一昨日、非鉄目的で中央線の韮崎を訪れたところ、かつての甲州街道の宿場中心地に、いきなり「小林一三生家」と記された石碑が現れてビビりました。山梨と関西……遠く離れてはいますが、まさかこんなところが関西鉄道王の出身地であったとは! そこで帰宅後、「小林一三×韮崎」でググってみたところ、韮崎市が作成したパンフのPDFファイルが現れ、なるほどフムフム……。小林一三翁が阪急沿線に居を構えた際には、風景が韮崎と似ているという理由で池田を選んだとのことですが、北摂の山々は山梨峡北の高峰のミニチュア版ですか……。
というわけで、今年3月にほんの僅かな時間だけ神戸線沿いで撮り鉄したきり、HDの肥やしになっていた画像を引っ張り出してみました。すぐにアップすれば良いのに放置していた理由としましては、完全な順光ではないことと、7000系以前の車両ではないという個人的好み (偏見) の問題があるわけですが (^^;)、折角こういう機会ですので活用しようかと……。
それにしても最近は、阪急で半日なり終日なり、腰を落ち着けて撮っていない……。神宝線系統でいえば、更新して前面の表情が変わった5100・7000系とか結構好きですし、他にも例えば宝塚線にしても京都線にしても、変化が少ないなりに少しずつ撮り貯めておきたいものですし、ガラッと面子が変わった能勢電も行ってみたい。やるべきことややりたいことが多すぎて、時間が限られていることは恨めしいものですが、小林一三翁成功の秘訣は、時間管理の上手さであったとも言われます。やはり偉大な人物には学び続けなければならないようです。