
先日、静岡ホビーショウに合わせて鉄模各社の新製品発表がありましたが、碓氷峠廃止20周年記念に合わせたKATOの大攻勢には目を見張るばかりです。個人的には、碓氷峠関連は長年余り関心がなかったものの (何せ、特急あさま・白山には乗る金がなかった貧乏人だったもので ^^; ……また、大きく脚光を浴びた90年代に非鉄だったことも一因です)、一度徒歩旅で旧道の碓氷峠を越えてしまったからには、街道~鉄道を通じた歴史浪漫にのめり込まざるを得ないわけで、何とも財布には危険な話です。したがって、余り模型いじりをするヒマもない中、なるべく節制しなければなりませんが、元・貧乏18きっぱーとしては、やはり長野115系1000番台改良版は気になります……。付属3連も新規に用意され、スカートを外さなくて良い新カプラーも魅力……。旧タイプを持っているのを一体どうすれば良いのやら……(甥っ子に譲渡か?)。

それはさておき、中山道を歩いて出会った鉄道車両・バスを順番に載せる連載の続きとして、御代田駅のD51 787をアップしてみましょう。
中軽井沢=沓掛宿から中山道に踏み出しますと、時折しな鉄115系のMT54サウンドやホイッスルを遠くに聴きながらも、基本的には線路とやや離れたところを進み、追分宿手前の1003m点からは千曲川渡河点の塩名田宿まで長~い下りに入ります。そこで、追分宿の西にある北国街道との分岐点「分去れの碑」からひたすら高原の風景を眺めながら下って行きますと、やがて浅間山を大きく望む御代田駅界隈に差しかかり (浅間山は近いところを歩いていても樹林に邪魔されて見えません。苦笑)、信越線=しな鉄に突き当たると地下道で横断することになります。
その地下道から見て西寄り (=御代田駅構内の東外れ) に鎮座しているのが、D51 787。戦時型として製造され当初水戸に配置され、戦後しばらくしてから塩尻に転属、その後廃車となるまでひたすら木曽路で旅客・貨物を牽引し続けたとのことで、場所こそ違えど中山道筋には縁がある機関車ということになります。
そんなD51 787、地元の保存会によって完璧に美しい姿を保っており、本当に惚れ惚れとするばかりです。公開日は限られており、普段は柵の上にデジカメを差し上げて撮るのみですが、それでもこのように素晴らしいシーンを眺めることが出来て満足満足♪ そして、もし今後動態保存SLを追加することになる場合、ひょっとするとこのD51 787にも白羽の矢が立つ可能性も無きにしも非ずなのではないか……と思ったのでした。