数回にわたってお送りしてきた東急東横線8000系惜別特集も、今回が最終回。それにふさわしい画像として、桜木町駅に停車中の歌舞伎編成と横浜ランドマークタワーの組み合わせをご覧に入れたく存じます。
たとえ東横線に時が流れ、横浜駅が地下化され、終点が元町・中華街に変わり、横浜の業務・観光の中心にダイレクトで行ける便利を享受するようになろうとも、やはり心の底ではどこか「横浜駅は高架であって欲しい。終点は桜木町であって欲しい」と思うのも事実です。住宅街の中を右に左にカーブを切りながら走って来た電車が反町のトンネルを抜けると、国鉄→JRの行き交う列車を見下ろす高架に躍り出て、横浜駅にすべり込む瞬間は、幼い頃横浜に買い物に来るたびに最大の楽しみでした (2枚目の画像。ここで車内から横浜線の73系や静岡所属の80系が見えると「やった!」という気分でした。我ながら、変な幼児だったなぁ……笑) 。さらに東海道線をオーバークロスし、うらぶれた高島町を過ぎた後、しばし根岸線の高島貨物線乗り越し部分に車窓展望を邪魔されるものの、かつては造船所のクレーンがひしめいていたみなとみらい一帯がやがて車窓にパッと開けて来ると、電車はついに桜木町駅に到着……。そんな、余りにもドラマチックな車窓風景の展開が東横線の末端では待っており、その明るい舞台でいつも8000系が車体を輝かせていた……という印象が多くの方におありだったのではないかと思います。
それにしても、惜別の記事を書きながら改めて痛感するのは……東横線における8000系の時代が本当にあっという間に流れてしまい、自分もいつの間にか言葉の正しい意味で人生の半分を終えてしまったということです (今後も平均寿命分を生きることが出来ればの話ですが)。
「そこにあることが当たり前で、すべての前提だったはず」の8000系が東横線にもういないという事実をかみしめながら、これから一体どのように生きて行けば良いのだろうか……と、茫然とせずにはいられません。
それでも幸いにして、8000系には伊豆急にせよジャカルタにせよ、第二の車生を送る素晴らしい舞台があります。そういった場所をこれからも折に触れて訪ね歩き、「お互い頑張ろう」とねぎらいながら、味わいのある確かなものを愛惜する……。そんな趣味人生がこれからも続くのだろう、という気がしています。
東横線8000系の銀色の輝きは、
永遠に心の中を照らし続けることでしょう。
8000系が走り始めて間もなく、
東横線の沿線で生まれたことに、
いま改めて喜びと誇りを感じます。
東横線8000系、さようなら。
そして、心からのありがとうを。
おはようございます、コメントどうもありがとうございます!
いやー、そこまでお楽しみ頂き恐れ入ります (^^;)。TR11さんの業界の視点からみて、こういう構図はグッとくるものがあるのかも知れませんね~。
普段は割と単調な編成写真ばかり撮っている私ですが、このときだけは反射をコントロールする偏光 (PL) フィルターを用意し、気合い十分で臨んだのを思い出します。ただ、そういうときに限って手前に入線する車両は8590系と9000系が続き「早く8000系が来ないと建物の影がヤバい……」とはらはらしたものです (汗)。
※ミニオフ会の件、この1月に設定するタイミングがつかめず恐縮です。もうしばらくお待ち下さい (^^;
青い空と車体のコントラストが美しい!
おはようございます、コメントどうもありがとうございます!
そういえばそうなんですよね……鉄道車両史上画期的な存在だった5000系や7000系も、8000系の長期政権には到底及ばなかったわけで、それだけ20m車として完成された車両だったのだと思います。しかも8000系は、最初の頃こそ短い編成のため、花の急行運用を7000・7200系に譲りがちで、特急登場までのしばらくのあいだも各停運用メインでしたが、その歴史の最後の方で特急運用の第一線に立ってきたという点で、全く色褪せないどころか歴史を重ねるごとにスターになっていった車両だったのではないかと思います。首都圏私鉄の中でも最も注目度が高い路線のひとつ・東横線で、80年の歴史の半分を主力で走り続けるというのは、他の車両には到底真似できないことでしょう……。
昨日京浜東北線で、廃車寸前のモハ208-13に乗ったのですが、モーター音もドアチャイムもかすれ果て、天井の塗装は剥げ、FRPは茶ばみ……使い捨て車両の惨めさしか感じられませんでした。新5000系列は209系よりも全然金がかかっていると思いますが、10年後にはこうならないかどうか心配です (-_-;)。
それはさておき、……うーんなるほど、多摩川 (あるいは鶴見川) から東ですと、渋谷や銀座の商圏ということになりますね。逆に私など、幼児の頃はせいぜい南武線に乗り換えるために武蔵小杉まで乗る程度で、新丸子から先の渋谷方面へは乗ったことがありませんでした (滝汗)。自由が丘近辺までは、3000系列を撮りに訪れた中学生の頃に初到達、東横線に乗って初めて渋谷に到達したのは大学に入ってからでした (爆)。まあ、意外とそんなものですよね……。
時代と共に変化している東横線80年の歴史の中にあって、かつての顔だった5000系や7000系が東横線では約30年の活躍だった事や、現在活躍している9000系や使い捨て?の5050系が長い期間活躍するとは思えない中、39年も東横線に君臨した8000系は、約半分の歴史に名を残した訳で、紛れもなく東横線の顔だったんだなぁ…と、お別れ運転から一週間経って改めて思いました。
それにしても、ついこないだの事と思っていた桜木町廃止から4年も経ってしまったんですね…。
住んでいる場所柄、買い物=渋谷・銀座だった故、横浜に行く事は殆ど無かったのですが、忘れ物を取りに桜木町まで行った帰りに、自分の乗っていた5000系とすれ違った茶色い電車を見て、「何あれ?」と思った幼少期の事を、今回の記事を拝見して思い出しました。
以上、つまらない書き込み失礼しました。