熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭:フレンチローズも咲き始めた

2013年05月12日 | わが庭の歳時記
   久しぶりの雨が明けた今朝、庭に出るとバラが随分開花している。
   口絵写真は、真っ先に咲いたフレンチローズのデリアである。
   イングリッシュローズの栽培に触発されて、フレンチローズ栽培にも挑戦したのだが、今のところ、両方とも新種のバラで、傾向が良く似ているのか、私には、その違いが分からない。
   ただ、国民性の影響なのか、イングリッシュローズの方は、質実剛健と言わないまでもきっちりとした折り目正しさのような風格を感じるのに対して、フレンチローズの方は、微妙なニュアンスとエレガントさを感じさせて、どことなく、洒落た雰囲気を感じさせてくれるような気がしている。
   尤も、私が育てた夫々10種類前後のバラの印象なので、当てにはならないかも知れない。
   

  
   イングリッシュローズの方は、オレンジ色主体のウイリアム・モーリスの次に、やや、褐色がかったピンクのセント・スインザンが咲き始めた。
   ウイリアム・モーリスは、ピンク、オレンジ、杏、黄色と言った色彩が微妙に入り組んだ花弁をつけていて葉脈が見えるなど、非常に美しくて面白い。
   私のバラには、バラ色と言う表現に拘ったわけではないのだが、椿と同様にピンク色の花を咲かせる種類が多いのだが、次に咲き始めたのは、鮮やかな濃紅の大輪バラのDLブレスウェイトであった。
   同じような深紅のバラ・フォールスタッフを、2メートル以上も伸びたのでつる薔薇仕立てにして垣根に這わせたのだが、惜しくも、昨年枯れてしまったので、今春、ウイリアム・シェイクスピア2000を買って大鉢に植え替えたのだが、まだ、蕾が固い。
   
   
     
   

   さて、垣根に這わせたイングリッシュローズのガートルート・ジェキルだが、大分、花が咲き揃って格好がついて来た。
   イングリッシュローズは、元木の一方が、オールドローズなので、つる薔薇の傾向があるのであろう、伸ばせば、つる薔薇仕立てに出来るのが面白い。
   
   

   咲き続けているほかのバラは、うらら、スプリング・コサージュ、ウィンチェスター・キャシードラル。
   枯れていて諦めていたキャプリス・ド・メイアンだが、古い株の根元から一本だけ芽が出たので、大切に育てていたら、茎が伸びて、その先に一輪だけ花をつけて、咲きそうである。
   もうカタログにも載っていなくて買えないので、大切にしたいと思っている。
   
   
   
   

   さて、ダイアナ・ウェルズによると、バラは、愛の象徴であり、魔法、希望、そして、人生の神秘を表す花だと言うことである。
   花言葉などと言う素晴らしい世界もあるのだが、無粋な私にはあまり縁のない話で、ただ、いつの間にか、バラに魅せられて育て始めたと言うことなのだが、その魅力に触れて感動するひと時を持つ素晴らしさを感じ始めたのも、歳の所為かも知れないが、幸せなことだと思っている。

   わが庭には、芍薬の花も咲き始めた。
   他の株も、丸いピンポン玉のような蕾が色づいて、もう少しで、一斉に花が咲く。
   そして、長い間蕾さえつかなかったヴェトナム椿ハイドゥンが、やっと、一輪咲いた。
   遅れていた黄色い牡丹も、もうすぐに咲きそうである。
   昨日も、雨の中を能楽堂に行ってきたのだが、人生、秋を迎えて悠々自適と行かないまでも、趣味とそれなりの勉強にと、観劇や読書三昧に明け暮れながら、この千葉の片田舎、すなわち、トカイナカで、花と対話しながら自然の営みの素晴らしさを、しみじみと味わうのも、そんなに、悪い話ではないと思い始めている。
   尤も、良き時代に生まれ、日本と言う恵まれた国で生きると言う幸せな境遇にあればこその幸せであることは、日々、感謝しながら噛みしめている。
   
   
      

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トマト・プランター栽培記録2013(4)アイコを植える

2013年05月11日 | トマト・プランター栽培記録2013
   毎年植えていて、それなりに、定番として満足しているサカタのミニトマト・アイコを植えることにして、レッドのアイコとイエローアイコを2株ずつ買ってきて、プランターに植えた。
   これで、都合、28本のトマト苗をプランターに植えたので、後は、園芸店に出かけた時に、気に入った品種の苗があれば、追加することにして、今年は、これで行こうと思っている。
   日当たりの良い場所は、限られているので、バラの一番花がほぼ咲き終わった頃に、バラと入れ替えて、トマトのプランターを移動させようと思っているのだが、もう、ぼつぼつ限界である。

   昨年は、アイコと他のミニトマト2~3本を、2本仕立てにして栽培したのだが、二倍の収穫とは勿論行かなかったけれど、かなり、収穫増があったので、場所に余裕があれば、今年も、1本ずつくらいは、再挑戦してみようかとも思っている。
   尤も、私のアイコだけがそうだったのかどうかは分からないのだが、非常に、茎が弱くて徒長気味だったので、他のミニトマトで二本仕立てを試みた方が良いのかも知れない。
   イエローアイコの苗は、既に、一番花房がついていたので、発育は良さそうである。
   

   ところで、トマトの栽培テキストなどには、苗を選ぶ時の心構えとして、発芽期の二枚葉が残っていて、一番花が咲いているしっかりとした苗を選ぶことと書いてあるのだが、実際に園芸店やガーデニングセンターなどで売られている苗で、綺麗に一番花が咲いている苗などは殆どなく、あったとしても、売れ残りで花が咲きだしたと言うような苗が多い。
   したがって、植える時に、2番花房以降も、同じ方向に花房が出来るので、花の方向を収穫し良いように植えるようにとも書いてあるのだが、大体、花芽の無い状態で植えるとなると、無理な話である。
   それに、私の経験では、必ずしも、2番花房以降、同じ方向に花房がつかないケースも結構あるのである。

   ところで、フルーツルビーEXと桃太郎ゴールドの一番花房は、まだ、ゴマ粒くらいの存在感だが、その他のトマト苗の一番花は皆咲きだしており、ピンクのミニトマトの方は、結実した実が見え始めて来た。
   今のところ、病虫害の心配はなさそうである。
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柿葺落五月大歌舞伎・・・「伽羅先代萩」

2013年05月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   柿葺落五月大歌舞伎の第二部の冒頭は、「伽羅先代萩」の「御殿の場」と「床下の場」で、藤十郎が、襲名披露の舞台同様に政岡を演じて、好評である。
   その一か月前、大阪の国立文楽劇場でも、「伽羅先代萩」で、竹の間の段以降同じ段が演じられて、和生が、政岡を遣って素晴らしい舞台を展開した。
   文楽の場合には、省略なしの本格的な演出であったが、歌舞伎では、飯炊きの場が省略されていて、簡略版であったので、政岡の至芸を鑑賞することが出来なかった。
   本来なら、政岡が、茶器で炊いた握り飯を、鶴千代と千松が食べ終わった後に、栄御前の来訪が伝えられるのだが、今回は、空腹には耐えきれず、それでも政岡に褒められたい一心で、お腹がすいてもひもじくないと必死で我慢しているところへ、栄御前(秀太郎)の登場となったものの、比較的スムーズな舞台展開なので、特に、不足はなかった。

   もう一つの大きな違いは、文楽では、竹の間の延長で、八汐(梅玉)が、この芝居では非常に重要な役割を果たしている典薬の妻小巻を連れて来ているので、御殿の場でも、小巻が、八汐のお家乗っ取り企みの証人として登場するのだが、歌舞伎では、既に八汐の陰謀は露見していると言う前提で、追い詰められた八汐が政岡を殺めようと登場して、それを迎え討つ政岡が八汐を刺して千松の仇を討つと言うシンプルな結末だけの舞台展開となっている。
   省略版だと、どうしても、芝居の展開に無理が生じたり観客の理解力に頼らざるを得なくなるので、やはり、出来るだけ省略なしの通し狂言で演じられることが望ましいのだが、幸いに、4年前に、通し狂言「伽羅先代萩」を、玉三郎の政岡、仁左衛門の八汐と細川勝元、吉右衛門の仁木弾正で観て、楽しませて貰った。

    
   歌舞伎と文楽の鑑賞歴は、既に、20年を越しているので、随分、両方の舞台で「伽羅先代萩」を観ており、記憶がはっきりしているのは、政岡では、藤十郎は襲名披露の時と二回目で、菊五郎を複数回、それに、魁春だが、文楽の政岡は、簑助と紋壽なのだが、夫々に、かなり、舞台や演出の仕方などで、印象が違っているのが面白い。
   この「伽羅先代萩」は、17世紀に仙台で起こった伊達騒動を題材にして、18世紀になって伊達騒動ものが何度か江戸と大坂で歌舞伎化されたようだが、良く上演される「竹の間」「御殿」「床下」の部分は、大坂中の芝居で上演された歌舞伎『伽羅先代萩』を元に構成されているようで、この歌舞伎版を土台に浄瑠璃が書かれているので、藤十郎の演じる上方バージョンの「伽羅先代萩」は、文楽の床本に近いと言われているようである。
   私には、詳しくは分からないが、藤十郎の政岡と、玉三郎や魁春の演じる歌右衛門に繋がっている江戸バージョンの政岡とでは、大分、印象が違うように感じている。

   歌舞伎の舞台でも、江戸では、頂点を極めた演出や芸を、決定版として伝統として大切に伝承・継承されて行くようであるが、上方では、それはそれとして、同じような芝居や演出で舞台を務めていると、あの役者は、工夫が足りない進歩がないと言って観客が満足しないので、絶えず精進を重ねて前に進まなければならないのだと、何かの本で読んだことがある。
   今回の藤十郎の舞台でも、それを強く感じて、藤十郎の苦心と精進の跡を観た思いで、舞台を楽しませて貰った。
   特に、私が感じたのは、栄御前が、鶴千代と千松が取り替えっ子だと確信して政岡に一巻を預けて立ち去って行った後の、政岡の千松への慟哭と悔恨シーンである。
   前回は、千松の亡骸をしっかと抱きしめて、恨み辛みの鬱積・錯綜した慟哭に必死になって絶えようとしていたが、今回は、千松を一度も抱きしめずに、打掛などを愛しげに千松の亡骸にかけて号泣し、亡骸の床に懐剣の鞘を突き立ててかき口説くなど、むしろ、本意とは裏腹に、必死になって千松の手柄を称えようとしていたように思えた。
   しかし、表現は忠義一途の政岡を演じながらも、心の底から湧き上がり迸り出る、無残にも、禄でもない八汐に殺された無念さとわが子への限りなき愛おしさを抑えきれずに、藤十郎の頬に二筋の涙跡がくっきりと浮かび上がるこの至芸。
   前回は、涙でくちゃくちゃになっていた藤十郎の頬は、今回は、二筋の涙跡で、はるかに深い慟哭と悔恨、そして、無慈悲な運命の悪戯を糾弾していたのである。

   もうひつと、他の政岡と違っていたと感じたのは、千松が八汐に殺められた瞬間、藤十郎の政岡は不覚にも少し狼狽し、そして、八汐が千松をこれでもかこれでもかと甚振っている間、藤十郎は、柱に左手でしっかりと抱きついて、右手で懐剣の柄を押さえて微動だにせず一点を見つけていたが、最後には、がっくりと地面に崩れ落ちて、座ったまま動かなかった。
   わが子が殺されているのに、顔色一つ変えなかったと言う政岡像ではなく、忠義一途に徹しながらも、ぎりぎりのところで人間政岡を演じようとしたのであろう、私は、これこそ、本当に生きた芝居だと思って感激しながら見ていたのだが、栄御前の秀太郎のセリフも、実の子であればこうも行くまいとトーンダウンしていたように思うのだが、ここらあたりの絶妙な阿吽の呼吸と協演は、上方歌舞伎の重鎮同士の成せる業であろうか。
   尤も、栄御前が、扇で顔を隠して政岡を観察し始めたのは、千松殺害の瞬間ではなく、八汐が千松を刀で抉り甚振り始めてからではあるのだが。

   栄御前の秀太郎の貫録と、どすの利いた凄さは、流石で、台詞回しとしい、目の鋭さなどその表現仕草と言い、申し分のない出来で上手いと思って見ていた。
   梅玉の八汐は、もう、3回くらいは観ていると思うのだが、非常に芸を抑えた表現で雰囲気を醸し出していて、過度な嫌味のなさが、私は好きである。
   千松を甚振る時にも、刀を大げさに動かしたりせずに、千松のうめき声と表情だけで、残酷さを表現していて、徹底的に嫌われる悪者役であるから、リアリズムと言うより、幾分上品な佇まいが勝った梅玉の芝居の方が、私には向いている。
   他には、團十郎と仁左衛門の八汐を見ているのだが、梅玉よりは、憎々しげで上手かったが、いくら芝居でも、あまり、リアリズムに徹した残酷シーンを見たくないと言う性格なので、芝居見物には向かないのかも知れないと思うことがある。
   
   
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わが庭:イングリッシュローズ咲き始める

2013年05月09日 | わが庭の歳時記
   私の庭にも、バラの花が咲き始めた。
   一番最初に綺麗な花を咲かせたのは、京成バラ園で作出されたと言う「うらら」で、ショッキングピンクの鮮やかな花色が印象的である。
   イングリッシュローズでは、白いウインチェスター・キャシードラルが最初に咲いたのだが、ピンクの「メアリー・ローズ」の枝替わりなので、蕾は口絵写真ようにピンク色で、開花すると真っ白になるのだが、一輪だけ、ピンクの花びらが混じっている花が咲いたのが、面白かった。
   メアリー・ローズは、沢山の花をつけて、何度も繰り返し咲きするのだが、やはり、一番花が一番美しくて、だんだん、花質が衰えて来るのは仕方がないのであろうか。
   また、つる薔薇仕立てにして垣根に這わせていたガートルート・ジェキルも、蕾が膨らみ始めたので、今年は綺麗に咲きそろいそうである。
   
   
   
   
   
   もう一つ、イングリッシュローズで咲き始めているのは、アブラハム・ダービーで、この写真ではまだ開いていないのだが、開花すると、ピンク、杏、黄色の混じった微妙な色合いのディープカップ咲きの大輪となり、雰囲気があって良い。
   イングリッシュローズは、まだ、何鉢かスタンドバイしているのだが、今春買った鉢植えも蕾をつけているので、一輪だけ咲かせて花を確認してから、蕾を総てピンチして株を育てて、秋の開花に期待したいと思っている。
   そのうちのデビッド・オースティンの6号鉢のレディ・オブ・シャーロットを10号鉢に植え換えようとしたら、まだ、根張りが十分ではなく、根鉢が崩れたので、他の2鉢は、もう少し時期を待とうと思っている。
   

   他に咲き始めたバラは、今年の初春以降に京成バラ園で買って9号鉢に植え替えたムタビリス、グリーンローズ、そして、 スプリング・コサージュだが、夫々に、私のバラ観を全く変えるような花で、後の株も、どんな花を咲かせるのか楽しみである。
      今年は、京成バラ園にも出かけて、セミナーを聞いたり専門家の指導も仰いで、薬剤散布や施肥などにも力を入れたので、今のところ、黒星病など被害も出ていないので、当分は、花を楽しめそうである。
   ところが、開花し始めたイングリッシュローズの香に誘われたのか、小さなコガネムシ様の昆虫が、早速、やって来て、花びらの中に潜り込んでいるのが、一寸、気になっている。
   
   
   
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映画「リンカーン」を鑑賞

2013年05月07日 | 映画
   アカデミー賞で主演男優書を取ったダニエル・デイ=ルイス が、どのようなリンカーン像を作り上げているのか、非常に興味を持って劇場に出かけた。
   アメリカ史の一端を齧ったくらいの知識しかないので、リンカーンのことも、スピールバーグが焦点を当てて描いたと言う「奴隷の廃止と南北戦争の終結」の偉業とフォード劇場での観劇中の暗殺程度しか知らなかったので、この映画は、アメリカの歴史を彷彿とさせて、非常に面白かった。

   スピールバーグは、4~5歳の時にリンカーン記念館でリンカーン像を見て最初はその偉大さに恐怖を抱いたのだが近づくとすぐに魅了されたと思い出を語っているのだが、アメリカで生活し何度も訪れておりながら、私が、初めてこの像を見たのは、ごく最近で、卒業記念に連れて行った次女に促されての訪問であった。
   巨大な記念館に、白亜のリンカーン像が鎮座ましますそれだけなのだが、何故か、無性にアメリカの偉大さを感じたのが不思議であった。
   リンカーン当時、日本は、幕末で風雲急を告げており、未曽有の国難に遭遇していた時期で、1865年にリンカーンが暗殺された3年後に明治維新を迎えている。
   その時見上げて取ったスナップショットがこれである。
   

   さて、この映画「リンカーン」だが、歴史学者ドリス・カーンズ・グッドウィン 著「リンカン Team of Rivals」を原作にして、トニー・クシュナー が脚本を書いたものだが、800ページもある大作から、最後の4か月間に絞って、南北戦争の終結と修正第13条による奴隷制の廃止に焦点を当てたと言う
   複雑な政治活動を追いかけながら、修正第13条を巡る戦いを、上院では既に通過していたので下院での興亡を中心に、生々しくドキュメンタリータッチで、リンカーンの家族との触れ合いや私生活をも交えながら、当時のアメリカの歴史を活写していて飽きさせない。

   スピルバーグは、インタビューで、
   リンカーンは、最大の危機に瀕した時代にこの国を導き、政治システムとしての民主主義の存続と奴隷制の廃止に心血を注ぐなど、彼が居たからこそアメリカ合衆国が存続したのである。
   しかし、この映画では、リンカーンのイメージを壊さないためにシニカルな表現をを避け、同時に、英雄としてあがめられることも避けて、一人の人間として描いた。
   広い視野を持ちつつ理想を忘れない、将来を見据えながら過去を忘れなかった偉大な政治家であったので、彼の政治手腕に焦点を当てた映画になっている。
   と述べているのだが、この映画には、奴隷制度の悲惨さや、多くの若者たちが死んでいった南北戦争の残酷さなどは、皆が知り過ぎる程知っているので、殆ど描かれてはおらず、修正第13条をめぐる政治的駆け引きや政争を浮き彫りにして、当時の最大の岐路に立ったアメリカの歴史を描いている。
   あの映画「鉄道員」の幕切れのように、実に優しくて温かいスピルバーグの眼差しが印象的である。

   民主主義の総本山だと目されているアメリカだが、この映画では、修正第13条を通すために、あらゆる手を遣って、反対派の議員を買収したり懐柔したりと権謀術数の限りの手練手管が描かれていて面白い。
   しかし、今でも、ワシントンには、ふんだんに豊かな資金力を駆使して議員を抱き込む大企業などのロビー集団が大手を振って跋扈しており、ころころころころ、それに議員たちが靡いて議決をスキューする議会政治が暗躍し続けているのであるから、何がどこが、リンカーンが、ゲッティスバーグで演説をぶった「人民の、人民による、人民のための政治」なのか分からない。
   環境問題が進まないのも、銃規制法案が葬られてしまうのも、総て、強力なロビー活動のなせる業なのである。
   尤も、3Dプリンターで、誰でも、簡単に銃を作れるようになってしまったので、いくら銃を規制してもダメになってしまったのだが。

   さて、南北戦争であるが、私には、「風と共に去りぬ」で見た印象が、かなり、強烈に残っている。
   奴隷制度を必須とするプランテーション経済が主体であった南部と、自由博愛平等主義に影響を受け産業革命の影響で工場生産を始動し始めて賃金労働者主体となっていた北部とは、当然、奴隷制度については、真っ向から意見が対立しての悲惨な戦争なのだが、まだ、その当時は、アメリカ経済は脆弱であり、イギリスの新たな政策が経済を直撃するとひとたまりもなかった。
   自由貿易に馴染まなかったので、当時のアメリカには、「経済国家主義」的な思想が広がっていて、鉄道建設など重要な産業部門に対しては政府が直接補助し、輸入品には高い関税をかけて保護する必要があり、
   リンカーンが大統領に選ばれると、保護関税を定める「モリル関税法」を制定して 以来、保護貿易政策は必要な限り続き、アメリカを世界最大の産業国家に育て上げる原動力になったと言われており、リンカーンは、政治のみならず、アメリカ経済の発展にも大きく貢献したのである。
   因みに、この保護政策が破棄されたのは、1913年、ウッドロー・ウイルソン大統領の時代なのだが、分裂もせずに、よく、アメリカ合衆国を維持できたものだと思っている。

   ところで、映画の方だが、
   リンカーンを演じた英国人俳優ダニエル・デイ=ルイスは、リンカーン関連の書物やリンカーン自身が書き残したものを徹底的に読み漁り、19世紀の生活に慣れるため、妻メアリー・トッド・リンカーンを演じたサリー・フィールドと、当時の文体で手紙の交換を4ヶ月間行い、夫婦としての役作りも行った。と言われており、天下の多くの名優を差し置いて、三度目のアカデミー男優賞を獲得した。
   この映画が、教材として、沢山の学校に送られたと言うから、子供たちには、ルイスが、リンカーンそのものの生まれ変わりのような強烈な印象を残すであろう。
   二人の醸し出す夫婦像は、正に、150年前のアメリカを思い出させる実に臨場感溢れる堂に入った演技で、実際もそうであったであろうと思わせる程真に迫っていて感動的である。

   奴隷解放急進派のサディアス・スティーヴンスを演じたトミー・リー・ジョーンズが、私には最も印象的であった。
   フットボール選手でハーバードを出たと言う厳つい顔の俳優だが、下院で修正第13条法案が可決された後、書記から法案の原文を貸してくれ明日返すと言って取り上げて家に持って帰り、黒人の妻に土産だと言って渡す幕切れなど、実に清々しくて良い。
   それに、家に帰って、被っていた鬘を脱いで、丸坊主姿になるなど、議場では百戦錬磨の激戦の勇士でありながら、最後に素顔を見せて幕引きを飾るなどスピルバーグの冴えも光っていて面白い。

(追記)この映画の修正第13条は、以下の通り、
    第13条(奴隷及び苦役)-(1865年成立)
    第1節 奴隷および本人の意に反する労役は、犯罪に対する処罰として、当事者が適法に宣告を受けた場合を除くほか、合衆国内またはその管轄に属するいずれの地にも存在しない。
    そして、アメリカは、硬性憲法であり、略記すれば、連邦議会は、両議院の三分の二が必要と認める時は、この憲法に対する修正を発議し、その修正は、全州の四分の三の議会によって承認されなければならない。と規定されている。
    これまでの26回の憲法の修正は、連邦議会の各院が3分の2以上の賛成で発議し、4分の3以上の州の批准をもって成立している。

    日本では、憲法改正は、96条において、衆議院・参議院それぞれの所属議員の三分の二以上の賛同によって発議されることで、国会から国民に提案されると規定されているのを、憲法改正を易しくする目的で、普通の法律改正と同じように、二分の一以上の賛成で発議すると改正しようとしている。
    私は、基本的に、憲法改正には賛成だが、国家存立のための基本法である憲法を、いとも簡単に、文明国では殆ど例を見ないような二分の一で発議するなどと言った暴挙は、絶対に許すべきではないと思っている。
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トマト・プランター栽培記録2013(3)フルーツルビーEX植える

2013年05月06日 | トマト・プランター栽培記録2013
   ピンクのミニトマトは、第2花房が大きくなり、微かに、第3花房も見え始めて来た。
   第1花房の早いものは、結実した模様である。
   ビギナーズトマトの遅れていた方も、第1花房がしっかりしてきたので、もうすぐ開花するであろう。
   タキイの虹色トマトの何本かは、第1花房が肥大してきたので、開花が近い。
   下の方の葉に白い斑点が浮いていたのだが、他の葉に伝播していないようなので、大丈夫のようである。
   それぞれ、最初にプランター植えした苗は、大体、50センチ以上の草丈に育ってきている。
   
   


   昨年、比較的良く出来たので、デルモンテの中玉トマト・フルーツルビーEXとサカタのミニトマト・キャロル7を、プランターに直接に定植した。
   キャロル7は、小さい苗なのに、既に、一輪黄色い花が咲いているのだが、フルーツルビーEXは、まだ、花房さえも定かではないのだが、昨年、問題なかったので大丈夫だと思う。
   ケーヨーディツーに行って、新しいトマトの苗を探したのだが、自社で開発したのか、社名を記したプライベート・ブランド(私の植えているピンクのミニトマトもそうだが)を出していて、それを売るためか、沢山ある大手の種苗会社のトマト苗も、種類を極めて限定して殆ど販売しておらず、サントリーの料理用イタリアトマト苗やタキイの苗もある筈がない。
   結局この日は、カネコの中玉トマト苗レッドオーレを買ってきて、プランターに植えつけた。
   
   

   5号鉢に仮植えしていたタキイの桃太郎ゴールドの苗木が、まだ、第一花房が、やっと、かすかに、見え始めたところなのだが、草丈が二倍くらいになったので、プランターに植えつけた。
   まだ、5号鉢全体に根が回り切っていなかったので、やや、根鉢を崩してしまったが、トマトは活着が容易なので、大丈夫であろう。
   昨年は、プランターに植えつけた苗は、すぐに、2メートル以上の支柱に固定したのだが、今回は、1メートル程度の細い鉄心の入った支柱に固定して、もう少し大きく育った段階で、本支柱を立てて固定しようと思っている。
   
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横須賀散策と人波の鎌倉

2013年05月05日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   3日の憲法記念日の日は、娘たちの家族と会食をするために横須賀に出かけた。
   千葉からだと、京成で押上に向かい、そのまま、都営と京急に乗り継いで行けるので、非常に楽である。
   一度、泉岳寺で、京急の特快に乗り換えるのだが、泉岳寺始発なので、ゴールデンウィークの混雑にも拘わらず、座ったままで、2時間少しの旅を楽しめるので、幸いであった。
   千葉でもかなり恵まれてはいるのだが、岬に近いと、やはり、海産物は素晴らしいと思う。

   さて、会食は昼であったので、その後、京急の汐入で下りて、どぶ板通りを散策しながら、米海軍横須賀基地の玄関ゲート近くまで歩いて、横須賀本港岸に出て、ヴェルニー公演沿いの海岸線をJR横須賀駅まで歩いた。
   天気に恵まれて、かなり暑かったが、日陰に入ると涼しくて、気持ちの良い散策を楽しむことが出来た。

   どぶ板通りは、ウィキペディアによると、”戦前、この通りには道の中央にどぶ川が流れていたが、人やクルマの通行の邪魔になるため海軍工廠より厚い鉄板を提供してもらい、どぶ川に蓋をしたことから「どぶ板通り」と呼ばれるようになった。その後ドブ川・鉄板ともに撤去された。明治時代から第二次世界大戦終了時までは大日本帝国海軍横須賀鎮守府の門前町として栄え、戦後は進駐軍・在日アメリカ軍横須賀海軍施設の兵隊向けにスーベニアショップ(土産物店)、肖像画店、バーや飲食店、テーラーショップなどが栄えた。”と言うことで、今は、レッキとした「本町商店街」だが、完全に、観光客向けの商店街である。
   大変な人で賑わっていて、ヴェトナム戦争当時は、相当アメリカ色が強かったようだが、多少、エキゾチックな雰囲気は残っていたが、思ったより、アメリカ的なムードは残っておらず、昔言われていたような基地の街の片鱗さえ感じなかった。

   この写真は、アメリカ色の強い雑貨や色々なものが雑多にディスプレイされた商店だが、中に入らなかったので分からないが、上等なものが並べられているように思えなかったし、全体的に、この300メートルくらいのショッピング街は、庶民的な雰囲気で、若者たちで賑わっていた。
   汐入駅からどぶ板通りにかけて、路上に色々な品物を並べた青空市場が展開されているのだが、歴史と伝統のあるヨーロッパの街々のガラクタ露店市場とは違って、残念ながら、触手を動かせるようなものはなかった。
   横須賀は、旧日本海軍の横須賀鎮守府を発祥とする海軍カレーと、米海軍内の「NAVY BURGER(ネイビー バーガー)」のレシピを基に、横須賀独自に開発した「YOKOSUKA NAVY BURGER(ヨコスカ ネイビー バーガー)」と言った横須賀独特の名物があって、人気を博しているようだが、やはり、店の前には列を成して客が待っていた。
   
   

   ヴェルニー公園は海浜公園で、フランス庭園を模したとかで、綺麗に植え込まれたバラが、一面に咲いていて華やかだが、わが庭のバラは、まだ、咲いていないのだが、この公園では、もう既に盛りを過ぎた感じであった。
   この公園の遊歩道は、横須賀港に面しているので、アメリカ海軍の横須賀海軍施設と海上自衛隊横須賀基地に停泊している艦船や潜水艦などが、すぐそこに見えて、非常に興味深い。
   中国やロシアなどなら、近づくことも写真を撮ることも許されないと思うのだが、平和国家日本では、実に大らかなものである。
   
   

   さて、その日は、鎌倉の娘宅に投宿すべく、鎌倉駅に降り立ったのだが、観光客で、大変なごった返し様であり、通行もままならない。
   翌日、鎌倉を散策しようと思ったのだが、まず、近くの源氏山に行こうとしたら、銭洗い弁天入り口に百メートルくらいの列ができていて、下って来る人波と輻輳して、歩くのも大変な状態であった。
   流石に、賑わっているのは、銭洗い弁天だけで、その上の源氏山公園や手前の佐助神社の方へ寄り道する人は少なかったが、どこも、鎌倉は大変な人のようなので、結局、出かけるのを諦めた。
   
   
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わが庭:芍薬とクレマチス

2013年05月02日 | わが庭の歳時記
   今、どこでも、サツキやツツジやアザレアなどが真っ盛りだが、私の庭では、ツツジが終わってサツキがまだなので、この種類の花は一切ない。
   蕾が膨らみ始めた芍薬が、わが庭で、初めての花が咲いて、いよいよ牡丹と交代である。
   大きく育った芍薬は問題ないのだが、小さな木の芍薬で、蕾をつけていたのが、蕾だけ枯れて落ちてしまったのが何本かあって、一寸、気になっている。
   牡丹と違って、芍薬の方が花が小さい種類が多いので、扱いは楽であるが、牡丹のように木ではないので、風が吹いたり気象が異常になると、ダメッジが大きいので、注意しなければならない。
   わが庭では、これから咲き始めるので、今月は楽しめそうである。
   それに、今、ユリの芽が、どんどんたくましく大きく伸びて、早いものでは、先に蕾を見せ始めた。
   ユリが咲き始めると、一気に、華やかになる。
   ブルーベリーが、スズラン状の花を、びっしりと着け始めている。ヒヨドリが突いているので、心配している。
   
     
   
 

   もう一つ、私の庭には植えっぱなしにしてあるクレマチスが、何本かある。
   垣根に這わそうと思って植えたのだが、冬には地上部が消えてしまったり、枯れた蔓状の茎だけが残っているので、つい、見過ごして手入れがおろそかになる。
   春になって蕾が見え始めると、やっと、その存在を知ると言う状態なのだが、それでも、結構、綺麗な花を咲かせてくれる。
   

   チューリップに代わって、庭の下草状に、彩りを添えてくれているのが、ミヤコワスレである。
   色々な春の草花の球根や宿根草を植えるのだが、毎年、確実に芽を出して花を咲かせてくれるのは、このミヤコワスレで、スミレとともに、どんどん増えれくれ、私の庭では、大切な花なのである。
   夏のツユクサも、風情のある私の好きな野の草花だが、むやみやたらに枝が伸びて広がるのが難である。
      
   
   
   バラの蕾が色づき始めた。
   もうすぐ咲き始めるのだが、イングリッシュ・ローズが、先に花が咲きそうな雰囲気で、フレンチ・ローズは、まだ、蕾が固い。
   ベルサイユのバラは、秋に植えた大苗がつかなかったために、新苗に代えたので、春バラは、全部蕾を落として株を育てることにして、秋に咲かせることにした。
   いずれにしても、中旬には、一斉に、バラが咲き始めると思っているので、わが庭も、一気に、華やかになりそうである。
   蕾が色づき始めたイングリッシュ・ローズは、ウインチェスター・キャシードラル、セント・スインザン、アブラハム・ダービー。
   
   
   


   秋の紅葉で楽しめるモミジだが、春の芽吹きも捨てたものではない。
   まだ、鉢植えの状態で、10鉢ぐらいのモミジがあるのだが、夫々に独特の葉の形や色をしていて、結構面白く、春から夏になり、秋になって紅葉し散るまでに、どんどん、葉の色彩が変化して行くので、その変化が、また面白いのである。
   
   
   
   
   
      
   
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萬狂言・・・春公演「節分」「花盗人」「千切木」

2013年05月01日 | 能・狂言
   4月29日、国立能楽堂での「萬狂言 春公演」に出かけた。
   プログラムは、「節分」「花盗人」「千切木」であった。
   「節分」は、一度観たことがあるので、お馴染みだが、日本に遠征してきた蓬莱の島から来た鬼(野村太一郎)が、入り込んだ家の女(小笠原匡)に一目惚れしてしまって、必死に女を口説いたり気を惹こうと小唄を謡ったりするのだが、女が靡かないので、しまいには、おいおい泣き出し、女に、騙されて、自分の持つ宝物(隠れ蓑、隠れ笠、打ち出の小槌)を取られてしまうと言う、如何にも締まらない鬼の話である。
   太一郎が、近く釣狐を開くための前座の舞台のようだったが、元気溌剌と、実にエネルギッシュな舞台を展開していた。

   私が、特に興味を持ったのは、「花盗人」で、次のような話。
   見事な花を咲かせる桜の木の持ち主・何某(扇丞)が、桜の木の枝が折られているのを見て、相手を捕まえようと張っているところに、花盗人(萬)がやって来て枝を手折ろうとしたので、捕まえて幹にくくりつける。花盗人は、嘆きながら、中国の祚国が花を折ろうとして谷に落ちて死んだと言う漢詩を読みながら独り言を言うので、何某が傍によると、古歌を引いて桜を折っても咎にならないと言うので、興味を感じた何某が、花に纏わる一首を詠めれば許すと言う。歌詠みに成功したので、何某は、酒まで振舞って酒宴を催し、お土産に、桜の枝を手折ってわたすと、花盗人はいそいそと退場する。

   ところが、この狂言は、和泉流なのだが、この和泉流と大蔵流とでは違っていて、大蔵流では、花盗人が新発意(出家して間もない僧)となっていて、酒盛りの後、酔った新発意が、桜の大枝を折って逃げるのを、花見の者たちが追いかけると言った調子で、主人公の質が変わると話の中身も違ってくる。
   「花折」と言う狂言があって、シテの新発意が、桜の枝を折って花見客に与えて、アドの住持に叱られると言う話なので、大蔵流は、これを、アレンジ展開したと言うことであろうか。
   大蔵流では、このように捕えられるのが新発意なので、出家狂言、和泉流では、花盗人が男であることから、雑狂言の盗人物となっていると言うのが面白い。

   いずれにしろ、花盗人も何某も、和歌や漢詩などに大変興味を持った高い教養の持ち主で、かなり、詩歌などに造詣が深くないと、狂言の面白さなど、狂言そのもを楽しめないと言うことで、狂言の質の高さを示している。
   先月、国立能楽堂の定例公演で上演された大蔵流の「花争」は、花見にかけて、太郎冠者と主人が、桜花のことを、「花」と言うか「桜」と言うか、夫々が、桜花を謡った古歌を引き合いに出して争うと言う狂言だったが、これなども、言葉の遊び以上に含蓄深い対話が交わされていて、かなり、高度なユーモアと笑いが求められていて興味深い。

   ところで、岩波の「狂言集 上下」には、「節分」や「千切木」は収容されているのだが、この「花盗人」は含まれていない。
   両派の台本が、大分違うからなのかも知れないのだが、この本には、100曲以上が収容されているので、上演されるような狂言の大半は、載っており、舞台鑑賞の前後に読んでいて、結構面白くて参考になる。

   さて、太郎冠者の野村萬さんは、人間国宝で、公益社団法人日本芸能実演家団体協議会会長、公益社団法人能楽協会理事長、日本芸術院会員と言う肩書を持つ83歳の日本芸術界の最高峰の人物でありながら、芸は、実に真摯誠実であり、老いの片鱗さえ見せない矍鑠とした舞台にはいつも感動しながら鑑賞させて貰っている。
   歌舞伎には、台詞が入っていなくて、喧しい程プロンプターの声が客席まで聞こえる役者が結構多くて、感興を削ぐことがままあるのだが、殆どそんなことのない能でも、たまには、後見が謡うことはあるのだが、狂言では、何十回も観ているが、台詞が途切れたことは全くなくて、萬さんなどは、狂言が言葉の芸術であるから、実に、誠心誠意語り続けていて感動ものである。やはり、これこそが、狂言の、一番歴史と伝統のある古典芸能としての値打ちではないかと思っている。

   人の物を盗むのは、気が引けるのだが、頼まれた以上やむを得ないと、逡巡しながら、桜の枝に手をかけるまでの、盗人ながらの誠実さなども実に興味深いのだが、両手を縛られて漢詩や和歌を開陳しながら、何某を引きずり込んで感心させて酒まで振舞わせて、その上に、土産に花の枝を折って貰い、歌を謡って名残を惜しまれると言うハッピーエンドは、萬さんの人間そのものを観ているような気がして、私には非常に興味深かった。
   何某の扇丞も、これに良く応えて、味のある狂言の世界を展開していて面白かったし、ただ単に、おかしみだけを強調したり言葉遊びを展開するだけの狂言ではない、程度の高い同好の士の心の触れあいと交流のようなほのぼのとしたものを感じて、良かった。

   さて、最後の狂言「千切木」は、大勢が登場する舞台で、連歌の当屋(野村祐丞)が、嫌われ者の太郎(野村万蔵)を排除して開こうとした連歌の初心講に、当の太郎が聞きつけて来て邪魔をするので袋叩きにする話である。
   痛めつけられたのを聞いて怒った妻(万禄)が、太郎をけしかけて各戸へ仕返しに行くのだが、居留守をつかわれてままならず、気の弱い太郎は、戸外で空威張りして虚勢を張る。
   夫を叱咤激励して褒めたり賺したり、愛情深い夫思いの妻と、争いを避けたくて難をかわそうとする太郎の夫婦の掛け合いが面白く、よくある世間話がオーバーに展開された狂言で、複雑な(?)笑いを誘う。
   太郎の万蔵と妻の万禄とのテンポの早い丁々発止の掛け合いが面白い。 
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