久しぶりの雨が明けた今朝、庭に出るとバラが随分開花している。
口絵写真は、真っ先に咲いたフレンチローズのデリアである。
イングリッシュローズの栽培に触発されて、フレンチローズ栽培にも挑戦したのだが、今のところ、両方とも新種のバラで、傾向が良く似ているのか、私には、その違いが分からない。
ただ、国民性の影響なのか、イングリッシュローズの方は、質実剛健と言わないまでもきっちりとした折り目正しさのような風格を感じるのに対して、フレンチローズの方は、微妙なニュアンスとエレガントさを感じさせて、どことなく、洒落た雰囲気を感じさせてくれるような気がしている。
尤も、私が育てた夫々10種類前後のバラの印象なので、当てにはならないかも知れない。
イングリッシュローズの方は、オレンジ色主体のウイリアム・モーリスの次に、やや、褐色がかったピンクのセント・スインザンが咲き始めた。
ウイリアム・モーリスは、ピンク、オレンジ、杏、黄色と言った色彩が微妙に入り組んだ花弁をつけていて葉脈が見えるなど、非常に美しくて面白い。
私のバラには、バラ色と言う表現に拘ったわけではないのだが、椿と同様にピンク色の花を咲かせる種類が多いのだが、次に咲き始めたのは、鮮やかな濃紅の大輪バラのDLブレスウェイトであった。
同じような深紅のバラ・フォールスタッフを、2メートル以上も伸びたのでつる薔薇仕立てにして垣根に這わせたのだが、惜しくも、昨年枯れてしまったので、今春、ウイリアム・シェイクスピア2000を買って大鉢に植え替えたのだが、まだ、蕾が固い。
さて、垣根に這わせたイングリッシュローズのガートルート・ジェキルだが、大分、花が咲き揃って格好がついて来た。
イングリッシュローズは、元木の一方が、オールドローズなので、つる薔薇の傾向があるのであろう、伸ばせば、つる薔薇仕立てに出来るのが面白い。
咲き続けているほかのバラは、うらら、スプリング・コサージュ、ウィンチェスター・キャシードラル。
枯れていて諦めていたキャプリス・ド・メイアンだが、古い株の根元から一本だけ芽が出たので、大切に育てていたら、茎が伸びて、その先に一輪だけ花をつけて、咲きそうである。
もうカタログにも載っていなくて買えないので、大切にしたいと思っている。
さて、ダイアナ・ウェルズによると、バラは、愛の象徴であり、魔法、希望、そして、人生の神秘を表す花だと言うことである。
花言葉などと言う素晴らしい世界もあるのだが、無粋な私にはあまり縁のない話で、ただ、いつの間にか、バラに魅せられて育て始めたと言うことなのだが、その魅力に触れて感動するひと時を持つ素晴らしさを感じ始めたのも、歳の所為かも知れないが、幸せなことだと思っている。
わが庭には、芍薬の花も咲き始めた。
他の株も、丸いピンポン玉のような蕾が色づいて、もう少しで、一斉に花が咲く。
そして、長い間蕾さえつかなかったヴェトナム椿ハイドゥンが、やっと、一輪咲いた。
遅れていた黄色い牡丹も、もうすぐに咲きそうである。
昨日も、雨の中を能楽堂に行ってきたのだが、人生、秋を迎えて悠々自適と行かないまでも、趣味とそれなりの勉強にと、観劇や読書三昧に明け暮れながら、この千葉の片田舎、すなわち、トカイナカで、花と対話しながら自然の営みの素晴らしさを、しみじみと味わうのも、そんなに、悪い話ではないと思い始めている。
尤も、良き時代に生まれ、日本と言う恵まれた国で生きると言う幸せな境遇にあればこその幸せであることは、日々、感謝しながら噛みしめている。
口絵写真は、真っ先に咲いたフレンチローズのデリアである。
イングリッシュローズの栽培に触発されて、フレンチローズ栽培にも挑戦したのだが、今のところ、両方とも新種のバラで、傾向が良く似ているのか、私には、その違いが分からない。
ただ、国民性の影響なのか、イングリッシュローズの方は、質実剛健と言わないまでもきっちりとした折り目正しさのような風格を感じるのに対して、フレンチローズの方は、微妙なニュアンスとエレガントさを感じさせて、どことなく、洒落た雰囲気を感じさせてくれるような気がしている。
尤も、私が育てた夫々10種類前後のバラの印象なので、当てにはならないかも知れない。
イングリッシュローズの方は、オレンジ色主体のウイリアム・モーリスの次に、やや、褐色がかったピンクのセント・スインザンが咲き始めた。
ウイリアム・モーリスは、ピンク、オレンジ、杏、黄色と言った色彩が微妙に入り組んだ花弁をつけていて葉脈が見えるなど、非常に美しくて面白い。
私のバラには、バラ色と言う表現に拘ったわけではないのだが、椿と同様にピンク色の花を咲かせる種類が多いのだが、次に咲き始めたのは、鮮やかな濃紅の大輪バラのDLブレスウェイトであった。
同じような深紅のバラ・フォールスタッフを、2メートル以上も伸びたのでつる薔薇仕立てにして垣根に這わせたのだが、惜しくも、昨年枯れてしまったので、今春、ウイリアム・シェイクスピア2000を買って大鉢に植え替えたのだが、まだ、蕾が固い。
さて、垣根に這わせたイングリッシュローズのガートルート・ジェキルだが、大分、花が咲き揃って格好がついて来た。
イングリッシュローズは、元木の一方が、オールドローズなので、つる薔薇の傾向があるのであろう、伸ばせば、つる薔薇仕立てに出来るのが面白い。
咲き続けているほかのバラは、うらら、スプリング・コサージュ、ウィンチェスター・キャシードラル。
枯れていて諦めていたキャプリス・ド・メイアンだが、古い株の根元から一本だけ芽が出たので、大切に育てていたら、茎が伸びて、その先に一輪だけ花をつけて、咲きそうである。
もうカタログにも載っていなくて買えないので、大切にしたいと思っている。
さて、ダイアナ・ウェルズによると、バラは、愛の象徴であり、魔法、希望、そして、人生の神秘を表す花だと言うことである。
花言葉などと言う素晴らしい世界もあるのだが、無粋な私にはあまり縁のない話で、ただ、いつの間にか、バラに魅せられて育て始めたと言うことなのだが、その魅力に触れて感動するひと時を持つ素晴らしさを感じ始めたのも、歳の所為かも知れないが、幸せなことだと思っている。
わが庭には、芍薬の花も咲き始めた。
他の株も、丸いピンポン玉のような蕾が色づいて、もう少しで、一斉に花が咲く。
そして、長い間蕾さえつかなかったヴェトナム椿ハイドゥンが、やっと、一輪咲いた。
遅れていた黄色い牡丹も、もうすぐに咲きそうである。
昨日も、雨の中を能楽堂に行ってきたのだが、人生、秋を迎えて悠々自適と行かないまでも、趣味とそれなりの勉強にと、観劇や読書三昧に明け暮れながら、この千葉の片田舎、すなわち、トカイナカで、花と対話しながら自然の営みの素晴らしさを、しみじみと味わうのも、そんなに、悪い話ではないと思い始めている。
尤も、良き時代に生まれ、日本と言う恵まれた国で生きると言う幸せな境遇にあればこその幸せであることは、日々、感謝しながら噛みしめている。