早いもので、昨年3月にヤンゴンで日本中古DCやボロい客車列車にフィーバーしてから間もなく1年。その間に、例えば「はまかぜ」キハ181及び札沼線キハ48のヤンゴンデビュー、キハ58の全検ピカピカ、経済発展開始&道路渋滞によるヤンゴン環状線利用客急増に伴う長編成化&新造客車投入……などなどいろいろな変化が起こっているようです。そして、久留里線で引退したキハ38がそろそろヤンゴンで (?) デビューするのではないか?と思われる今日この頃。
そんな中、最近毎年3月に敢行している業務閑散期の撮り鉄遠征をどうしようかなぁ……と思いまして、他の未訪問の国もあれこれ検討したのですが、結局上記の変化が醸し出す香ばしさに負けまして、今年もヤンゴンを訪問することにしました (^^;)。既に航空券と宿は予約しましたが、突然全世界からビジネスマンが押しかけ始めベラボーな宿代になっていた昨年と比べますと、ネットがピュンピュンに飛んでおり清潔な宿は一層高騰している気配があるものの (ビジネスには死活問題でしょうから)、そうでもない宿はむしろ値下がり~。朝飯のあとはひたすら鉄活動に徹し、夜に繁華街でメシを食べてから宿に戻ってシャワーを浴びて寝るだけの私にとっては好都合となりました。それでも、他の国の同レベルの宿に比べれば高いですが……(汗)。
というわけで、昨年撮影分を早めに締めくくるべく、続きをアップです~。今回は、長距離優等客レ牽引機の主力・DF1300を撮影した分のうち、客車がボロめな列車です。
ヤンゴンを発着する列車のうち、インド製DF1300または中国製DF2000が牽引する列車であれば、とりあえず風格ある急行列車として外国人向けの英語時刻表にも記載され、それを参考に沿線で狙うことも容易です。しかし一方で、DF1300牽引でありながら、急行列車ほど客車に統一感がなく、しかも相当年代モノの客車も混じり、青+茶ツートンや青+赤ツートンといった2世代以上前の(?)旧塗装も含まれ……さりとて鈍行列車ほどドサ廻り的な雰囲気というわけでもない列車が、突然思いがけない時間にやって来て結構ビックリします。
この手の列車は恐らく……英領ビルマ時代に植民地行政上欠かせない公文書の類を運ぶのを最大の目的としていた郵便列車兼急行列車「Mail」の名残りではないかと推測しております。インド・バングラデシュ・パキスタンにも、全く同じように「急行ほど速くはないもののそれなりに速い長距離旅客列車」として「Mail」という種別が健在ですし……。まぁ詳しい素性は、ビルマ語が読めれば分かるのかも知れませんし (←怠け者! ^^;)、あるいは将来一層詳細な全国時刻表が御目見得することに期待するしかありませんが、どなたかミャンマー国鉄の全貌に詳しい方からの御教示を賜れますと幸いです m(_ _)m
それにしても、2枚目の画像……腰回りの塗装が左右で異なる客車、気になりすぎます! う~む、1両1両の客車も記録しておくべきでしょうなぁ……。
さて、列車種別としての「Mail」ですが、これはミャンマーやパキスタンに限った事ではなく、以前私が見た資料によれば英国や米国、カナダにも事例があったようで、米国では列車種別が明確に確立されていなかった1850年代ごろから運行されていたようです(詳細不明)。1937年の時点においても、米AT&SF鉄道で運行されていて、当時最新鋭の流線型蒸気機関車が投入されていたことがわかっています(こちらも編成等の詳細は不明)。現在、米英などでは「Mail」という種別は見かけませんが、いつごろまで運行されていたかは現在調査中です。
こんばんは、こちらこそはじめまして、コメントどうもありがとうございます!
大変恐縮ながら私自身は、英国を (ほとんど非鉄で) 訪れたことはあるものの米州大陸は未訪問ですので、米加両国の鉄道については漠然と書籍やネットで見た印象しか持っておりません。ですので、詳しい論評をすることは出来ないのですが、まぁ総じて英国植民地経営のノリに沿って造られ営業された鉄道においては共通の列車種別なのかも知れないですね。そもそも鉄道と植民地経営、あるいは所謂フロンティア開拓においては切っても切れない関係があり、とりわけ他の通信・道路インフラが脆弱だった時代においては、定期の速達便で列車を走らせるとしたら、それは第一に官僚と行政文書を迅速・確実に運ぶための生命線という位置づけだったのでしょう。
植民地が独立し、あるいは所謂フロンティアが消えて各種インフラが発達すれば、当然こういう種別を付ける必要性は減るわけで、最速列車は郵便車の有無に関係なくExpressに改称される一方、別の専用郵便&荷物列車が設定されたのでしょう。ミャンマーでも恐らく名称としては消えているはずですが、何故か南アジア各国では残っているというのは不可思議なことです。実際に郵便車を連結している以上、「この列車の到着時刻までに駅に郵便物を持って行けば、そのまま載せてあげますよ」という目印としているのだろうと思われます。日本の場合も、80年代半ばの郵便&荷物車廃止までは、時刻表の片隅に荷物列車の時刻が載っていたものですし……。
精力的にミャンマー再訪を目指されているようでうらやましい限りです。
最近ブログを始めまして「●」のHNに変えさせていただきました。
ブログで2001年のBago周辺の蒸機についても取り上げさせていただいています。
しょぼい写真と怪しい情報が多いですが、当時と比較しながら御笑覧いただければと存じます。
また今後ともミャンマー記事を楽しみにしていますので、よろしくお願いします。
(新HNは何と呼んだら良いのか不明ですので、失礼ながら以前コメント頂いた際のHNを記させて頂きます)
こんばんは、コメントどうもありがとうございます~。
さっそくブログを拝見しましたが、SLが走っていることを除けば、バゴー駅界隈の基本的な雰囲気が何一つ変わっていないことに感動すら覚えました。しかし、これから日本の援助で軌道その他の全面的な整備が始まるようですので、英領時代そのままとしか思えないインフラも変わって行くのかも知れないですね。
3月の遠征報告は、またマイペースで掲載して参りますので、楽しみにお待ち頂ければ幸いです。