熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

バラの冬剪定をしながら年賀状の少なくなってきたのを思う

2022年01月10日 | 生活随想・趣味
   遅ればせながら、庭のバラの冬剪定を行った。
   もう何十年もやっているので、勘と経験のルーティン仕事である。
   剪定ばさみだけはと思って、燕三条の秀久の上等なプロ用のステンレス剪定鋏を持っていて、手応えは抜群である。
   最近は、バラの世話を多少怠っているので、昔のように、綺麗な花が楽しめなくなってきている。
   別に、歳の所為ではないが、一時期のように、年中かけて、丁寧に世話をすれば、バラほど正直に応えてくれる花はなく、私などレイジーな似非ガーディナーは、本来、バラの栽培などダメなのかも知れないと思っている。
   しかし、ロンドンから帰ってきてバラ栽培に熱中していたときには、春秋その季節には、千葉の庭はバラが咲き乱れていたし、近くだったので、京成バラ園には良く足を運んで勉強していた。

   さて、綺麗な花をイメージしながら思い起こすのは、知人友人達のことで、年賀状の季節になると、それぞれの消息が分かって、少しずつ寂しくなる。
   年賀状を交換している相手は、やはり、私自身の年格好と同じで、後期高齢者が大半である。
   少しずつ、毎年、何らかの理由で消えてゆく人が出てくるのだが、一番、気になるのは、寄る年波には勝てず、今回で年賀状の交換を最後にしたいという年賀状の挨拶文である。
   毎年、2~3人は、そんな年賀状をくれる。
   口角泡を飛ばして天下国家を論じていた学友であったり、激務に苦楽をともにした同僚であったり、非常に親しかった知人友人から、そんな年賀状が来ると胸が痛くなる。
   私など、パソコンがあってインターネットのお陰で、住所録があり年賀状の通信面を適当にアレンじてプリントすれば、数時間で準備できるので、それ程苦痛に思ったことはないが、人によっては、体が云うことを利かなくなったとか、認知症が進んできたとか、相当、健康状態が悪いのであろう。

   今更と思うのだが、老後の移転も結構多くなっている。
   庭など家周りの世話が苦痛になってきたので、一戸建てを処分して終活も兼ねてマンションに移転したり、老人ホームに入ったり、故郷の村へ帰っていったり、
   現役で、まだ、元気で働いていても、結構病気に罹って手術をしたり入退院を繰り返したり、
   完全に健康で、問題のない知人友人などは殆どいない。
   尤も、ボケ防止に中輪管理のボランティアをやっているとか、詩吟をやり始めたが上手くならないとか、バイオリンとゴルフを始めたとか、ダンスを楽しんでいるとか、碁会所に通っているとか・・・
   コロナで、ここ2年くらい、同窓会も同期会もないので、友の消息は定かではないのだが、我が老年は、一瞬にして運命が変ってしまい、明日は、まさに分からない。

   東大の高齢社会研究機構の秋山弘子教授の研究で、30年前の日本の高齢者が、60歳を過ぎてからどのように人生を辿るか追跡調査した結果報告では、
   約2割の人が、70歳を迎える前の段階から寝たきりになり、その状態を10年ぐらい過ごしていると言うこと、大半の人が、70歳を超え始めたところから徐々に歩けなくなると言うこと、そして、80を過ぎても元気に働ける人は、1割程度しかいない、と言うことである。

   私の場合、幸いにもと言うべきか、朝夕、孫娘の幼稚園の送り迎えで、アップダウンの激しい坂道を片道1キロ、都合4キロを歩いているので、まずまずではあろうが、やはり、足腰の弱りには勝てず、彼女が走れば追っかけられない。
   まだ、毎日のように専門書を読んでいるし、このブログも手を抜かずに、まずまず書けていて、高血圧の定期検診くらいで、この何年かは大病したり手術もないので、当分、健康は大丈夫であろうと自己診断している。
   軽度の脊柱管狭窄症以外には痛いとか苦しいとかといった感覚はなく、夜はよく眠れるし、朝は普通に元気で起きられるので、幸せだと思っている。
   もう、傘寿を越えた以上、臨終を考えて生きなければならないと思うのだが、まだ、全くその気になれないところが凡人の悲しさでもある。
   出来れば、ギリギリまで健康寿命を引き延ばして、家族に迷惑をかけないような状態で終えたいと願っている。
コメント
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