地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

満鉄風?車両を作る (2) サハ75風1両完成

2009-06-21 07:43:00 | 超へっぽこ模型製作


 今から半年以上前、鉄コレの「富井電鉄」凸型ELを中国・撫順礦務局色に塗り (昨年11月23日付記事をご覧ください)、さらに調子に乗ってGMのサハ75板キットに中国国鉄風の塗装を施したものですが……その後サハ75風客車の製作は、気が付いてみたら放置しまくりとなってしまいました (滝汗)。しかしその後、KATOから9600の再生産が発表され「これは緑皮塗装のスハ32も用意して、華中鉄道に戦時供出された車両の中国国鉄バージョンを再現するぞ!」という構想を思いついたり (^^;)、さらにはマイクロエースから満鉄あじあ号の再生産が発表されたりする中で (パシナ981を予約してしまった……笑)、「やはり個人的な満鉄&中国鉄路まつりを開催するにあたっては、撫順のヘロヘロ編成も完成させなければならない!」と思いまして、サハ75風客車の屋根づくり&塗装・インレタ貼り&コーティング・窓貼りなどを進め、ついに1両落成!! (^^) 
 そこで、とりあえず満鉄あじあ号客車と並べて完成写真を撮ってみましたが、いやはや……新幹線サイズのあじあ号客車と比べると、やっぱり子供のような存在にしか見えません (笑)。サイド気味に撮って両者がだいたい同じ大きさに写るようにするためには、あじあ号客車を思い切り後ろに遠ざけなければならないとは……(^^;)。ちなみに、本来この客車には合計5ケタの車番が付されていますが(4桁の編成番号+ハイフン+○両目)、面倒臭いので勝手に3ケタの車番としました。そもそも、本来は21~2mほどの車長があると思われるのですが、横着して20mのサハ75キットそのまんまですし、まぁフリーランスということで……(^^;;



 ちなみに、中国の22系以前の客車をご存じの方でしたらお気づきの通り、実車と比べるとベンチレーターが全く異なり、やむを得ずGMの小型ガラベンを使用しています。嗚呼……Nゲージサイズの中国風ミニグロベンパーツ、何処かにないものかしらん……(T_T)。ま、とにかくフリーランス。満鉄が製造した時点ではミニグロベンではなかったはず……ということで (^^;)。いっぽう台車は、中国22系客車はもとより撫順の客車も装備しているゴツい台車によく似ているクロスポイントのKD39にあっけなく決定~(笑)。台車を実車通りに黒く塗装するべきか否か、↑の状態が結構気に入っているだけに、非常に悩むところではあります (^^;
 もっとも、1両完成したのみでは、のほほんと喜んでいるわけにも参りません。現存するサハ75風の満鉄客車は3連+ELという編成を組んでいますので、少なくともあと2両は欲しいところでして、うち1両にはきちんと前照灯とのっぺらマスクを装備する必要があります。
 そこでぼちぼち、先頭車(と申しますか、ELを総括制御するための高級な装備は一切なく、推進運転時に前方監視員が乗り込んで窓から旗を出すための乗務員室がある車両)の製作を始めています。しかし最大の問題は……のっぺらマスクをなるべく効率良く作るためには、GM板キットのどの車両のマスクを流用すれば良いのかということ (汗)。というわけで、秋葉原のGMストアを訪れ、店内にズラリと並ぶ板キット群と睨めっこしまして、妄想脳内物質がドロリと分泌されるのを待つこと久し……(笑)。ついに「阪急マスクを使おう!」という結論に達しました。
 阪急と撫順礦務局……イメージ的に余りにもかけ離れ過ぎる世界を強引に接着しようとは、何とも荒唐無稽も甚だしいものがありますが、さっそく阪急マスクの側を多少削ったり、貫通ドアをパテで埋めたりしまして整形を加え、ノギスで幅を細かくチェックしながらいざ現物合わせで組み立ててみたところ……ぬおおぉぉっ! 何やらミョーにそれっぽい雰囲気となって参りました (^^;;)。というわけで、今後引き続き整形や塗装を施し、満鉄の残り香漂うヘンテコ車両の製作に邁進したいと考えています。
 それにしても……サハ75、ホントに撫順の満鉄車両に似ている……。あるいは、日本の敗戦と大満鉄の消滅に伴い戦後の日本国鉄に採用された設計スタッフが、満鉄ジテを秘かに偲んでサロ75を設計したのかも知れないなぁ……と妄想せずにはいられません、はい (笑)。

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2 コメント

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Unknown (きえふにいさん)
2009-06-22 17:00:14
おっとっとさま、こんにちは!
この塗装は……先日アップされた秩父鉄道パレオ用12系客車とデキっぽいじゃないですかあ。秩父鉄道の狙いは大陸風レトロフューチャーだったのかなあ。(笑)というのは冗談。でも連想したのは私には秩父鉄道なのでした。グレーの台車はウェザリングしたら落ち着くのかもしれませんね。

そういえば中国の旅客列車の等級「柔座」「硬座」はロシア語の直訳ですね。それぞれ「ミャーヒキィ(柔らかい)」「ジョーツキィ(硬い)」っていいますから。遠くに行きたいなあ。
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Unknown (おっとっと)
2009-06-23 00:07:28
>きえふにいさんさま
 こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
 いや~、秩父のパレオExp.は金帯で、ボディに艶がありますから、だいたいの車両が清掃不足・塗装褪せ褪せな中国・ソ連のダークグリーン客車とは違うでしょう (笑)。この帯も基本はクリーム色かイエローですが、汚れたのを想定して西武ベージュを塗っているわけでして……(^^;
 本来ヘロヘロ・ドロドロなボロ客車を、パレオ並みのツヤツヤトレインにしてしまったのは、やっぱり異次元的な飛躍だったかもなぁ……と思うのですが、さりとてウェザリングをすると「せっかく塗ったのに勿体ない」という気分にもなってしまいそうです (→優柔不断。笑)。
 台車につきましては、記事をアップしたあとで「一旦カプラー部分を分解して黒塗装しようかなぁ……」という考えに傾きつつあります (^^;
 
 なおご指摘の通り、中国の「軟臥・軟座・硬臥・硬座」という区分はソ連の「ソフトクラス・ハードクラス」という区分を真似たものでしょうけど、ソ連のハードクラス寝台は軟臥に、ソフトクラス寝台は高級軟臥 (計画経済時代はモスクワ=北京間の列車などにしか連結されず) に相当しますので、訳すと完全に対応するというわけでもなかったりします。ソ連の「ツーリストクラス」を中国が訳して硬臥・硬座相当の名称としなかったのは何故か……イマイチ疑問ではあるのですが、何はさておき「社会主義国は平等であり、階級差別を思い起こさせるような1・2・3・4等 (華中鉄道には4等車がありました ^^;) という名称は用いず、単にベッドや椅子の固さで呼び方を変える」なんていう発想は、当時においても事実上欺瞞もはなはだしいものだったのでしょう (爆)。軟らかい→グッド・硬い→ヤダという固定観念が一般に存在する限り、これが事実上の階級を意味しているわけですから……(実際、1980年代までは中国でもソ連でも軟席はごく一握りの高級党官僚・軍人などしか利用出来なかったでしょうし)。
 それが今や中国では、特に「はやて」」コピーなど、ヘーキで「1等座車」「2等座車」なんて名称を復活させてます (さすが赤い資本主義。笑)。
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