地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

中共高級幹部用客車「専運車」の肖像

2018-11-22 00:00:00 | 中国の鉄道


 しばらく発行が途絶えていた『中国鉄道時刻表』、この年末に最新号が出て、お台場ヲタ祭りや神保町書泉などで発売されるはこびとなったようです。本家チャイナで紙の時刻表の出版が途絶え、日本側でも完全ボランティア体制によるデータ打ち込みが、絶えざるダイヤ改正(とりわけ高速鉄道の相次ぐ延伸)で振り回されていると思われる中、一定のところで区切りを付けて改めて紙データに置き換え、史料としての価値をつけることには敬意を表したいと思います。私自身は、習近平新時代のチャイナの特色ある社会主義が全盛ないま訪れようとしても、不愉快な話の連続になるでしょうから、誌面を見て最近の変化を想像するにとどめますが。
 それはさておき、京急の藍色普通車、東武のプユマ、しな鉄の自強電車……といった感じで、台鉄風の塗装が日本の鉄ヲタ界を賑わせている昨今ですが、そもそも今年は日中平和友好条約締結40周年であり、日中の首脳往来も華々しく行われた中にあって、日本の鉄道界も鉄道趣味界も、台湾分裂主義者に加担し続けることがあって良いのでしょうか?! 《一つの中国》という、中華民族の神聖不可侵な大義に即して言えば、台鉄などは所詮台湾鉄道管理局であって、さらにその上の組織として祖国天朝大中華 w の交通部や鉄路総公司があるはずです(鉄道部は、「中国高速鉄道の父」たる張曙光部長が死刑判決を受けるなど度重なる汚職もあって w、鉄路総公司に格下げ改組済み)。実際、祖国天朝大中華で発行される鉄道路線図には必ず台湾省の鉄道も記載されており、中華民族の正しい立場を表明し続けているはず。
 したがって、中国を中心とした全世界人民の団結と進歩と友誼を愛するすべての日本人民も、まずは台鉄の上位組織である中国交通部と誼を通じるべきで、そのうえで大陸地区の様々な路線・地方鉄道・地下鉄・都市近郊鉄道と積極的に友好提携を結び、鉄道事業者としての経験や技術を交流し合うべきなのであります。そうであってこそ、世界レベルで中華の暖かさをもたらしインフラ大建設を行う「一帯一路」の枠組みに日本企業・日本人民も大いに参加し、その中でこそ日本も真正にして多大なる利益を得られるはずなのであります。米帝や台湾分裂主義者に騙されるようなことがあってはなりません……(キリッ)。



 ふぅ、心にもないたわごとを模範解答っぽく綴るのも疲れるものですが、実際問題、日本を訪問する、あるいは在日のチャイニーズの中でも鉄分多めな人々は、日台鉄道交流に基づく塗装や宣伝ポスターを、このような発想で眺めているに違いありません。まぁ個人的には、そもそも「一帯一路」なんてブラックな高利貸しも同然ですし、最早日本とチャイナの関係は交流よりも競争という相に入ってしまっていると思うのですが。
 そうは言っても、せめて僅かでも、どこかの鉄道会社がチャイナの鉄道事業者と友好協力関係にあり、その成果をヲタに向けても盛んに発信しても良いはずです。あるいは今後、「安くてもウリナラロテムよりは壊れない」中国中車から車両を買う鉄道会社もあるかも知れませんから、そういうところから交流が生じることもあり得るでしょう。実際、むかし東京駅は北京駅と交流協定を結んだはずですし、そういえばE2系がCRH2になったという経緯も踏まえれば、JREは積極的に中国鉄路総公司と提携し、チャイナ観光客を東北各地に呼び込む一方、車両に緑皮塗装を塗るなりラッピングするなりして、鉄道の旅の魅力を宣伝しても良いはず。少なくともチャイナには、日本の国鉄特急色を彷彿とさせる東風4Dが一部の鉄路局で活躍していますし……(笑)。
 もっともそんな動きには、東京駅で低い柵を隔てたJRCは思いっきり煙たがりそうですし、もし東海道線のE231・233に緑皮ラッピングを貼り、たまたま沼津行きに充当されようものなら、熱海駅で運転打ち切りの脅しをかけて来るかも知れません……(^^;)。まぁ、JREだけで完結する列車でやった方が良いでしょうな、これは……。
 何はともあれ、難しい話はさておき、単に自分自身の妄想N模型だけでなく、東京でリアル緑皮塗装を見てみたいという、それだけの話です (^^;;)。
 そんなたわごとを並べつつ、今は中国鉄道博物館の屋内に収蔵されてしまった、中共高級幹部専用客車「専運車」の未アップ画像を貼っておきます。これらを撮影した2006年には、まだ高速鉄道は開通しておらず、在来線列車がどんどん華やかさを競っていた時代ですので、まさかこの後習近平時代になり、高速鉄道を除く客車は原則として緑皮になるとは夢想だにしなかったものです。
 1枚目の画像はリブ付きの古い車両で、東ドイツ製かチャイナ製のいずれかのはずですが、もし1960年代以後の製造でしたら、中ソ冷戦になってしまっている折も折、ソ連に車内の秘密を知られないようにするため、チャイナ製であったのかも知れません。いっぽう2枚目はリブの無いスッキリしたスタイルの25系客車の一環とみることが出来、1970年代末以後90年代までの間に製造されたものと推測されますが、細かい分散クーラーがなかなか萌え要素となっています。いずれの車両も3軸ボギー台車の堂々たるものですが、120km/h以上の速度には対応していないため、2000年代半ばまでに離脱してしまったのは勿体ない話です。もっとも、そうであったからこそ、2006年の夏に中国鉄道博物館前の屋外に放置されているところを撮影出来たのでした。
 なお、毛沢東専用客車は、後に中国鉄道博物館内に写された車両の画像をネットで見てみますと、カムフラージュのため硬臥車 (YW) と表記されています。当時はそんなことにも気付かず、定員が妻面に記されていない軟臥車を見かけて「これ毛沢東専用?」などと想像を巡らせていたのでした……(笑)。