![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/24/4506f8d2f18d67fa2949f5fc1440b07d.jpg)
いつも当ブログをお楽しみ頂きまして誠にありがとうございます m(_ _)m
当ブログはこのたび、80万アクセスの大台に到達しました。最近はとかく仕事が多忙を極め、貴重な息抜きである撮り鉄の時間を確保しづらくなっているほか、備忘録として記事をまとめようにもどんどん後回しになってしまい、撮影時の感動や感想が脳裏で薄れてしまうなど、ブログを更新する気力もついつい萎えがちです (汗)。とりあえず100万アクセスに至るまでは、体調と相談しつつマイペースで更新して行くつもりですので、ぼちぼちお楽しみ頂ければ幸いです。
さて、80万アクセスにあたっての懐かし画像として何を引っ張り出そうか……と少々迷ったのですが、ここはやはり激動が続く東急に関連しまして、張り上げ屋根の釣掛式電車をフィーチャーしてみることにしましょう。とくに、今月は新7000系が2本増備され、いよいよ池上・多摩川線の変動が本番に向かう印象があるだけでなく (雪が谷の所属本数が2本から4本に倍増するだけでも全然存在感は変わることでしょう……)、池上線から先に捻出された1000系2両×2も、いよいよ来月から上田電鉄で営業運転を始めるようですので……。
しかし、これらの画像を撮影した24年前の池上線といえば、圧倒的な最大勢力は前にもご紹介した名車・3450形! 当時影も形もなかった1000系すら放逐されるなんて全く想像も出来ませんでした (汗)。いっぽう、戦前のもうひとつの傑作である3500形は目蒲線に集中的に配置されておりましたが、それは恐らく、張り上げ屋根化した3500形であれば、青ガエル5000形やダイヤモンド7200系と一緒に走らせてもそれほど見劣りしないだろう……という思惑があったものと勝手に予想しております。ごくたまに目蒲線で3450形が姿を現すと、突如として古式蒼然とした雰囲気が漂っていたものですし……。そんな目蒲線の半分以上の区間が、今や最新鋭車両の頻繁運転路線として革命的に変化し、しかも日吉に延伸されたということで……はっきり申しましてアンビリーバボーです (滝汗)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/c2/8dc2e67b4faac2ad8787327cefa598bc.jpg)
もっとも個人的には、張り上げ屋根化されて「海坊主」のようになった3500形よりも、深い屋根がいかめしい3450形の方が全然お好みですので (古い写真で張り上げ屋根化前の3500形を目にするたびに「ああもったいない……」のひとことが ^^;)、僅かな小遣いで買ったフィルムを消費するのも自ずと3450形優先! (爆) ところが、その結果3500形を記録した手許のカットが極めて少なく、中学生時代の自分の愚かさがはっきり言って嘆かわしくなって来ます (^^;;;;
そこで、池上線で辛うじて撮影しておいたデハ3650とクハ3850の画像をいま改めて眺めてみますと、「よくぞちゃんと撮っておいたもんだ! エライ!」と自分を褒めてやりたくなるというものです (エラくも何ともないのですが)。
デハ3650は本来、戦時合併で出現した大東急最初の新型車両として記念すべき存在であり、ひょっとすると事の次第では他の路線 (今日の京急・小田急・相鉄・京王) にも標準型として導入されていたのかも知れません (但しその場合でも軌間の違いごとに形式は異なっていたはず)。しかし戦時の資材難のためクハとして登場することを強いられ、しかも6両の新造にとどまりました。恐らくその結果、3600というキレの良い形式名は、鉄道省から貰い受けた戦災復興車に譲ることにもなったわけで……3650形は3800形 (戦後のバス窓の意欲作ながら少量生産にとどまり5000系へ移行) と並んで、東急史の中でも薄幸な車両の代表格と言えましょう。
しかし、そんな3650形も、7200系が入線するまでは何のかの言って池上線のスター! もちろん、戦後の新造車として3450形の相手をしていたクハ3850 (2枚目の画像) も張り上げ屋根に改造され、3450形に比べて「新しさ」をアピールしていましたが、所詮はクハ (^^;)。3450形が電動車の圧倒的多数を占めていた池上線おいて、デハ3650の張り上げ屋根と前パンの組み合わせは大いに見映えがしたものです……。とくに3650形の前面貫通扉つきバージョンは、ただの海坊主にはない硬派で男前なテイストがあって良いなぁ~と思ったものです (*^^*)。
そんな池上線の3650形のうち一部がその後十和田に移り、今でも3655改め3603が貸切用車両として動態保存されているのは特筆すべきことでしょう! 3450・3500形が丁寧に使われ過ぎて、結局東急だけで車生を終えたことと比べますと、地味な存在にこそ最後に光が当たる……ということで、ちょっと痛快さを感じます。
ちなみに十和田のモハ3603……七百留置中の姿しか撮ったことがないです (汗)。イベント走行をしてくれないものか……と思うのですが、それとも車籍が残っている今のうちに自分でチャーターしないといかんのかもなぁ……と (滝汗)。
海坊主、、、池上線というか、SDTMにとって、学生時代の懐かしい目蒲線の車両です。
思い出も色々あるんですが、雨の日に床に溜まった水が発進・停車で勢い良く流れる様は凄いものでした。池上線時代では、床下への排水口も設置され解消されていたでしょうか?いずれにしても、この海坊主をHOで再現もしたく、資料集めを徐々にしております。
今後とも宜しくお願いします。
これだけ濃い記事を連載されていれば、読者の方が増えても当然ですよね。もちろん当方もブックマークに登録の上、毎日拝見しております(^^ゞ
しかしお互い3年以上もブログをつづけていると、更新に対して、仕事その他もろもろの忙しさなども加わってくると、意欲が萎えるときが出てきてしまいますよね。
これを義務と思ってしまっては億劫になってしまいますから、記事は軽めでもなるべく更新しようと思っているこのごろです。
最近はあまりテツをしていないので、更新するネタもあまりなかったりするのですが、お互い4周年
、5周年を目指して頑張りましょう!
私は以前にもお話ししましたが、小学生時代の塾通いで毎週目蒲線に乗り、デハ3450等の吊り掛けサウンドに酔いしれていました。デハ3500や3650などは、「海坊主」と呼ばれた風貌があまり好きになれませんでした。古い電車が無理矢理厚化粧をしたようにしか思えなかったからです。
しかし、今となっては貴重な画像ですよね。私自身、当時の写真を全く残していないことが心残りです。
もし十和田の3603をチャーターするのでしたら、私も協力いたします! 私もあれが動いているところを何としても廃車前に見てみたいので。
ブログですが、本業が忙しかったりその他の理由で更新への意欲が失せる場合もままあります。ですが、そのたびに「日々の記録が後年のかけがえのない記録になる」と自らを言い聞かせ、更新に励んでいます。
今後ともよろしくお願いいたします&頑張っていきましょう!
まとまりのない文章失礼しました。
こんばんは、こちらこそはじめまして、コメントどうもありがとうございます!
ここ数日体調が思わしくなく、レスが遅れまして誠に申し訳ございません m(_ _;)m
さて、いつもお楽しみ頂いているとのこと、何ともうれしい限りです。ほとんど個人的な思い入れと行き当たりばったりの撮影記録だけで成り立っているブログですが、今後ともお楽しみ頂けると幸いです。
学生時代に目蒲線で毎日ダークグリーンの釣掛に揺られておられたとのこと、うらやましい限りです……。いま目黒線の駅や車両を見ていますと、釣掛3連がのんびり走っていたのは一体何だったのか……遠い昔の夢物語だったのではないか……とすら思えるのですが、わずか20年少々前の話なんですよね……。
いまの池多摩線は全車VVVFの高性能車になっていますので、発進はまさに猛烈なスタートダッシュという感じですが、停止はワンマン化・ホーム柵設置の関連でソロリソロリと慎重さが目立ちます。この点、釣掛時代は2M1Tというほどほど強力な編成だったこともあり、加速はやや落ちるもののダイナミック、停止はキビキビとしたものだった(今よりも勢いよく突っ込んでくる)ように記憶しています。
しかし、台車は今と昔では大きく異なるわけで……まあ揺れも豪快でしたね (笑)。雨の日の東急釣掛は残念ながら乗ったことがないので分からないのですが、そうですか……雨水が勢い良く床を流れていましたか (汗)。
そんな東急釣掛をHOで再現されるとのこと、私は最近はじめて模型の完成品をぼちぼち買うようになったという超初心者ですので、自作されるということ自体頭が下がります。私も時間があれば、GM製の板パーツを組み合わせて3450形を作ってみたいのですが……そもそも時間がないのが悩みの種です (汗)。
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
ここ数日体調が思わしくなく、レスが遅れまして誠に申し訳ございません m(_ _;)m
こちらこそご無沙汰しており恐縮です~(^^;)。5月の一畑貸切電車など、精力的に撮り鉄活動されているようで、うらやましい限りでございます!
さて、80万アクセス記念ということで確かに世田谷線でも良かったですね (^^;)。早いもので世田谷線の世代交代から数年……たまに世田谷線を利用しても、電停のホームの高さからしてすっかりLRTっぽい雰囲気に変わっており、腰の高いニス塗り車内の電車が走っていたとは夢のようです……。
ただ、内心ではまだ「めっちゃ懐かしい」ほどの話題でもないかなぁ~と思っています。個人的には、撮り鉄に復活して間もない頃の出来事でしたので……(^^;
それはさておき、ひとくちに釣掛3000系列といっても何のかの言って深い屋根を保ったままの3450に目が行ってしまい、3500・3650・3850は「はずれ」だったというのは……やはり当時のファンに共通の心理なのでしょうか (笑)。そんな海坊主も、張り上げ屋根のサハ3370 (クハ3850のサハ化車両) を組み込んだ3500の編成はそれなりに編成美を醸し出していましたが、3650の編成が挟んでいたサハは、切妻の戦災復旧車にして張り上げ屋根化の対象ではなかった3360でしたので、ややデコボコした印象がありましたね~。
そんなサハ3360を廃車にする計画があったとは! 私はヤマケイの私鉄ハンドブックは図書館で借りる程度で、そこまで目をかっぽじって記述を読んでおりませんでした (^^;;)。保育社のカラーブックス、そして中学時代に一大決心をして購入した『私鉄電車のアルバム』が主要情報源でしたので……(^^;
それにしても、結局はクハ3850を組み込む計画も未完で終わりましたね……。一応、張り上げ屋根化などの改造を昭和50年前後に受けた車両は、それ以来10数年走っていますので、じゅうぶん費用的には見合っているのだろうと思います。車内更新後それほど時間が経たないうちにどんどん廃車になってしまった8000系と比べれば……(-_-)。
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
ここ数日体調が思わしくなく、レスが遅れまして誠に申し訳ございません m(_ _;)m
さて、濃いぃ記事を絞り出し続けるといつの間にか出がらしになってしまい、往々にして後はうすうすになってしまうのが世の習いというものですが、私は何のかの言って世間に背を向けるひねくれ者ですので (笑)、ここ掘れワンワン的なノリで探訪を続けていたらいつの間にかこんなことになってしまいました (^^;;;
ただ、それもひとえに撮り鉄するヒマがあり、シャッターを切るごとに濃厚な脳内物質が分泌されるからこそのエネルギーなわけでして……(汗)、お互い三十路の哀しさで、だんだん仕事における分担量や責任量も増えて来ますと、どうしても仕事と鉄活動との兼ね合わせが難しくなってくるのは悩ましいところです。いやホント、撮り鉄してブログのネタを順調にためることが出来ない日々が続きますと、精神衛生上まことに宜しくないわけでして……(ほとんど中毒症状ですね ^^;)。
まぁ、そんな悶々をほどほどに解消するためにも、ぼちぼち撮り鉄活動と更新を続けて行こうと思っているところです (笑)。
いや~仕事と趣味のバランスを取るのは難しいです! (^^;;;
というわけで、今後とも宜しくお願い申し上げます~(^^
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
ここ数日体調が思わしくなく、レスが遅れまして誠に申し訳ございません m(_ _)m
さて、デハ3650の画像をお楽しみ頂き嬉しいです! やはりどれだけ「走るんです」が増えようとも、三十路以上の世代にとっての東急といえばギラギラコルゲートとカエルと釣掛でしょう (爆)。
それにしても、他の方のコメントにも触れるにつけ、当時をご存じの方の圧倒的多数は「えぇ~海坊主……? (-_-;)」という印象をお持ちだったようですね (汗)。確かにおっしゃる通り、張り上げるものも張り上げ過ぎており、ヘッドライトも意図的に目立ってしまっており、もとの昔気質なデザインを相当改変してしまったのが不人気の原因でしょうか。
もっとも、そんな海坊主も今見れば、昭和も煮詰まった時代における中途半端な雰囲気を色濃くたたえているような気がしまして、これはこれでとても良いような気がします (^^;)。と申しますか……「走るんです」がはびこる今から見れば、全ては許されるというわけです (爆)。
十和田の3603をチャーターする……と勢いで書いてはみたものの、私は「自分がチャーターした日に土砂降りになったらイヤだな……」という小心者でもございまして (滝汗)、やっぱり走るチャンスと自分の日程の余裕がピタリと合うのを他力本願的に待つしかないのだろうか……と思っております。まずはこのようなお申し出に御礼申し上げます m(_ _)m
ブログの更新、仕事がそこそこあれこれ任され (?) 多忙であればあるほど、反比例的に億劫になって行くのが悩ましいところですね……。残業の連続で収入が増えても、それを趣味に使う時間がなければ悲しいと申しますか……。もちろん、妻子のおられる方でしたら、自分の身を削っても惜しくないのでしょう。しかし、そういう世間並みの幸せとは無縁な人生を送っておりますと、せめて金儲けとは無縁な純粋に楽しみだけの世界をしっかりと保たないと、寂しさのみぞ募ってやっていられないなぁ……と思うのも事実です(汗)。
逆に、多忙な日々の中に、趣味の記録をブログにする時間をなるべく組み込むことで、少しでも日々に潤いを増すようにしよう……というふうにプラスに考えることが大切なのかも知れませんね。(^^;