでいて、二進も三進も行かなくなって、二人が心中したと言うことのようだが、近松門左衛門は、油屋九平次(玉志)と言う友人で金持ちで恋敵を登場させて、義理と人情に泣く二人を心中に追い詰める話にして、観客を湧かせたのだと言う。
近松門左衛門の浄瑠璃原作と非常に近いのだが、冒頭の長い西国三十三所巡礼の部分を省略して、その観音めぐりを終えたお初が、醤油屋の手代・徳兵衛と最後の観音巡礼の地「生玉の社」で偶然の再会をする。と言うところから始まっている。
歌舞伎では、昭和28年(1953年)、東京の新橋演舞場で、中村鴈治郎 ・中村扇雀(坂田藤十郎)によって再開されて、その時は、宇野信夫が脚色したので原作にないのだが、偽判届がばれて九平次の悪が露見すると言う追加バージョンが上演されて現在に至っており、ここが文楽と大きく違うところである。
したがって、文楽でも歌舞伎でも、近松門左衛門の原作には、さらりと書かれているだけの九平次のお初たちへの嫌がらせが強調されて舞台が展開されているのだが、これは、芝居上の工夫であろう。
私には、最後の「天神森の段」の冒頭の、「この世の名残、夜も名残。死に往く身をたとふればあだしが原の道の露。一足づつに消えて往く、夢の夢こそ哀れなれ。」で始まる七五調の名調子が始まると、下手から、死に装束のお初と徳兵衛が登場する。このシーンが、何とも言えない程哀調を帯びて胸を締め付けて感動的なのである。
「早う殺して・・・」と合掌して目を閉じた天使のように恍惚境のお初の美しさ。
後振りで弓なりに仰け反るお初に、上から脇差を一気に胸を刺し自分の首を掻き切って死んで行く二人の最期。
「長き夢路を曽根崎の、森の雫と散りにけり」
この舞台でも、最も重要な「天満屋の段」で、縁の下に隠れている徳兵衛に、死の覚悟を足先で問うと、徳兵衛が、お初の足首を喉笛にあてがって応えると言う極め付きのシーンがあるのだが、
この足のシーンだが、先代の鴈治郎の徳兵衛と藤十郎のお初での初演での舞台写真でも残っているのだが、文楽では、女方の人形に足は吊らないので、この足をどうするか問題となり、栄三は反対したが、玉男が白い足を見せたいとして、この演出が定着して、今日も続いているのである。
この段は、九平次が、徳兵衛は死ぬ覚悟だとお初に言われて、死んだら俺がお初を可愛がってやると言うと、「私を可愛がらしやんすと、お前も殺すが合点か。」と凄むので、怖気づいた九平次が逃げ出すと言う凄さ。
正に、お初の独壇場の舞台で、この浄瑠璃は、お初を主人公にした大坂女の物語なのである。
この段は、久しぶりに、源大夫が、藤蔵の三味線で語ったが、声量に無理があり、やや、迫力に欠けてしまったのが、残念であった。
簑助のお初の健気さ神々しさ、生身の女優が演じる以上に人間味豊かで温かいお初人形を見ていると、人間業とは思えないし、文楽の凄さを実感して感動しきりである。
頼りないが精一杯に生きようとする大坂男の徳兵衛を実に愛情深く哀歓豊かに遣った勘十郎、心中天網島の小春も素晴らしかったが、今や、頂点の出来であろう。